昭和39年の「3年B組」 | じぃのヒトリゴト

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NPO法人生活環境ネットC&Cの代表が管理するブログです。
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「金八先生」が始まったのは、昭和54年からなんだそうです。

その頃は私はもうこの類のテレビ番組を見なくなっているのですが、

昭和39年に、私は中学3年生で、B組でした。

その卒業アルバムを見ていたら、3B組は46人いました。

E組までありましたから、およそ3年生は230人でした。

 

何でそんなアルバムを見たかというと、

「広報ふるびら」の5月号を見ていたら、今年の小学校の新入生は18名なんだそうです。

ちなみに、中学1年生は12名だそうです。

が~~~~ん

悲しい。

10分の1よりも少ない。

人口はそんな減っていないんですけれどねぇ。

私が中・高生の頃は、9,000人くらいだったのに、令和2年で2,745人だそうですから、3分の1くらいなのに、なんでこんな子供が減るんだろうか。

悲しい、故郷が消えるのは悲しい。

 

そんな古平町に来春、初の道の駅ができるそうです。

名前は「たらこミュージアム」

子供の頃からタラコがありました。よく薪ストーブの上で焼いて食べていました。

いつだったか、何十年か前に、福岡の辛子明太子の原料の大半が古平から行っているという記事を見たことがあります。。。

でもねぇ、タラコは、カニには負けるだろうし、ホタテにも負けるだろうな。

ああ、そうだ!

母がまだ生きている時に、私がまだ高血圧になる前に、

たぶん、2000年頃まで、母が知り合いの漁業関係者からもらったというイクラをよく送ってくれたのですが、今はどうなんだろうか。

ともあれ、頑張れ、たらこミュージアム!