現実検討力ということ | 臨床心理士の今日の一言

臨床心理士の今日の一言

~パークサイド広尾レディスクリニックのカウンセラーより~

よく心理や精神医学業界用語で、

「現実検討力がない」とか

「現実検討力に欠ける」という

言い方がされることがある。


切羽詰った時、自分の高すぎる理想に

ポーンと飛び、それにしがみつく精神科の

患者さんなどのある面を「この人は現実

検討力がない」と言ったりする。


自分の今置かれている現状や実際の能力を

度外視して、世間的に有名だったり認めら

れているもの等に自分の理想を重ね合わせ

たりして、現実を全く見ていない、などと。


たとえば、ある先生の表現を借りると、

「明日甲子園」という言葉がある。野球を始めた

ばかりの青年が「明日、甲子園に行く」と言う

ようなもの。


話は変わるが、今朝1本早い電車に乗ったら、

いつもよりたいそう混んでいて、その満員電車

で来た今日は、いつもより通勤時間が長く感じ

られた。


現実は、いつもと同じ時間が経ったにすぎない。

でも、自分の内側の感じとしては、いつもより

時間が進むのが遅く感じられ、長く感じられた。

これは、心の現実、心的現実と言う。


「クロノス」と「カイノス」という時間に

ついての言葉があるけれど、

時間についての感覚が、その時々で違うのは

私達はよく経験する。


日常が息苦しくなったり、余裕がなくなると、

心の中の理想像にしがみつき、その理想像の

イメージで自分を支えたり、そのギャップで

苦しむことで、現実の自分に直面するのを避け

たり、いろんなことをする私達もいる。


本来、現実検討力の全くない人はいないはず。

客観的に現実からかけ離れた世界を追いかけて

いるように見える人も、心的現実の微妙な感覚

を捉えているからこそ、理想像にぶっとんで

いるということがある。


現実は、なにも客観的に示され外からわかる

ものだけではない。心の内側ではさまざまな

現実を同時に複数体験していることが多い。

いわゆる現実からかけ離れてしまうのは、今

の自分の現実にそのまま触れると、心が相当

つらいからというのがほとんどだ。


心理や精神科の専門家が、「現実検討力がない」

と患者さんのことを言う時、どこか上から目線

で言うことが多いように感じられる。それは、

一般的にも、「まったく、少しは現実を見ろよ」

というぼやきにも見られる。


現実とは何だろうか。

現実のありのままの自分の姿がつらいとは

どういうことだろうか。

「現実を見なさい」という上から目線の現実とは?


言葉にならない現実を人はたくさん経験している。

それらが受けとめられないとき、人は融通がきか

なくなり、ある型にはまりがちだ。

世間的にわかりやすい型が、はまりやすい。


切羽詰まった時、他人や自分を攻撃するのでは

なく、今目の前にある壁にドアができることが

ある。1つや2つではなく、無数の選択がある。

現実の創り手である私達、どんな現実を生きて

生きたいと思っているのかな。




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