国王からの信頼を受けた妻子ある身の伯爵と、彼に愛された女優ナナの物語。原作は、エミール・ゾラ

 

 

――"僕と一緒で後悔しない?"
――"あなたと過ごさなかったいままでの方が悔やまれるわ"

 

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昨今ではこうした「男性諸子を惹き付ける才能を生まれながらにして持つ自由奔放な女性」のことを「小悪魔系」と称するらしいけれど、その表現に則るのならばナナこそは紛れもなく悪魔である。彼女は至高の自由を求めて、それを最も端的に具現化する方法を知っていた

すべからく女性というものは自分に対して注がれる愛の真価を量ろうとするものなのに、彼女にとっては自身が理想とする世界を守ってくれる愛情表現の方が大切で、彼らが注いでくれる愛はその付属物のようなものだろう


この映画の中にはたくさんの登場人物が現れるものの、私の目には誰一人として魅力的には映らなかった。しかしながら「じゃあ、これはつまらなかった?」って訊かれたら決してそういう訳じゃない。それどころか、お酒の力に一切頼らずに集中力を保つことが出来たほどに、この作品は面白かった

そもそもこの物語自体とそこに表されている主題は、とてもありふれているものだ。
もしかしなくてもこの映画が撮られた1930年代には画期的だったアプローチ方法は、長い年月を経た現代となっては、他に使い古された古典的手法になりつつある

だのに、全然飽きさせない。それは一本の光線のように貫かれたこの作品の核とも呼ぶべき部分を取り巻くさまざまな要素のすべてがきちんと確立されていて、しかも巧妙であることの証拠だ


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ひとつの映画としては充分な作品になり得るこの2時間強を使っても、人間の生き様を表現するには難しい。ましてやそれがこの人生の命題にふさわしい愛や自由というもの、それに特化されるならば、なおのことだ

そういった意味では、この作品の2時間は短かったかも知れない。ただ、先述のようにナナの愛の在り処が――自分の理想とする世界やそれを可能にする金銭、それらを包括した自由、あるいは伯爵、それらの何処かに――実在したとするのなら、その所在をめぐっては解釈の分かれそうなところではある

その点についてを言及しようとするなら、ただ男女二人が縺れ合いながら堕ちて行く様相を「これは愛かな、それとも違うのかな?」という程度に匂わせるような見せ方は容易に出来ることではないだろう
 

 

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いずれにせよ、この映画はあの様に幕引くべくして終わるのだ。それ以外には出来ない、ああするよりほかになかった