ある人にとっては癒しになるだろう音楽も、また別の誰かにはただの雑音にもなりかねない。そうだとすれば、その線引きはどこにあって、どういう定義でどんな場合に適用されるのだろう

 

あらゆる考えをめぐらせようとしても、今の私に分かるのは音楽にも限界があるってことだけだ

 

 

「こんな音色をシンセサイザーで出されてしまったら、もう古典派音楽は形無しじゃないか?」

 

これを初めて聴いた時には、そう思わざるを得なかった。でも、こうして素面の状態で改めて考えてみたら、むしろ聴けば聴くほどにその違いは際立つ。そこにこそ、お互いの音楽の新しい活路を見出せる気もする

 

 

この曲を生み出したDavid Cainは、同じく機会音楽を手掛けるほかの作曲家のそれに似て、有名大学の理学部出身の知識人で、その分野の先駆者とも言うべき経歴の持ち主だ。彼はずっとBBCでコンポーザーを務めていた人物で、あの"Doctor Who"のラジオ版の制作にも携わっていたはずだ

 

その作品の一部は、今でもBBCから発売されているアルバムに収録されているから、ここを片っ端から漁れば出てくる。これって配信サービスやサブスクリプションでは取り扱いがないんだろうな…まあ、いいや。「彼らには手の届かない秘密の花園」を知っている幸福感に甘やかされつつ、自分が本当に欲しいもののために汗をかけたら、それで