街をきれいにするためには、きちんとごみ箱を置いて、溢れる前に処理しましょう、というのは昭和50年頃までの常識でした。
現役を離れて久しいので、正確な記憶は危なっかしいのですが、記憶する限り、初めてごみ箱を置かずごみ持ち帰り運動を始めたのは豊橋市の山岳会の方々が始めたゴミゼロ運動でした。これは、自然環境が対象でしたからよく理解できます。
その後は、(ますます自信がなくなるのですが)オウム真理教の事件の時に一斉に駅からごみ箱が消え(安全対策として)、あるいは、環境教育の一環としてごみ箱を置かない動きがあり(自分の出したごみは自分で処理するという)、あるいはコロナをきっかけとして駅からごみ箱が消えたことがあったような気もします。
博多駅ホームにはごみ箱を置いていませんが、同じ福岡でも地下鉄にはごみ箱が置いてありました。
なんだか、教育とか安全とかを大義名分として、ごみ処理経費を節約しているのではないかと思う時があります。
先週行った地方のスーパーでは、イートインスペースがあって、そこで購入したものだけに限定して使用を許可しているのですが、その結果出た食品容器などのごみは持ち帰りなさいとごみ箱を置いていません。それって駄目だろうと思ったら、自動販売機の周囲にも空き缶ボックスを置いていません。自販機で買った飲料を持ち帰る人は少ないと思いますし、その場で飲んでこその自販機なので、それはもっと駄目だと思います。
ともあれ、ごみ箱至上主義が生きていた昭和48年にこの仕事を始めたので、私は、やはり公共の場にはごみ箱をきちんとおいて、溢れる前に回収してほしいと思います。