ここ最近ずっとVangelisのことばかり考えていたら、彼が大いなる遺勲を残してくれたトゥモローランドの音楽について、ふと思い馳せたくなった。それは無理からぬことだ、何故ってあの空間を彩るIDMは、どれも本当に最高だから

 

その中でも選りすぐりをここに貼付しようとしたものの…どれも名曲ぞろいで如何せん難易度はスペース・マウンテン並みに高かった。どうでもいいけど、あのスペース・マウンテンの最初のエスカレーターでムーンウォークすると上手に出来るよ。もしまだ試したことがない人は(閑散期を狙って)挑戦してみて

 

 

ああ、このサムネはいいな。こうして一瞥するだけでこの心は踊って、そのままこの場所まで本当に飛ばしてくれそうだ。とは言え、この場所を通ることってあまりないな。最近では「映えスポット」として混雑していることが多いし、それに何よりも私はファンタジーランド側から眺めるスペース・マウンテンが大好きなんだ

 

この曲自体は、かつてニューヨーク万博でお披露目された「カルーセル・オブ・プログレス」のための書き下ろしを編曲したもの。恐らく彼らの手掛けた楽曲の中で最も有名なのは「小さな世界」だろうけれども、個人的にはシャーマン兄弟の作品の中で「ミート・ザ・ワールド」の次に好きだよ

 

 

皆大好き、Air。我が国において知られているとすれば、それは『ロスト・イン・トランスレーション』の影響も大きいのかしら。あの映画は観ていないけれど、そのOSTならよく知ってる。自分にとって最も愛聴したCDのひとつと言っていいんじゃないかな

 

彼らバンドの特徴として言えるのは、とにかくジャケ写が素晴らしい。そこに収録された曲はそのすべてが秀逸で、所謂"捨て曲"が存在しない。とにかく思い付く限りにおけるすべてが完璧なんだよ。もし生まれ変わって趣味や嗜好が変わったとして、いつかアールグレイ&キューカンバーの香りに愛想を尽かす日が来るとしても何度でもブラームスの交響曲第2番とAirに恋するだろう

 

 

何度となしに来日を果たす親日家としても知られるデイヴ・グルーシンの曲は、このトゥモローランドにおいて数々聴くことが出来た。でも、それらの中に、こんなに心を舞い上がらせるほどのてらいがほかにあったかしら? そうでありながら、さらに心の隅々まで沁み渡るような広汎性も兼ね備えているっていうのに

 

私は音楽にまるで詳しくないけど、もしそれらに精通していたとしても、やっぱり魅力を感じずにはいられなかったとさえ思うんだ。たとえTDRに無関係な場所で聴いたとしても、この"何かの始まりめいた"序奏の虜になったはず。残念なことに私がかの地の年パスを手に入れるより前にこの曲は流されなくなってしまったけれど、もし叶うことなら毎日聴いてフレンズとして手を取り合いたかった。この際仕様がないからストレンジャーとして楽しむことにするよ、そうするよりほかにない

 

 

"どっち"の曲にしようかって、そりゃあもう死ぬほど迷った。この"どっち”の意味は、かつてトゥモローランドに通い詰めた人なら絶対に分かるはずだ。いや、分かって欲しいよ。この人生を書いて字のごとく狂わされるほど愛した者同士である私達だ。そして、これが最も大きな問題なのだけれども――その中の誰一人として、そのことに問題を感じていない。そればかりか許多の感謝さえ捧げたいと思っているくらいだ

 

そんな二者択一からこの曲を選んだ理由はたったひとつ。だって、私達は話し合ったりなんかしなくたって、あの夢と魔法の王国の中で"行きつけの場所"が運命付けられている。それは時には呪縛のようなもので、自らの意思なんかでは到底抗い得ないけど、そこがいいんだ。先達て貼付したデイヴ・グルーシン同様に今日でも精力的に来日してくれているデイヴィッド・サンボーンの生演奏を聴く日も来るかも

 

 

そうだよね、この曲は最高にいいよね(唐突な同調圧力)。特に導入部が印象的だから夫と結婚後に同居を始めてから当時のiPhoneがオシャカになるまでしばらくの間ずっと彼専用の着信メロディに設定してたよ。「どんなにうるさくても聴き逃すことがなくてちょうどいい」って考えてのことだったと思うけど、いかんせん耳を傾けたくなり過ぎて通話を逃してしまうこともしばしばだった。うーん、これはIQ2だね

 

一般的に大別すると絶対音楽と標題音楽があるように、これらIDMもその例外を数えない。その上でさらに分類化するとしたら、その音楽の持つ特質上どうしても宇宙や天体もしくはそれらに纏わる主題が多いことは紛れもない事実だ。特にアンドレアス・フォーレンヴァイダ―はそれが顕著だし、そこが素晴らしいよ

 

 

先達て「その音楽的特質上ゆえIDMには宇宙や天体を主題に据えたものが多い」と書いたけど、もしこの地上に場所を限定するなら最も注視された題材は日本じゃないかな。それは他国に先駆けて冨田勲やAZUMAこと東祥高ら国際的にも著名なシンセサイザー奏者を輩出したことに加えて、これは個人的な意見として日本製電化製品の流通や我が国のそうした時流に伴う経済大国としての台頭と躍進があったことも遠因のひとつだって思うよ

 

前述した作曲家の中に親日家が多いのもそうした理由が挙げられるとはいえ、彼のように永住してしまうほどの人はそういないはず。しかも、こうして尺八を演奏するのみならず創造してしまえるんだから。つくづく「天は二物を与えず」なんて優しい嘘に過ぎない

 

 

その半生を宇宙に委ねたといっても過言ではないレナード・ニモイは監督や俳優としてだけでなく、いくつかのレコードを残している。それらの中で最も著名な作品を訊ねられたら、全員が待ち望んでいるような最適解は知らない。でも、私にとってはこれこそが答えなんだ。たとえ世界中が"NO"って言っても”YES"を叫び続けられるよ、この曲のためになら

 

(トゥモローランドをかたちづくる)最後の曲として貼付した理由は、「これこそがトゥモローランドだったから」。これまでもそうだし、それは今後も変わることがない。もしこの世に不滅のものがあるとしたら、それこそがあの場所を揺蕩う音楽への渇望だって気がする

 

 

この曲はもちろんトゥモローランドで流れている訳じゃない。そのことを全世界の大半が知ってるなんて、なんだか妙な気分だな。もし街角を行き交う人々に「ディズニーランドの音楽といえば?」って訊ねたら、これを挙げる人は多いだろう。この曲が1960年代に産み出されたなんて嘘みたいだ、あのビートルズと同じ時代になんて

 

それに対しては感謝しかほかに述べようがないけど、今こうして聴いてみるだにやはり実験音楽の域を出ないことも否定しようがない事実と言える。かくてディズニーが、この音楽に、洗練を授けた。この作曲者の一人であるガ―ション・キングスレイは"ポップコーン"でも有名だね

 

 

さらには東京ディズニーランドを飛び出して、どっぷりIDMの世界でも。そういえば、まったく話題が変わるんだけど、元来が古臭い人間だからもともとワイヤード(有線)のイヤホンが好きだったんだよね。その長らく不変だった嗜好が動いたのは、何年か前の芥川作曲賞から帰途の最中のことだ。当年の受賞曲だった『ダミエ&ミスマッチ J.H:S』に対する冷めやらぬ興奮から力み過ぎて、ふと気が付けば有線のイヤホンは無線のそれになってた。この事実だけ書くと単純に"やばい人"なのが困ったところだけど、最も困るのは実状がそう変わらないってこと。あーあ

 

それからというもの、あたら気は進まないながらも何とか進化をたどってはいるんだけど、現在に至るまで完全ワイヤレス化を成し遂げるまでには至っていない。だってさ、なんかさ、あれってアート・オブ・ノイズの「ロビンソン・クルーソー」みたいじゃない? あれを耳に装着して、これ以外の音楽が聴こえて来たらガッカリどころの騒ぎじゃない。もう無線のイヤホンに有線生やしちゃうレベル。そんな訳あるか

 

 

さまざまなIDM界隈が誇る作曲家たちの中でも、特にLes BaxterとTipsyはお気に入り。両者共に捨て曲がないばかりでなく、(いつも聴き慣れた曲を耳にすると死んじゃう症候群を重篤に患うこの身でさえ)文字通りに聴けば聴くほど味わいを感じるから。そのバンド名のごとく"ほろ酔い"で聴くともっといいのかもだけど、毎晩を酩酊で過ごしてる立場からするだに、それについてはいささか保証しかねるな

 

ここには本当は"Suez Motel"を貼付したかった。あれはジャケ写の不気味さと音楽性が一致してて、ほかに類を見ないほどの総合芸術として完成されてる。個人的にジャケ写は大きな意味を持つんだよね、あとで「好きなジャケ写特集」でも組もうかな

 

 

これはこの曲とジャケ写が震え上がるほど好き、例えば「これを題材に小説を書くか即興劇をして」って言われたら涙を流して歓ぶレベルで。個人的に有史上の天才と考え得る人物はそう多くないけど、まず間違いなくアルバート・アラン・オーウェンはその一人として挙げたい名前だ。だって、こんなに気持ち良く酔わせてくれる人がほかにいる?

 

何度も何度でも聴きたくて、昔は常に持ち歩いてるmp3プレイヤー(!)の中に入れて持ち歩いてランダム再生して…いつの時にも「いつ聴けるかな」って楽しみにしてたよ。今はそれをYou Tubeで聴くことが出来る、つまりは「いつでも」「どこでも」っていうのが叶ったのと同義だ。それこそがHigh Life、もし小学6年生のCDをカセットテープにダビングしている自分にこんな未来の訪れを話したらきっと気を失って倒れちゃうと思う。それも『独立少年合唱団』の康夫みたいにだよ

 

 

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以上、「明日の(何処かでも流れていてほしかった)トゥモローランド(の音楽)」でした。もう何処にも存在しないものを愛でることが愚行なら、この世界に生きる半分は愚者になるよ。現状に適応するか復古を思い馳せるかは、個人の力量に任せてもらいたいものだ。それこそ音楽の力よりほかに可能にするものはないのだから

 

 

 

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(※『愛の妙薬』の序曲を口ずさみながら打ったから、今後も同じ長さになるはずなんだ)

 

(+8/8追記;

 

「これさ、もうファミコンにしか見えないよね?」って書こうとして忘れてて、結局我慢出来なくて追記しちゃったっていう

 

とはいえ逗宿先だしラップトップ持ってるけどマウス不携帯だしで不可能を決め込んだところで、まさかのタッチパネル式だったっていう。この新しい相棒と来たら、まさかの機能で驚かせて来る。まさに未来…!