「たまには誰にも話せないような日常の他愛ない話を書いてもいいよね、だって今日は頭おかしめ木曜日だし」と思って綽々の余裕で書き終えたら、自分でも血の気が失せるくらいに頭がおかしい内容だったので、全部消して今に至ります。いつも人間に擬態しているだけで、実際はリエットで出来た肉と赤ワインの血が通っただけの妖怪なんだった。そうだった、それをうっかり忘れて羽目を外しすぎるところだった…。まあ、今夜も絶好調だってことだけ分かって

 

さて、閑話休題。先日Olyrixを覗いていたら、推しの紹介ページで目を見張るような画像を見付けた。それがこちらの、

 

 

かつてプロヴァンス音楽祭で2016年に上演されたクリストフ・オノレ舞台監督および演出の『コジ・ファン・トゥッテ』の写真。…と思いきや、よく目を凝らせば背景に貼付してある軍人の写真は推しの真正面を捉えたそれである。そこで慌てて調べてみたら、この1年後に当たる2017年にリール歌劇場における再演版に出演していたことを今になって知った

 

さらに調べてみたものの、あたら映像化はされていないもよう。その残念な事実に気付いてしまったからには、今夜は自棄酒をキメるしかなさそうだ。それも『愛の妙薬』のネモリーノ並みにがぶ飲みするって意味だよ。この演出では「愛の試練」として知られる物語に暴力と性衝動の要素を加えてる。それだけならありがちでも人種の問題にまで片足を突っ込んでるのははじめて観た

 

ここに登場する歌手陣はトラカジなどジャンルはさまざまあっても少なくとも皆キチンとしてる。何処とは言わないけど某劇場のリハ映像とは大違いだね。これが…アメリカとヨーロッパに厳然と隔たる超えられない壁…!

 

今版の冒頭においてグリエルモは人種や女性に対する差別とそれによる蔑視を抱えるばかりでなく、あまつさえ悪びれる風さえない悪党として登場する。その姿を舞台上に表したかと思えば、次の瞬間には「供犠」なる存在の面前でほとんど言葉さえなく女性を蹂躙し辱める

 

先達て貼付したプロヴァンス音楽祭オリジナル版では、実にナフエル・ディ・ピエロによって巧みに演じられていたっけ。彼って外貌がガエル・ガルシア・ベルナルに似ているばかりじゃなく、その演技性においても通じるところがあるな。ここではレネケ・ルイテン&ケイト・リンゼイによる姉妹役もそれぞれに個性が際立っていてすこぶるよかった

 

もし推しの美点を挙げ出したらキリがないことは承知の上で、その最たるものを選べと言われたら「あまり性の匂いを感じさせないこと」は上位に上げられるかもしれない。どんな演出でもある程度の品性が保たれているというか、ほかの歌手では難しいだろう一挙手一投足がほどよく瀟洒なままで下卑にならないのは意識して出来ることじゃないから余計に

 

例えば『ドン・ジョヴァンニ』のような物語に対して色気やそれによる悩殺を施したい気持ちはよく理解できる。それは安易だし、そうした観客の内なる欲望を満たす箱としては持って来いの作品だからだ。しかしながら、たとえ演出家がそう意図したともそう造作なく卑俗の淵には堕ちないところが好きだ

 

だからこそ、この演出にどう対峙したのか観たかったんだよね。あるいは、もしかしたら「どう弄ばれてしまったのか」という言い方にもなり得るのかどうかを。あたら観られる可能性がないことが分かったから、引き続き赤ワインを飲もう。もっともこれはボルドーじゃなくカベルネ・ソーヴィニヨンだし、この希求が叶うことはないから妙薬じゃないけどね