年末から年始にかけて、痛ましくも悼むべき訃報が続きました。これまでさまざまな著名人の悲報に触れて来たけれど、こんなにもその一つ一つが身につまされた年のことを今年より前に思い出せない

 

 

先の師走の初頭にはデイヴィ、ピーターに続いてマイク・ネスミスが亡くなった。

これで4人組であるモンキーズのうちの3人が鬼籍に入ってしまったことになる。

人間誰しも自分の寿命を決められぬように、どのファンも"推し"の寿命を決められない。もし私が決めていいなら、永遠に生きていて欲しいよ。それは誰しものファンの願いだ。「6時の目覚ましが鳴らなければいいのに」

 

 

それに前後して逝去したのは作家のアン・ライス。彼女の代表作といえば、いわずと知れた『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』だけれど、原作から映画化に伴う配役によるいざこざも同作の知名度を高める一因となったかも。今もしリメイクするなら…誰が適役だろう? エズラ・ミラーならうまくやってくれそう

 

 

大晦日には、およそ2週間余りで100歳を迎えるはずだったベティ・ホワイトも帰天した。彼女は…何年歳を重ねようともいつまでも同じ面影、それはまさに永遠の少女のようだった。けだし神田沙也加さんも同じような足跡をたどるものと信じて疑うことすらしなかったのに。こちらは大往生だった訳だから、何が人生の明暗を分けたものか本当に分からない

 

 

『ペーパームーン』の監督および製作で知られるピーター・ボグダノヴィッチと、

アフリカ系アメリカ人として初めてアカデミー主演男優賞を受賞したシドニー・ポワチエも同日にこの世を去った

 

この映画が公開された当時を知らなかったので『ペーパームーン』を観る前までは本当にテクニカラー導入より以前の作品なんだと信じて疑ってなかったし、かたや『ポーギーとベス』を観た時には、まさかこんなに製作年が古いなんて考えてもみなかった

 

いずれにせよ、どちらも後世に残すべき傑作であることには変わりがない。どんなに時代が移り変わろうとも人々はこれらの作品を観て深い感慨に浸ることだろう。無論それぞれからもたらされる感慨の種類はまったく異なるものであるにしてもだ

 

 

またオペラ界からも巨星が一人、私にとってマリア・ユーイングは理想的なカルメンだった。以前の記事でも書いたとおりに、このカルメンという役は誰もが認め得る大変な難役だ。謹厳な生き様を標榜する一人の男に人生を狂わせるだけの魅力に説得力を持たせるのだから

 

彼女の歌声はもちろん瞳の輝き、完璧なロープ捌き、木偶の坊のあしらい(!)に至るまで、すべてが珠玉と呼ぶべき設えだ。「最後の日」にこのカルメンを観たいと思う人は多いはず

 

 

彼女と同日に他界したボブ・サゲットはコメディアンかつ監督も俳優もこなす多彩な人。そこに「だった」と付け加えなければいけないのが本当に残念だ。日本では『フルハウス』のお父さん役としてお馴染みだよね。私にとってもそうで、毎週バレエから帰って来るとNHK教育テレビを点けるのがお決まり。同級生や姉妹たちは「ジェシーおいたん」に夢中だったけれど、私はいつだって真面目でやさしくて少し不器用ながら愛情深いダニーが好きだった

 

そして、その面影はそのまま私の理想の異性像の始祖になった。もし幼いあの頃に彼に惹かれることがなかったら、ジャン=ユーグ・アングラードを好きになることもなかったし、夫と結婚もしなかったかも。今目下『フルハウス』を観直していて、何とも言えずに甘酸っぱい気持ちになる。そうして大きくなって、彼のコメディアンとしての猥談を知った後でも

 

 

ベティ・ホワイトの訃報に次いで、まさかジャン=ジャック・ベネックス監督までとは…。「同じ俳優は再登板させない」はずの彼は『ベティ・ブルー』と『青い夢の女』の2作品でジャン=ユーグ・アングラードを起用してくれた、まさに盟友と呼ぶべき存在だった。その理由として、『ベティ・ブルー』撮影時に監督と付き合っていた主演のベアトリス・ダルと恋仲にならなかったおかげで信頼関係が生まれたとか…

 

彼といえば、先述の『青い夢の女』のコメンタリーが印象的だったな。そこには監督としての歓びと苦悩が詰まっている。もしかしたら本編より見応えがある(?)あの、緑のキリンを見付けた時のジャン=ユーグの表情を見たくて、何度も観賞しちゃう。『王妃マルゴ』と並んで、私にとって本作は人生で最も多く視聴した映画のひとつだ

 

 

そして、あろうことか昨日にはギャスパー・ウリエルまで天に召されてしまった。

彼の死因や享年など、同じく不世出の俳優といえたギヨーム・ドパルデューと重なるな…

 

 

 

彼らの死が堪えるのは、彼らが不世出な才能を誇っているからって訳じゃない。自分とは縁遠く見知らぬ世界に居ながら一生懸命に生きて来た「誰か」の人生の終幕を

見届けるのが辛いからだ。それ以上に、この世界には唐突に終わる命や誰に看取られることなく閉じる人生がある。その存在を想起させると共に、そこに介在し得ない不甲斐なさを感じるのが大変に悲しい

 

もし出来ることなら、この世に生けるすべての人が幸せに生きて天寿を全うしますように。今般に亡くなったすべての故人たちの死後の幸いを祈って止まない