今日は鎌倉へ行って来ました。毎年に何回かは、めいめい全国各地で暮らしている家族が一堂に会して、ともに江ノ島および鎌倉散策にいそしみます。…こういうと、何だか大仰だな。とどのつまりは、それぞれの行きたい場所とか食べたい物に折り合いをつけながら刊行するってだけ。実に生産性がない、でも最高に楽しいやつ!

 

何を隠そう(…も何も、ただ単に言及する機会がなかったというだけですが)、私は学生時代に鎌倉の近くに住んでいたこともある。そんな私にとってのお気に入りの観光コースは、江島神社→江ノ島サムエル・コッキング苑→江ノ島灯台→江ノ電に乗って→和田塚で下車して散歩しつつ→鎌倉駅へ戻ってからバスに乗って大塔宮へ→また鎌倉に戻って、そのまま徒歩で建長寺→そこから引き返しての円応寺→最後に鶴岡八幡宮

 

でも、最も好きなのは北条高時腹切りやぐらに参拝すること。その後方に控える祇園山をウェッジソールで登った途方もない馬鹿こと私ですヽ(゜▽、゜)ノ

 

 

そんなわけで、いつもならば片瀬江ノ島で待ち合わせるところだけれど…たまたま鎌倉駅で待ち合わせをしていたら、つとに迫文代さんに声を掛けられた。そのお誘いに乗って、彼女のお店に伺うことに。「copepe」という名前のお店は、これまでにご自身がアナウンサーやレポーターとしてご経験なさった感慨の粋を集めた素晴らしい空間だった。特に、現在では一種のブランドと見なされている鎌倉野菜をふんだんに使ったサラダは絶品! (写真は撮り忘れたけれど、)この後にいただいたカレーもおいしかった(●‘∀‘●)ノ"

 

それから長谷寺へ。この場所も随分と趣きが変わったよね。大きくご本尊である十一面観音菩薩像に先祖供養のロウソクを捧げて、そのすぐ隣の観音ミュージアムで観音三十三応現身像を拝んで来た。どの立像も素晴らしかったけれど、私は向かって右手側の左奥(ややこしい)の観音像に最も惹かれた。現世の人々すべてを憂うような表情は、それを拝む者によっては大きく印象が異なるかも知れないな。私には自戒をもたらした

 

(件の「観音ミュージアム」へ向かう道すがらにお会いしたお地蔵様)

 

そして、再び鎌倉駅前に戻って小町通りをぶらついて、最後に鶴岡八幡宮へ行って来た。それは参拝のためではなく、実はこの絵馬を書くために

 

一昨年末に惜しまれつつもこの世を去ったディミトリー・ホロストフスキー(以下、その愛称をとってDimaとする)の訃報は、私にとっても少なからず衝撃であった。まだ55歳と若く、今後を嘱望された押しも押されぬ人気を誇るバリトン歌手が病魔に倒れる。彼は「唯一無二のエフゲニー・オネーギン」とも評され、その歌唱力と外貌の美しさ、またそれらによって獲得したファンらによる惜しみない賞賛のすべてを兼ね備えた人だった。しかしながら、そんな真正のスターでさえも自身の天寿には逆らえないものなのだ

 

古今東西において、「死」はあらゆる形で存在する。この鶴岡八幡宮にとっての死は穢れを意味するけれど、先程の長谷寺においては「死は救済」だ。それらのすべてを信じないある種の人々は「死は無に帰すことだ」と言う。そう、あらゆる形で「死」は存在する。でも、そのどれも死者を悼む者にとって慰めにはなり得ない

 

 

既に亡くなってしまった人に対して、私たちがしてあげられることは少ない。私は信心とは無関係にお墓参りや供養を欠かさない方だけれど、それはそんなことくらいしかしてあげられることがないからだ。そのことを思うだに、私はDimaのファンの胸中はいかばかりかと、その心情を馳せずにはいられないんだ。もちろんのこと、Dimaは数多くの名演を彼自身の足跡として残して来たし、巷に言われる「個人に対する偲びこそが最大の供養」なのだとしたら、その要素に不足はないだろう。彼にとんと詳しくない私でさえ、その功績を讃えない日はないし、そう思うにつけ、その供養を欠かしていないことになる

 

私はクヴィエチェンに同じ功績を求めている訳じゃない。ただ、在るべき日を一日も長く幸せに生きてくれることを願って