いまいち新しい恋に積極的になれないバツイチのフリップは、その欲求不満が故に『高慢と偏見』の世界により濃密な官能を求めている。そんな折に駆け込んだ不思議なマッサージ・サロンで眠りに落ちた彼女を待ち受けていたのは、なんと件の名作に広がる18世紀のイギリス社会だった

 

そこで既に知己の仲であったMr.ダーシィと束の間の秘め事を楽しむものの、その後に目覚めて目にした幸福なはずの結婚劇は、まさかの悲惨な結末をたどっていた。その筋書き通りの大団円を取り戻すべくして、フリップは犬猿の関係にある英文学研究家のマグナスととともに、もう一度ペンバリーへと出掛けて行く

 

 

いまだ記憶に新しい『ブリジット・ジョーンズの日記』に著わされるように、かの傑作である『高慢と偏見』のダーシィ卿に憧れる女性は今日のように女性の自立が叫ばれる社会にあっても決して少なくないことと思う。これは私の個人的な感想だけれども『ジェイン・オースティンの手紙』において垣間見られるように、もしかしたら「彼女自身にとってもまた理想の男性像であったのかも

 

しかしながら、その題名に決定付けられているように、その原作とはじめて邂逅した際にまだ社会人になって間もなかった私の目にはダーシィ卿は些か利かん坊のきらいのある一生を捧げるには到底不可能な相手に思えたものだ。それよりも『エマ』において、どうしようもなく手の掛かる主人公を父親のように叱咤してくれるナイトリー氏の方にこそ強く心を奪われた

 

それらの符合するところ即ちジェイン・オースティンの描く世界観とそこに登場する人物たちの魅力の素晴らしさと言えるのではないだろうか。そもそも主人公からして異なる性格ながら曲者揃いなのに、全員に感情移入させる筆力は本当に見事の一言だ。さまざまな名作を生んだ英国文学史上で今なお世界中の人々から愛され続ける理由がよく分かる

 

 

とは言え、かつては"Lost In Austen (ジェイン・オースティンに恋して)"に釘付けになったこともある。それを皮切りに、これまでに様々な『高慢と偏見』のパロディを観賞して来た。それらの中にあって、これほどまでにページを繰るのに骨を折った作品はなかった

 

そもそも今作の主人公であるフリップは、前述のように既にMr.ダーシィとの間に刎頚の交わりを深めているクイラン夫人として、彼と婀娜なる展開を迎える。しかしながら、それから先はそんな濃艶な情事などは存在しなかったかのような打って変わったコメディ路線で物語が進んで行くので、これを果たしてロマンス小説と呼び得るのかどうかは疑問だ。そこに救われた部分も大いにあるとも言えるかな

 

個人的には『高慢と偏見』の派生上の作品として辛くも読了したものの、そうした二次創作品にもポルノグラフィやあるいはジャッロからも遥か遠くの場所にある。恐らくは、「なんとなく作者が思い付きとその勢いで書いた情欲的展開を辻褄を合わせるために長編に改悪させたのでは?」と邪推してしまうほどに

 

 

元祖スクリューボール・コメディとも謳い得るこの作品に重ね合わせた主人公のフリップと彼女を軽んじながら結果的にその力になるイギリス紳士たるマグナスが織りなす軽妙な会話やその掛け合い自体は興味深く楽しんだ。特に、その最終章に至っては余すところなく描き出された風景が瞼に浮かび上がって、あんなに視線で追うだけでも苦痛だった文字に、その世界観ごと脳裡を占拠されてしまったほど


これは旧来から連綿と続く不変的事実として…いつの時代においても面白い作品と言うものは、その辻褄が多少合わなかったところで、あらぬ求心力を失ったりはしないものだよね。どうしてかしらん作品中に点在する矛盾に負けるとも劣らぬ惜しみない引力で以て読み手であるこちらを屈服させてくることさえある。それはまるで理性に抗って恋心こそが勝る作中における出来事を擬えるように

 

そういう意味においては、これまでに同作品から派生したパロディないしオマージュの中で、最も矛盾を孕んだ『高慢と偏見とゾンビ』よりも優れた「再現」はないと言い切ることも出来るかもしれない。今後また機会があれば、この作品についても触れてみたく思う