昨年になって遅ればせながらメトロポリタン歌劇場(以下MET)の『メリーウィドウ』に心を鷲掴みにされてからというもの、延々と同作品の他演出を見漁ることを続けてた。現代人にも受け入れられやすいスクリューボール・コメディの類型としての側面から、さまざまに千差万別かつ多種多様な設定が見られたものだ

 

その中には色彩をモノトーンに絞ったものや銀行の行内を舞台としたもの、現代へ翻案したものはもちろん「ヒトラーが生前最も愛したオペラ」との触れ込みからだろうかナチス党内を描写したそれまで、その枚挙にいとまがなかった

 

「もしあなたが演出するなら?」って訊かれた場合の多くの日本人と同じように、私もまた我が国に舞台を移して鹿鳴館スタイルで上演することを提唱するかも知れない。さするだに第二幕冒頭の「ヴィリアの歌」を玉藻前に改変することを許して欲しい。あらゆる胡乱や陰謀が渦巻く貴族社会にあって、一切の復讐も反骨心もなしに恋心に従って死ぬのなら、それは至上の幸福に対する示唆に富んでる

 

ここまで書いたのは『メリーウィドウ』で最も心疼かされる第一幕冒頭のヴァランシエンヌ&ロシヨンによる二重唱を取り上げたかったからだけれど、あまりにもMETの出来が良すぎて他動画を引用しづらいこと極まるので、この記事では同歌劇場の『メリーウィドウ』について時系列順に見所を列挙していくことにしようかな

 

 

第一幕

この作品における第一幕の舞台はポンテヴェドロ公国の在フランス大使館。この舞踏会の主催者で大使館の主でもあるツェータ男爵の若妻ヴァランシエンヌは、彼女を崇拝するフランス貴族のロシヨンと恋の駆け引きを楽しむ

あたら序曲と序幕導入部については見付からなかった。同作品のシノプスによれば「同国の君主の生誕を祝う舞踏会」となっているものの、これを真に理解できる合衆国人は多数派ではないよね。そうした事実に対して愛国心を全面に押し出した演出に読み替えたのは、実に巧みな手腕だ

 

周辺を列強国に囲まれたポンテヴェドロ公国でも指折りの大富豪と結婚したものの、その8日後に夫を亡くし莫大な遺産を引き継いだ未亡人のハンナ。もし彼女が外国人と結婚すれば、その財産が外国へ流出してしまうことは免れ得ない。その懸念を払拭するべくツェータ男爵は、ある密かな計略を巡らせる

たまたま私の観た動画がそうだっただけかもしれないけれど、この登場時のハンナは大抵が漆黒を基調としたローブを纏ってる。この場面におけるサンブリオッシュの手の表情の雄弁さが好き、それと知れたEラインの美しさは言わずもがな!

 

自らが愛する祖国の破産を回避するべくツェータ男爵は伊達男として名を馳せるダニロヴィッチ伯爵を未亡人に宛てがうことを企てる。そうとは知らないまま彼自身の通いつけであるパリの名店マキシムから呼びつけられたダニロは母国を忘れさせてくれる同店の素晴らしさを歌い上げる

全登場人物中で最も遅れての登場となるダニロにとって最初の見せ場であり、我ら観客にとっては「彼がどんな人物であるか」を読み解く最初のヒントでもある。およそフランス在住のポンテヴェドロ人には見えないってツッコミはおいといて、ここではさまざまな塩梅がよく練られてる

 

周囲の思惑によってハンナとダニロは邂逅を果たすものの、その旗色はまるで芳しくない。実は二人にはかつて愛し合っていながら身分差ゆえに別離させられた過去があった。「彼自身の口から愛の言葉を聞くまでは結婚しない」と告げるハンナに対してダニロは拒否を宣言。一方で禁断の恋に身を窶すロシヨンは、その思いの丈を巧みに囁く

現代における不倫の概念からは想像もし得ない純粋で夢見がちな二重唱。このヴァランシエンヌが難役たる理由は歌唱・舞踊・それらに対する説得力ある美貌の三拍子揃っていないといけないからではなく、何処に彼女の本気が存在するのかを悟らせざる(単純そうに見えて)複雑な人物像にこそある。ここでケリー・オハラは男爵夫人として立派に夫を立てながらロシヨンの前でだけあどけない表情を見せる妙齢の女性を等身大で演じる

 

当夜のダーメンヴァール(女性側からダンス相手を指名する)でハンナから選ばれるべくカスカダ子爵やフランス人の外交官サンブリオッシュなどが果敢に求愛するが、彼女は自分と踊る気のない唯一の男性であるダニロを指名する。これを表面上は袖にした彼に腹を立てるものの、彼からの求めに応じてワルツを踊る場面で幕

 

 

第二幕

前幕とは舞台が変わってハンナ邸の庭園。前夜の西洋式正礼装を脱いでポンテヴェドロの民族的礼装に身を包んだ出席者たちをハンナは祖国の古い伝説を謳った民謡で饗し、一同はそれに聴き痴れる

最もこの劇中でお気に入りの第二幕冒頭。その楽曲の持つ魅力は無論のこと、それを最大限に引き出した衣裳も振り付けも…とにかく五感に触れるすべてが素晴らしいの

 

相変わらずお互いに意識し合いながらも過去の出来事から素直になりきれない元恋人同士の二人は、その胸中を隠して挑発の応酬を続ける。…ものの、そこは相手のことを知り尽くすかつて将来を誓った者同士。どちらも譲らず互角に、しかし阿吽の呼吸で渡り合う。どちらもゲネの映像ながら、実際にライブビューイング(&円盤化)収録されたそれとだいぶ違う! この場面のすべてが大好き

 

実はハンナを魅了する特命を命じられたダニロには、直々にツェータ男爵から任じられたもう一つの密命が。それを遂行するべく暗躍している矢先に、幸か不幸か浮気性の妻を嘆く夫たちと、あろうことかそのお相手たちが一堂に会する事態に。その関係性にも関わらず皮肉なことに「女性の難解さ」を共に歌い上げる

これまでに当ブログで何度となく引用しているこの場面。あのサー・トーマス・アレンですら可愛く見える振り付けは一級品だから、全人類が見るべきだよ…!

 

いよいよ恋心を抑えきれなくなったロシヨンを袖にしようとするものの、その真摯さに打たれたヴァランシエンヌは最後に思い遂げたい彼の求めに応じる。そこへ男爵も姿を現したことで不貞が露見しそうになるも書記官ニェグーシュの機転によってロシヨンと手を携えて現れたのは、あろうことかハンナだった。まるで予期しない事態に衝撃を受ける一同だったが…

先程の七重唱にも加わっていなかったロシヨンは当て馬格にも甘んじ得る演じようによっては損な役回りながら、ここでは配役や演出の妙によって、かなり登場人物としての個性を引き立てることに成功している。その見目麗しさや話題性も然ることながら、最も個人的に優れたスーザン・ストローマン演出の美点はここにある気がする

 

余談ですが…

このハンナが身に着けている玉虫色の衣裳、これの素晴らしさよ…。彼女が動くたびスカートの裾を翻すたび一挙手一投足を投影した照明を受けて、その色合いを変えて観客の視線を釘付けにする。そこに表現されるのはすなわちハンナの数奇な運命であり、それを受容しながら生きて来ざるを得なかった彼女の柔軟さであり、また仮面を纏った下に忍ぶ素顔すなわち柔肌のすぐ下で高鳴る傷付きやすい乙女心でもある

そして、何よりもそのすべてをかけがえなく愛するダニロにとっては永遠に解けない謎めいた存在であることを示唆する色だ。ここまで一息に打鍵したからだろうか胸が苦しい、あるいはこんな芸術を生み出せる人間とそれを着こなせる存在の両方に動悸してるのかも

 

 

第三幕

さらに前幕から舞台は変わって、件のダニロ行きつけのパリの名店マキシムへ。同店の踊り子たちよろしく着飾ったヴァランシエンヌは、彼女たちを従えた歌と舞踊で観客たちを楽しませる

今幕の舞台は台本によれば「マキシム風の飾り付けがなされたハンナ邸の庭園」であるはずだけれど、ここではそれを読み替えて一同がマキシムを訪ねる趣旨となっている…そんなことはともかく、ねえ、観てよ。この美しい肢体と彼女たちから繰り出される愛らし過ぎる振り付けを!

 

同店の常連であるダニロと踊り子たちの仲睦まじい様子にただならぬ内心のハンナと先程のロシヨンと居合わせた一件に怒り心頭のダニロ。しかし、これが思わぬカンフル剤となり長年にわたってすれ違ってきた二人はようやく赤い糸を手繰り寄せる

これまで好敵手として遣り合って来た旧来の恋人たちながら、こうして見るだにハンナの方がだいぶ上手であることは明白。そして、これは何度見てもやはりハンナの最後の衣裳として完璧が過ぎるな。私が『シンデレラ』で花嫁探しをする王子なら、あんなガラスの靴なんか割り捨てて、このドレスが似合う女性を探すことにするよ

 

ここでサンブリオッシュと踊ってるジュジュかマルゴ羨まし過ぎる…。こんなに間近でご尊顔を拝めたら、私なら一生の思い出としてそれに縋って生きて行くわ

 

さまざまに入り組む誤解はすべてが解ける。ようやくハンナはダニロと結ばれ、彼女を疑っていたツェータ男爵はヴァランシエンヌの貞操に対する誤認を詫びる。その愛を確かめ合った登場人物たちによる「女、女、女のマーチ」のリプライズにより大団円を迎えて、終幕

 

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以上、『メリーウィドウ』のあらすじでした。ここまで長々と書いておいて最も言いたかったことは、彼(テノール)にとってラウル・ド・サンブリオッシュは野心家かつ浮気性なる珍しい属性の役柄なので、「普段なかなか拝み得ない表情を全人類ぜひ一度は見てみてね」ということです(結局そこ!)