最近よく伺っているブログにおいて「この10年間を飾った主題歌」として、それぞれの年を通して最もよく聴いた曲が貼付されていた

 

これは素晴らしい試みだ。巷の通説によれば、"どんなに励みがたい試みも、他人を真似すれば概ねはうまく事運ぶ"。何よりも、音楽は雄弁だ。ちょっとおしゃべりが過ぎたかな

 

 

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《2000》

東京ディズニーランドのミレニアム・カウントダウン・パーティで耳にしてからというもの、この曲のことをどうしても忘れることが出来ずに、この一年間を通して聴き続けた

 

《2001》

この人のことが心の底からただ好きだった。誤解を恐れずに言うなら、本当に愛していた。たとえ世界一美しい人であっても、その歌声が無二でないなら、誰にも興味など持てない。彼女は、その一挙手一投足が織り成すすべてがすべて、言いようもなく美しかった

 

《2002》

今ここに挙げた数曲、そして、これから連ねる十数曲の中でも一番聴いたんじゃないかな? それくらいに、彼らの虜になっていた当時は、まるで歌詞の意味なんて知らなかったよ。その後に大学でスペイン語を履修しても、まだ分からなかった。私がこの歌詞の意味を知るのは、南欧や中南米系のコミュニティと知り合ってからだ

 

《2003》

先日消える前の記事に書いた258MBのmp3プレイヤーで繰り返し繰り返し聴いていた。これから彼らの音楽とは本当に長い付き合いになることなんて、まだこの時は知らずに

 

《2004》

この曲に似た曲ってたくさんあるけど、彼の声は唯一無二だって気がするよ。この頃は洋楽チャートだの有線だので、それこそ一日中これを聴く日が何日も続いた

 

《2005》

私が不道徳なことをするいつの時にも、この曲は共に在った。この音楽と一緒に学んだ、文字通りにきれいなものもキタナイコトも

 

《2006》

毎夕から歌舞伎町に出勤するためには欠かせない"相棒"。今でもこの曲を聴くだけで、この胸は締め付けられて言いようもなく苦しさを覚える

 

《2007》

昔にmyspaceってSNSで、「この曲が好き」ってポストしたら公式から返信が来た。それが本人だと思って舞い上がっていた当時は知らなかったんだ、この歌声が地上から消えて久しいこと、彼女が既に亡くなっていたことを

 

《2008》

この曲のことが大好き過ぎて、どこでも本当にどこでも聴いていたよ。毎日の通退勤の電車内で、TDRへ行く道すがら、そうして園内でもイヤホンを外せずに

 

《2009》

頭がおかしくなるくらいに引っ越しが続いて、唯一の慰めが音楽だった。これと同じVHSを繰り返し観続けた。そして、それは壊れた!

 

《2010》

「急に何!?」って感じだよね。でも、ブリちゃんは復帰後の方が断然好き。この曲が収録されたアルバムは、ほかの曲も皆お気に入り。"Rader"とか。お偉いプロデューサーを憤怒させたPVでお馴染みの"Piece of Me"とかね。彼女のハシバミ色の瞳が大好きだよ、その笑顔も話し方も永遠に見ていたい

 

《2011》

どんなに詰られても構わない。交響曲に第二楽章なんて不要だよ。でも、それがベト7なら声高な主張さえ鳴りを潜めざるを得ない。どちらかといえば、最後の一小節はさりげなく絞られるのが好みだ

 

《2012》

いつもワークアウト中にヘビロテ、これを聴くだけで都会は大自然に変わる。自分が大いなる歴史の中の一塊だと思うだけで、どんな苦境さえ楽園だった

 

《2013》

「自分が愛する人々にしてあげられること」を模索し続けた一年だった。この曲がなければ、とっくに挫折していたはずだ。今後誰を失うとしても、この時のことを思えば耐えられないことはないだろう

 

《2014》

ここで歌われている歌詞の通りに、朝の光を避けて夜を楽しく過ごす時のお供だった。今となってはどうしてこの曲にこんなにも惹かれたのか分からずにいる。でも、いつだってその時にだけ有効なめぐり合わせや縁はある。恐らく恋と同じように

 

《2015》

初めて観た時もそう言われてからも、どれがセルゲイ・ポルーニンだか分からない。私は整った顔=覚えられないの符号から逃れられない。未だに夫の顔すら怪しい。でも、彼(ポルーニン)に関して言えば、その理由はいつ見ても顔が違うせいだと思う

 

《2016》

甥が生まれて、「なにか情操教育にいいものを」と考え、安易にモーツァルトに走った。それまでくだらないと思って来たオペラをもう一度愛させてもらえたのは、彼のおかげ

 

《2017》

どれでもブラームスの交響曲は好きなのは当然として、この時は第二番をよく聴いていた。どうでもいいんだけど、私がクララなら第一番四楽章を聴いた瞬間に「あー…この人私のこと好きなんだ…」って思うと思う。終演後の楽屋でどんな顔をしたんだろう。私なら気まず過ぎて何も言わずに帰っちゃうな

 

《2018》

ピアニストである友人の演奏会で、この曲を知ってから、もうずっと心奪われたまま。

前年に自宅から10分の本社に栄転して、通勤の際には"La Danza"を、そうして退勤の時にはこれを聴いていたので、折角ならば気持ちよく酔える方を。

 

《2019》

長らく「テレビを点ける」って習慣がなかったものの、この年の初めに仕事を辞めたから。たまたま電源を入れた時に映った歌番組で流れていたこの曲に一瞬で釘付けになった。皆素敵だけど、特に右から二番目の人は踊りが超絶に巧くて…多分、北公次さんかな? 願わくは、この年代に生まれたかったよ。私もこの会場でキャーキャー言いたかった

 

《2020》

あまりの様変わりのしように、自分でも驚かされている。我が子が喜んでくれるから、私はこの曲を常に歌っているし、そうでなければただ流す。いずれにせよ、これまでも雑多だったプレイリストは今や無法地帯と言ったっていいよ。恐らくは、来年も未知の世界に振り回されていることだろうから

 

 

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こう一覧にすれば平易でも、私にとってはどれも思い出深く物語性に富んだ曲たちだ。ただ思いがけず耳にした瞬間にたちまち恋に落ちて、そのたびに悔いるんだ。その曲をまだ知らずに生きて来たそれまでの日々を

 

"どうして聴き続けるのか"――"なぜ恋し続けているのか"は、それぞれの曲によって違うから一言では語り尽くせそうにもない。でも、最も顕著な差異があるとしたら、それはそれぞれの曲を聴いた媒体かも知れないよ

 

今の若い世代に"mp3プレイヤー"なんて言ったら、目を丸くされるのが関の山だろう。あるいは、総容量285KBだって素直に打ち明けたら、もしかしたら感心さえ買えるかも

 

いずれにしろ、今はいい時代だ。すぐに観たいものや聴きたいものが手に入る。願わくは、それが望外に便利だって事実を忘れずに生きて行きたいものだ。自分に託された"利便性"という名の恩恵を噛み締めながら、一方では音楽を聴くことに汗も掻けたらいい

 

もしかしたら何よりも素敵なことかも知れないよ。富豪であることより名声を得ることより、そのバランス感覚に長けることの方がもっと