巷には"An ABCs of Opera(オペラのABC)"という言葉があります
最近では、より一層それを意識するようになりました。なぜならば、昨今立て続けに『カルメン』と『ラ・ボエーム』が映像化され、さらに『アイーダ』に至ってはミュージカル化によって新たな人気を博しているから
個人的には「セリア(いわゆる悲劇)」より「ブッファ(同じく喜劇)」の方が好き。どちらかと言えばドイツ語圏産作品が好きです。恐らく現代の、それも日本においては、すなわち前文は、「私はモーツァルト厨です☆」と言っているのと同義になるのだろうな…
確かに『ドン・ジョバンニ』のことは大好き。そこから翻案された「ラ・チ・ダレム変奏曲」も無論のこと愛聴しています
何が言いたいのかと言うと、これまで「あまりに上記の"オペラのABC"と謳われる存在を軽視してしまっていた」ということ。周囲の人間をオペラ観賞に誘おうとして、一体もう何度『ドン・ジョバンニ』のあらすじを語ったことか
その都度に、
「とんだ人間の屑が主人公の作品とか観たくないんですけど?」
「っていうか、エルヴィラってダメンズ過ぎて笑える」
「ぜんぶ主人公の自業自得」
「どんなイケメンだとしても"ない"わ」
「それ以前に"動く石像"とかキモくね」
……などなど、
ある意味ありがた過ぎる感想を得るばかりで、誰一人として「奥様、お手をどうぞ」とは言ってくれないのであった
そうだよね、私が何も知らずにこの説明を受けても「観たい」と思えないだろうな。あるいは、彼のように言葉巧みで話術を得手としていたら、また話は違ったかも。でも、私は特に秀でた美点を持たない凡人に過ぎないのだ。そうだとすれば、あまり乗り気でない人々の視覚と聴覚を強制的に奪う以外に方法はないではないか?
それこそ、ドン・ジョヴァンニが数多の女性たちの心をそうして来たように
いくつもの名演、それでなくても音質や画質ともにより優れた動画はあったにも関わらず、こちらを選んで貼付したことには理由があります。それはひとえに「ドン・ジョバンニが魅力的であること」
唐突ですが、誰をおいてもドン・ジョバンニの外貌には心惹かれる要素がそこかしこにあふれていなくてはなりません。そうでなければ、たとえばレポレッロの忠誠心についてはもちろん、ほかならぬエルヴィラの恋心を奪って、あまつさえマゼットを怯ませ、あろうことか新婚のツェルリーナを籠絡する展開に説得力が生まれないと思うから
こんな身も蓋もないあすけな文章を恥知らずにも書き連ねる、この身には「地獄落ち」がお似合いだよね
「どんなイケメンだとしても"ない"わ」って感想が浮かぶ理由も分かるよ。でも、もし仮に主人公に魅力がなかったとしたら、こんななりゆきはそもそも「有り得ない」ように思われてならないんだよ
それは何も顔立ちのことだけを言っているのじゃなくて、この堂々たる立ち居振る舞いやそこからにじみ出る自信、そして、何よりも手練手管に長けた貴族としての風格は大切
そのまなざしに宿る好色は並外れたものでなければならないし、「その手をとれば、さぞめくるめく甘美な世界が待ち受けていよう」と、あたら新婦の脳裡にすらつけ入る「雄弁な余白」がなくてはいけないよね
そうだね、要するところ外貌の良さは邪魔にはならない。しかしながら、その見目麗しさを持たずとも充分な歌声と演技性で説得力を持たせ得る珍しい役柄こそがこの「不誠実男」の本懐と言えそうだ
加えて、どうしてもドン・ジョバンニという人物の構成比として、
貴族としての地位に物を言わせる < 老若や美醜を問わない好色振り
となっていて欲しいとするごく私的な我が儘を求めていい人物でもある。その方が政治性なく、ただ頭を空っぽにして聴き入れるからっていうのもあるかな
どんなに言い繕ってもエルヴィラを憂き目に遭わせ、さらにはドンナ・アンナの父を手に掛けたという事実は擁護し得ません。だからこそ、実際に観客の前に立つ彼には理屈では立ち行かないのに、なぜか目で追い耳で聴くことをやめられない魅力を持っていて欲しいんだ
それがドン・ジョバンニをプレイボーイたらしめんとする由来だからこそ
ここまで人物像について掘り下げさせるとは、数多あるオペラ作品にあってドン・ジョバンニは本当に稀有な主人公だと思います。ほかのオペラの登場人物中のいかなる男性にも、こんなに思い馳せたことがありません。どちらかと言わずとも、やっぱりオペラの主役は女性だって思うから
それだけに、なんとなく女性主人公に対する観察眼は厳しくなってしまう…
明日からは「オペラのABC」について高慢と偏見を翳して行こうかな。何となく恐れ多いし、やっぱり止めようかな? 今や絶賛三十路街道まっしぐらなのに、てんで能天気な人間に評される登場人物のあわれさといったらありません
こんなあんぽんたんの書くアイーダ評でよければ、明日もご覧くださいませ