今夜この記事を書けるより素敵なことってないわ。『カルメン』が大好きなの。どれくらい大好きかといえば、それを言い尽くすだけでこのブログを運営できてしまうほど

かつて文学論のゼミを専攻して、その卒論の題材もプロスペル・メリメの原作小説を選んだ。どんな駄作の風評が出回ろうとも、彼女を目に納められるなら何処へだって行く。それくらいに好きなんだ

 

 

この"Overture(序曲)"を知らない人はいないのでは? それくらいに有名だよね。もしかしたらすべてのオペラ作品を通して、最も有名といっても過言ではないかも知れないな。以前の記事でも書いたとおり、私にとって作曲者であるジョルジュ・ビゼーは初恋の人。初めて耳にしたクラシックは、彼作曲によるB.P.O.の『アルルの女』でした。今でも不思議と好き。「いつも聴き馴らされた音楽大嫌い病」のくせに

もはやこの序曲を一端でも耳にするだけで、どんな時でも胸が弾む。しかし、全編を通して観賞した後に聴くと一転して胸が震えるという、ある意味では興味深い曲でもある

 

この曲の"あるあるエピソード"として、よく市民オケの編曲集なんかで、ギヨーム・テル→クシコス・ポスト→この曲(『カルメン』前奏曲)→天国と地獄(順不同っていうかヘタしたら掛け合いになったりする) みたいな構成があるけれど、あれほどに頭空っぽな演奏って、この世界中の何処を探してもないと思うの。「頭空っぽ」にお腹いっぱいだよ!

 

 

この『カルメン』という作品を成功させるキモは、何といってもその名前を題名に冠するカルメンが魅力的であること。これに尽きる。ただし、前日までの記事で取り上げたアイーダやミミに比べると、その目指すべき着地点は比較的多様であるように思う

 

こちらはオペラ歌手…というよりコンサート活動で著名なキャサリン・ジェンキンス。それまでずっと懐疑的だった金髪のカルメンをお気に入りにさせてくれたリタ・ヘイワースは魅惑的といったらなかった。その本流を汲む彼女は、あまつさえこの官能的な肢体と官能的なまなざし、ともすれば軽視されがちな美声を誇っている


とはいえ、私にとっては、カルメンシタには美貌なんて必要ありません。いかにその顔立ちが整っているかではなく、最も重要なのは"(一見すると母性さえ感じさせる)豊満な肉体"とそれに抗うような"自由気ままな放埒さ"です。かつて読んだコラムに「カルメンは"かわいい"か"怖い"のどちらか」とあった。うん、そうかも知れないね

 

 

別バージョン。突然のタンバリン芸にビックリ。そこも彼女らしくて好き。何度観ても「昔ながらの娯楽」に現代風の息吹きを掛けられて、ただ真新しく観客を熱狂させているところがスゴイ。それとしか評しようがないよ。この演出には恐れ入るばかりだ

以前に東京ディズニーランドでタンバリン購入にあぶれ、数年前には宝塚歌劇において件の条件に漏れた私です。恐らくと言わずに「タンバリン縁」がないのでしょう。彼女のコンサートで一緒にタンバリンを振れるなら何だってします。どうせ食らいつくことが出来ないご馳走なのに、それでも飢えが止まらないよ

 

 

実にいい、たまらなくいい。私にとってのカルメンの重要素はちょっと外見的には怖そうでありながら、ふと口を開けばかわいらしい声色を持っていること。まるで知的には見えないのに、常にまだ出会っていない一面を秘めており、男性にとって「底の知れない女」であること

 

「アイーダに求められるのは美貌」「ミミにとって重要なのは愛嬌」。この持論によれば、最もカルメンに課せられた条件の難易度が高いような気がします。それでもこの動画といい、先月初旬にあった同じくROHのライブ配信といい、続々と美才あふれる人物の傑出を望めたのだから、この世界は本当に層が厚いよね

 

 

もっとほかの登場人物のことも書きたかったな。主には、ドン・ホセとルカスことセスカミリーリョのこと。そして、何よりもミカエラのことをね。それにしても知れば知るほどに『カルメン』の世界って奥が深いよ。いつか彼女が勤めていたタバコ工場のモデルとされている大学にも行ってみたいな。まあ、そう言いつつも旅行嫌いの私のことです。恐らく行くことはないでしょう

ここで吐露することではないかも知れませんけれども、くれぐれも伊勢志摩スペイン村ことパルケ・エスパーニャにお運びの際はお気をつけを。周囲に何もありません、ただ「天岩戸」を除いては