今年も早いものでもう半分が過ぎ去ってしまいました。そして、こちらも早くも上半期にあった出来事のほとんどは忘れてしまった。どんなに不愉快なことや苛立たしいことがあっても、この年齢になるともはや一日と持続力を持ちません

 

先達て教習所で仮免許試験と本免許試験を受けた時にご一緒した子たちから

「もし落ちたらって思うと緊張します🥺」

って言われたから

「この年齢になるとそういうのと無縁になるから頑張って生きてね🤗」

って言ったら驚かれたことに驚きました。まだ感性が瑞々しい〜!

 

そう、まったく覚えていられないんですよね。今年初観劇オペラはウクライナ国立劇場の『カルメン』だったのに、それすら去年のことだったと錯誤してた。もう救いようがない。「上半期に(観劇したオペラ)(映画)(買ってよかったもの)」について書こうと思ったものの、この上半期は圧倒的に読書に割いた熱量が多かったので、それらの中で印象に残ったものを列記しようと思います

 

*****

 

清朝の王女に生れて 日中のはざまで 改版(中公文庫)

昨年に引き続き今なお近現代の中国史に対する興味が尽きず、旧套より気になっていたこの本をついに手に取るに至った

 

これまでに他書を優先してきた理由としては当時の代名詞といっても過言ではない清王朝最後の皇帝にして満洲国唯一の執政および皇帝だった愛新覚羅溥儀に関する記載がないことが挙げられ、果たしてそのとおりに本書は筆者の自伝の名に相応しい出来映えとなっている。況や彼女の知られざる部分も多い人生譚に光を当て、そこで揺れ動いた感情の機微をありのままてらいなく曝け出す

 

まだ読みはじめて数ページのうちに、私は彼女の物怖じとは無縁で気風の良い人柄に夢中になった。愛新覚羅一族の中で清王朝〜戦中〜文化大革命のすべてをつぶさに目撃した最後の生存者とも言われる人物の著した歴史書としての価値も然ることながら、ほかの関係者がこぞって中国語で著書を残す中ほぼ唯一日本語で記すことにかかずらった特有の名調子は一読に値する

 

幼少の頃に(確か『知ってるつもり?!』というドキュメンタリー番組の中で)彼女のインタビューを観たことを覚えてる、その細面に大きなサングラスが特徴的で流暢な日本語には淀みがなかった。これを読む誰しものことを好きにさせずにはおかない人物的魅力にページを繰る手を止められない、そんな一冊である

 

 

昨年に引き続き「もっとオペラに身も心も捧げたいな!!!!!!(クソデカボイス)」という気持ちからオペラ関係の書籍も読み漁った。その内容はさまざまあって作品の見所を端的に紹介するものや当世における伝説的存在や最も旬とされる歌手について書き記したもの、さらにはそんな歌手自身による著書など、その枚挙には暇がない。そんな中で、特に本書が印象に残った理由は、偏に著者自身の長寿に依拠するだろうか

 

しばしば近現代のはじまりと定義付けられる第一次世界大戦開戦の前年に生まれ、ほんの十年ほど前まで健勝であったその人の著述には無論レコードも登場するしあまつさえCDに言及している部分も存在する。その十数年も後に生まれた私の祖父は、実母がサイモン&ガーファンクルを聴いていたら「ヤーヤーヤングがうるさい!」と言ってレコードを叩き割ったと聞いているから、いかに著者がモダンな人柄であるか窺い知れるだろう

 

これまでに同著者の評文を読んだことはあった、その時の印象で何となく「なんか大手拓次と同じ匂いがするな…」と思ってたら、まんま同じ見た目で笑ったよね

 

 

近代日本史を語る上で欠かすことの出来ない大事である二・二六事件。その事件の持つ政治性や首魁たちがほぼ処刑を免れ得なかったというわだかまる顛末から、今日を生きる我々の口に上る機会は極めて少ない。その一方で「我が国最大のクーデター」とも言われる陸軍青年将校らによる反乱に、その妻たちの証言から迫っている

 

もし「読み応えのある本を教えてほしい」と言われたら、あるいは文筆業の志願者には殊更に、これまでの人生で手にしたどれよりも本書を強く推すだろう。個人的な経験則から「企画力」「取材力」「上記を纏め上げる文章力」のすべてに秀でた記者というのはそう多くない。それら三拍子が揃った本書が著者にとっての処女作であるというのも驚倒すべき点である

 

先の戦争から数十年の時を経てからこの事件を題材に据え、自らの脚で訪ねた取材相手である妻たちに胸襟を開かせ、そこで語られた事実をして揺らがぬ筆致が巧みに冴え渡る。そうして我々の目の前に詳らかになった真実から垣間見える「主犯格」たる彼らはよき夫よき父親の姿をしている。ある者は幼少からの恋を実らせ、またある者は陸軍に借金をしてまで身売りされた娘を妻にした

 

そして、例外なく誰もが妻や子らに愛情を示し、その行く末を案じている。むしろ行末を案じればこその凶行であったのだ。だからこそ、その後の彼らに待ち受ける処遇や引いては日本がたどる命運を考えるだにやるせない思いが弥増す

 

*****

 

ところで……最近ではSNS上の誹謗中傷によって命を落とす芸能人が少なくないよね。お隣の韓国では実はもう十数年も前から問題として取り沙汰されているので、「こんなことまで後追いしなくても…」と暗澹たる気持ちを抱えざるを得ません

 

ここは個人のブログなので不謹慎ながら私個人の気持ちを話していいのだとしたら、私はこうした不条理な死について考えるたびに白木屋百貨店で起きた火災のことを思い出す。突然の出火によって当該百貨店に勤めていた女性従業員達は上層階の窓に捕まって救出を待っていたものの、その多くが和装だったために地上の野次馬から向けられる視線が気になって着物の乱れた裾を直そうとして転落したというものだ。「これによって女性の洋装が流行した」、いわゆる女性ファッションの転機としてよく知る人も多いだろう

 

彼女たちのことを「命に比べたら見られるくらいなんだ」「そんなことを我慢できないなんてどうかしている」と言う人もある。誰かにとっては正しいことがそうでない別の誰かにとってはまったく異なる結論であることもある、その逆もまたそうだ。そして、もし仮にそれが誰にとっても正しいことであったとしても、それを告げることの正当性となれば話は変わってくるはずだ

 

どんな人にも正義があって、それは言葉の響きほど甘美ではなく、時にはそれを振り翳したくなるという厄介な性質を持っている。私にも無論あって、だからこそこれを書いているけれど、そこにともすれば忘れがちなやさしさが添えられることを願うよ。誰しも人間だから常に善人ではいられる訳じゃないよね、それを少なくとも心掛けることにするってことが大事だ

 

 

 

追記;

明日放送予定の『映像の世紀 バタフライエフェクト』の「ヒトラー VS チャップリン 終わりなき闘い」はリアルタイム視聴するか録画しようね。今NHK+で観ようとしたら「一部の映像について許諾が得られなかったため編集してお送りします」が多すぎたから、こっちに対する過信は禁物だよ。昭和生まれのお姉さんとの約束だ!