力道山が元気に活躍していた頃、そしてそれからしばらくの間、金曜八時のプロレスは三菱電機が1社単独のスポンサーでした。セミファイナルが終わりメインイベントが始まろうとするとき、若手レスラーがリングに上がり、掃除機をかけるのが常でした。掃除機を使うなら、CMの間にやればいいものなのですが、しっかり時間をかけてその姿を見せます。それが数十年後の今でもしっかり目に焼き付いているのですからよほどインパクトがあったのでしょう。今、思い返してみて不思議なのは、プロレスのマットというのは、掃除機を使うほどごみが散らかっているわけではなく、むしろ汗で汚れているだろうから、掃除機を使うのはいかがなものか。むしろ、雑巾で拭くべきでしょう。
力道山が暴力団に刺され亡くなったのは昭和38年です。その翌年39年の掃除機の普及率は27%ですが、その5年後の昭和44年には63%にまで伸びています。なるほど、うまくしてやられたわけです。
ザ・マミーというプロレスラーがいました。ミイラ男と訳されていましたが、全身を包帯状の白い布で覆い、相手が殴ると全身から白い粉がパァッと舞い上がる・・・そうか、彼が出た後なら掃除機を使うのも不自然ではないなあ・・・と、まあ、どうでもいいことですが。連休の初日ですから。
ところで、マミーという名で間違いなかったかったかなということで、ネットで調べてみたら、なんと、Wikipediaに載っていました。とても弱っちいレスラーだったんですが、Wikipediaもすごいけれど、あれだけ詳しく書くマニアもいるんだなあと感心しました。