いよいよ『カルメン』について考える夜が3夜も続いてしまいました。「どれだけ好きなんだ?」って、そんな逡巡など重ねるだに無駄なことです。そうだとて、誰しも人間は自身の欲望に抗い切れぬもの。どんな凡人とて同じこと。どうやらこの3夜の間に、彼女にすっかり当てられてしまったようだ

今夜考えてみたいのは"Seguidella(セギディリャ)"について。この歌は第一幕で歌われ、作中の重要な転機となる場面。自身が働くタバコ工場で殺傷沙汰を起こし、あえなく捕らえられてしまったカルメンが「後生だから助けて」とホセに頼むという内容です

 

これによってまんまと籠絡されてしまったホセは、それが懲罰として営倉送りになってしまう…。まさに「運命の歯車が狂う」ことを予言する展開となっている

 

この捕縛の段階で、ホセがもう恋に落ちてるのが分かる。それを可能にする演技力のなんと素晴らしいことよ。私にとってマリア・ユーイングこそ最高のカルメンかも

 

ここで重要になって来るのが、その「頼み方」です。こう書くとあまりにも平易ではあるものの、そこにはさまざまな頼み方があります。一例を挙げるだけでも「やや高慢に」、あるいは「しおらしく」ないし「かわいらしく」、しからずんば「情熱的に」、ともすれば「"女の武器"である涙を見せながら」、または「別の"女の武器"を使って」、などなど…

つまりは、あらゆる手段を用いた演出が可能といえる。それが意味するところは「作品上のひとつの山場」であり、すなわち見せ場だということです。それはカルメンにとっても、恐らくはホセにとっても。ホセは取り繕った生真面目さの中に情熱を燻ぶらせている、朴訥で不器用な男です。その胸中に抱く信念と野心を吹き飛ばすだけの「何か」が必要
 

 

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以下、私のお気に入りの「セギディーリャ」を淡々と貼付して行きます;

 

実際には舞台慣れしているロベルト・アラーニャが見せる初々しさに対して、これがMETにおけるリーディングロール・デビューとなったエリーナ・ガランチャの胆力はさすが!

 

カルメンの行動の制限が解かれ、その自由度が徐々に上がっていく演出が珍しくて面白くて目を見張らずにはいられなくて好き
 
最初から全力投球なカルメン。その心象を証付けるかのように物理的にもカルメンがホセを拘束してしまうという新しいパターン
 
 
これらのカルメンは大変な「やり手」です。それぞれ違うタイプのカルメン像でありながら、いずれも見事にホセの心を掴んでいる

それにしても、こうして改めて考察するだに、いろんなカルメンがいるものだ。時折うっかり縄が解けてしまっているようなアクシデントが散見されるものの、こればっかりはどうしようもないよね
 
 

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個人的には、
①カルメンを縛る手錠は縄で結ばれている
②その縄は長過ぎず短過ぎないほどよい加減
③しかも一箇所につながれている
④以上のことから、カルメンはうまく身動きがとれない
⑤そうした事実さえも逆手にとって駆け引きに利用するカルメン
⑥なるべく多くの表情を曲中で発揮している
⑨ちょっとした"からかい"をホセに仕掛ける余裕がある
⑧ホセの演技は"平静"→"うんざり"→"興奮"
⑨無意味に腰をくねらせるだけの踊りは、観客側としては観るに堪えないので却下
⑩最後の3音は、縄を解かれたカルメンの解放感を表わすために使われるべき!
のような点を重要視してる

 

これを観たら、しかるだにホセはうぶな甘ちゃんのように描いてもいいようにも思える。こればっかりは歌い手の技量によって変えざるを得ないかな。それこそ、カルメンが「かわいい」か「怖い」かに分類されるようにね、
 
 
上記の点を踏まえた私の「ベスト・セギディリャ」は、これかな。長縄ではなく牢を用いている点は残念だけれど、最初の"Carmen"の呼び掛けが諌めるような優しさがあったことは評価に値する。在りし日にハイアライに熱中し過ぎるあまりに神学校を退学になった人とは思えない…と、そう考えるだに、これこそが恋のなせる業なのかも

以上、雑多ながら「高慢と偏見のセギディリャ考」でした。この曲に対するさまざまな解釈が垣間見られて楽しかった。ここまで書いておいて恐縮ですが、実は作中でもっと好きな曲は別にあったりして。それについてはまた機会があれば、別の夜に