随分と久し振りの更新になってしまいました。毎回こんな書き出しのような気がするから、これがもはや通常運転かも。この数ヶ月の間に我が子は幼稚園に入学し、自分なりにちょっとずつ社会との付き合い方を学んでいるようです。先般のコロナ禍で在宅勤務に切り替えていた夫も徐々に出勤日が増えてきて、かつての日常が戻ってきたかのように慌ただしそう。私はといえば、今後我が子がお稽古事を始めることを見越して、これまでまったく無縁に生きてきた自動車免許をついに取得するに至りました

 

そもそも高校生の頃から夫と付き合っていたし、そのまま都内で就職したことから必要性に迫られずに生きてきた存在に、まさかこの年齢にして対峙する羽目になろうとは…。周囲は10代ばかり、ともすれば教官でさえ年下な場合がある教習所に通うのが辛かったこと辛かったこと。だって高校も大学も合格圏内を選んで受験勉強なんかしたこともないほど努力が嫌いだし、それに対して後悔もないままここまで来たし、これまでの人生で何一つ頑張ったことなんてないまま年月だけを重ねた社会不適合者にはいささか荷が重すぎた

 

なんとか教習所へ通い続けるために髪型や髪色を変えてラウンジフライと靴を新調し(形骸から入る浅はかなタイプ)、さらには文房具と調味料を毎日買い込むことでようようモチベーションを保っていました

 

そして、ほかのどんなことよりも「明日も頑張ろう」と思わせてくれたのは、無論のこと音楽だった

 

 

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自宅から小一時間近く掛かる教習所までの道のりを送迎に頼ったのは数日だけで、あとは徒歩で往復した。孤独な道を歩き通す心に寄り添ってくれるプレイリストを作成したものの、そこから漏れてなお聴く必要があった我が子のお気に入りの一曲。この曲を聴く度に「あの子のために頑張らなきゃな_(´ཀ`」 ∠)_」と沈んだ気持ちを鼓舞するに至った

 

誰かのために何かをしようと思うなんて、これまでの人生で考えたことさえなかった。この年齢になっても真新しい「はじめて」と出会えることも

 

在りし日によく聴いては、何かと元気付けられた曲だった。もし「この曲があったから頑張れた」と話す機会があるとしたら、これ以上の存在はない。どうしてそのことを忘れていられたんだろう。当時はベストカップルだと信じて疑わなかった2人がちぐはぐに見えるほど遠くに来てしまった

 

いつだって何かを変えようとする時に、私達は自ら獲得して築いた経験をその糧に動き出すのだ。「自分はこれまでもうまくやって来たし、そうでない時は失敗を克服してきた。だから大丈夫だ」って。けれども、それを可能にするのは純粋に愛や青春を追い求めた健全な十代があったからかもしれない。だからこそ彼女たちを眩しく思うのかも

 

みんな大好きオタヴァ・ヨ。確か7年前くらいに来日した時に興奮状態でチケットを押さえたのに、あたら残業で行けなかったことを今でも悔しすぎて夢に見る。それほどにお気に入りだったバンドは、今なおこの心の一角を占めているようだ

 

この音楽を聴けばお分かりのとおりにロシア出身かつその民族意識に依拠した音楽で活躍を見せる彼らにとって、昨今の情勢は極めて活動しにくいに違いなく、実際に国際的な知名度ゆえに多国にわたる興行はキャンセルの一途を辿っているようだ。たとえ国同士が敵対していたとしても文化的に手を携えられる我らであるはずなのに

 

もともとイタリアはナポリ民謡から着想を得たとされる"Chella lla"は、それが挿入歌として使用された映画のヒットによって北イタリアやスペインでもカヴァーされ、さまざまなアレンジが施された。この歌詞を歌いこなした歌手の中には男性も女性もあった、私にとってはDalidaこそが至高だ

 

この歌詞にも登場するように、自分にとって得意じゃないことや不得手とすることにも心を砕けるのが愛なのだとしたら、この世のすべての父母やそれに代わる人々は間違いなく子供達を愛してるよ

 

かつての少女や少年たちを熱狂させた青春映画『ヘザース/ベロニカの熱い日』は近年ミュージカル化されて人気を博している、その理由が窺い知れる一曲だ。もし彼女たち"ヘザース"に鼓舞してもらっていなかったら、とっくにS字クランクや10代の若者たちと乗り合わせる複数教習から逃げ出していたことだろう

 

私達が何者にも妨げられることなく自分らしくいようとする時に、そこに必要なのはもしかしたら思い遣りややさしさではなく憤懣やそれらがもたらす発奮であるのかもしれない。ところでさ、日本で最も人気のあるキャンディーの味って何だろうね? もしかしなくてもアメリカ人はベーコンやらチャモイ(メキシコの甘辛いソース)らしくて震えを禁じ得ません

 

「教習所へ通うに当たって何が辛いか?」って問いに対する答えは明確で、たとえ目を逸らしたい事実や逃げたい標的があったとしてもお酒でごまかすってチート行為に甘んじられないこと。これまで「自分はこうまでお酒を好きなのだから、よしんば飲酒運転をする人間の屑なのでは…」って思ってた。今となってはお酒にも車にも法整備やそれを定めた人々にも謝りたい気持ちでいっぱいだよ、これまで自分ながら信じてあげられなかった自分自身にも

 

どんな奇跡が何回起きたとしても、どんなに時間が経とうとも、決して癒えない傷というものがある。今を生きる人達がせめて長寿を笑顔で全うする一助たるつもりで安全運転することを誓うよ

 

ここに貼付するべきは、現状を鑑みるにゲルギエフが指揮を務める動画であるべきなんだろう。個人的にはまったく親ロ派ではないどころか反ソ派といって差し支えがない程度だとさえ自認しているけれど、そんなこの身を以てしても現在において旧ソビエト連邦およびロシア出身の芸術家が置かれている実状はあまりにも悲惨だと言わざるを得ない

 

自分自身も粛清の恐怖に怯え、その親族ら多数を見送ったショスタコービッチに想い馳せながら、いつも教習所の行き帰りを歩いた。けだしこれは誰もが歩んできた道だ、そこにまだ足跡のない前人未到の道筋を歩いた彼の孤独はいかばかりだっただろうかと

 

 

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ほかにも家族や友人はもちろん(運転しない時に限っての)お酒は言わずもがな大いに力になってくれました。これだけやっさもっさした割に仮免許試験から免許取得に至るまで全部一発合格だったんですよ。しかも適性試験の結果も高くて、教官から「ここまで好成績の人は初めて見ました」って言われるくらいに

 

ただし「協調性」と「回帰性」がともに最低評価で、「あなたは何をしでかすか分かりません。自分だけの道路だと思わずに他人のことも考え譲る心を持ちましょう。もし気分が落ち込んだ時は即座に運転を止めてください」とか書かれてて本当に草も生えない。もはやソシオパス扱い。よしんば飲酒運転もしないのに屑人間だったとは

 

常人の皮を被ってそれと擬態しながらこの社会に紛れて生きてきた、今後は車社会でもそう出来るよう務めることにします