ええと…最後にこのブログを更新したのはいつだっけ。あたら覚えていないものの、相変わらず同じ沼に嵌まり続けたままでいる。いや、以前に比べて重症度はずっと増してる!

 

毎朝起きたらすぐに自作したプレイリストを再生して、そうして準備が整ったらそのままイヤホンに切り替えて通勤路のお供にも必ず聴いてる。その歌声にむしろ導かれてると言っても過言じゃないほど聴き倒してる。何なら仕事中は"From Broadway To La Scala"で歌われた『真珠採り』の二重唱を反芻してるし、いざ休憩に入ったらインタビュー映像を食い入るように観てる。それから退勤時にも件のプレイリストに頼ってるし、あくせくと数時間に忙殺されて子供が寝静まったら『メリーウィドウ』の再生ボタンを押すんだ

 

あのご尊顔を拝める上は何ひとつとして文句はないけれど、彼は出演作の映像化(円盤化)があまり多くないゆえに、毎晩を赤ワインと伴う作品は形骸化の一途をたどりつつある。もし若い頃なら、この事実に堪えられなかったかもね。「この年齢になったら毎日てんで記憶は持続性を持たないから、それは何ら問題になり得ないな」…って思ってたのに、彼の出演作で未鑑賞作品の画像を見付けたので、折角ならここに備忘録として残しておこうかなって

 

この『コシ・ファン・トゥッテ』自体はジュリアード音楽院とメトロポリタン歌劇場の若手育成プログラムの提携によって2012年に上演されたもの。彼がMETのリンデマンに参加していたことから出演する運びとなったよう。今作の舞台は「18世紀末のナポリ」であるはずだけれど、ここで男性陣2人が纏っているのは英国海軍の軍服に見える。さらには「老哲学者」と設定されるドン・アルフォンソを厭世的な若者に読み替えていることからも窺えるように、もしかしたら舞台と時代背景を意図的に改変しているのかも。彼って亜麻色の髪色も似合う!


これはドン・アルフォンソと恋人の貞操に関する賭けをして、彼女の愛を試すべく別離を伝える場面だろうか。あたら英国服飾史に詳しくないから分かりかねるものの、フェランドとグリエルモの軍服から推察するに摂政時代〜ヴィクトリア朝あたりを舞台としているのかな。もしそうだとすれば、この後の展開において彼らがアルバニア人の扮装をすることの何と示唆的なことか。そうした意味でも一度でいいから鑑賞してみたかった。写真は衣裳を手掛けたカミーユ・アザフの公式ホームページより

 

彼女たちに偽りの出立を告げたのも束の間アルバニア人の変装でいけしゃあしゃあと舞い戻る若人たち。そこはかとなく貫禄を醸すグリエルモ役ルサンド・カヴェに対して、彼の方は全方向に胡散臭さが振り切れているのが面白い。「将来を誓い合った恋人がいるのに、こんな得体の知れない人と密通を交わさないでしょ」って思わせておきながら、これから真摯な態度と甘やかな歌声で籠絡していく演出を存分に活かすためだろうけれど…残念、そのご尊顔のせいで最初から素敵すぎるので不成立だね

 


それと婚約者である姉妹の貞節を試すために求愛を重ねるも「アルバニア人たち」は苦戦を強いられている。なかなか靡かない2人に対して、ついには毒を飲んだ振りをして気を惹くことを試みる。あくまで私見としては、このあたりが下劣極まりないよ。だから、この話の筋が好きじゃないんだ。これまでどの演出を何度観ても同じ感想で、それを変えたことはなかった。こんなに「観たい」と思った同作はこれで2度目だよ。まじで1枚目から2枚目で半裸になるまでの間に何があったんだ…

 

いよいよ第二幕ではグリエルモがドラベッラを陥落させてしまう。親友と恋人の不義に心を痛めるフェランドは戦場に赴いた恋人を追うべく軍服を纏うフィオルディリージに愛の言葉を囁く。いつも思わされることとして、一方のグリエルモ&ドラベッラが恋のときめきや多幸感で結ばれているのに対して、この2人は絶壁に立ち竦むような悲哀がある。そんな印象を薄めるためにも羽織った軍服の扱いに関しては、「彼が脱がせようとするものの彼女の方から脱ぎ捨てる」が唯一の答えで、これのほかに正解はないと思うんだよね

 

まるで雄々しい男性に興味がないから、従って髭も好きじゃない。でも、この写真を見ただけで例外があることを知ったよ。そういえば、彼目当てにしぶしぶ見直した『マノン』の近衛兵も髭を蓄えていて、すこぶる似合っていたっけ

 

 

 

https://www.feastofmusic.com/feast_of_music/2012/11/cossi-fan-tutti-at-julliard.html

 

折角なので、当時の様子を伝える舞台評も貼付しておこう。どうやらふたつ目のリンクによれば、彼は第二幕で別の歌手に歌唱のみ差し替えられたよう。ここで彼の代役を務めたアンドリュー・ステンソンは、今年の大河ドラマの題材としても話題を呼んでいる紫式部の生涯をオペラ化した作品で光源氏を世界初演して話題になっていたな。一般の歌劇場と比べて、ほかのスケジュールに拘束されにくいであろう若手育成機関や音楽院の方が突然の代打に応えられそうなものだけれど、そういうものでもないのかしらん