今から来たるべき四月が恐くてしかたがない。ちゃんと学校に行けるのか、人と話せるのか、嫌われても平気でいられるか、好かれてもそれに見合う愛情を返せるか、逃げることを自分に許してしまわないか、そんなことばかり考えている。出来るイメージが頭にありつつも、そんなにうまくいくわけないとも考えてしまう。こんな思いをするくらいならいっそ辞めてしまいとさえ思う。
「大学くらい卒業しとけばよかった」と私の尊敬する人物が言っていたらしい言葉。
中学の時は高校に行けば、高校のときは大学に行けば、何かが変わるかもしれないなんて甘い夢を見ていたのだけれど、実際蛹が蝶になるような事は無く、そんな絵物語を信じてても悲しくなるだけなので、これから先の人生に私が何かを期待したりする事は無く、私自身が一人で楽しめるものを生きる理由にしながら細々と誰にも迷惑かけずに生きていきたいのに、このままだと誰かに迷惑をかけかねないので、そうなったら死を選ぶ他に無く、誰にも迷惑かけずに生きる事の難しさを思いつつ、どこかでなんとかなるんじゃないかって思ってる自分が、不安だし、きっとうまくいくわけないって思い直す事で、どこか思い上がる気持ちをセーブしてることの気持ち悪さもあいまって、最悪の気分なのだ。
とにかく自分が気持ち悪い。外に出ても、どちらかといえば小柄なのに、自分の体が膨らんでいるような錯覚があって、他人の邪魔になってる気がしてしょうがない、全て妄想なのに、どこか現実との接点を感じて仕方が無く、つねにうつむいて前髪で顔を隠すから余計に気持ち悪く見られていると感じてしまう。それでも顔を上げるだけの健全さは無く、電車で隣に誰かが座るだけでほっとする一方また別の緊張がはじまるので、休まるときが無い。
睡眠薬を飲んでも眠れずに迎える朝ほど不愉快な物は無く、今日も一日定まらない思考でぼんやりした一日をおくるかと思うとうんざりする。
昼にあびるシャワーはまともな人間ではない、いわば「あの世」の人間の特権であり、私はさらに風呂にまで入り、おまけに風呂の蓋に腕を置いてゲームまでする始末だ。宅配便は当然無視。
ああ、こんな日がいつまでも続いていいわけが無い。
春休みが終わればまた地獄の日々なわけだが、とすると今現在は地獄までの中間地点、それこそ本当に「あの世」にでもいる気分だ。
先週二日続けて旧友に会うというイベントを達成した私は久々のリア充感と、いつものぜつぼう感を同時に感じたわけで、厄介なのはもちろん後者のぜつぼう感である。
ぜつぼう、とひらがなで書いたのは絶望ほど重くないからである。かといって希望が見えるわけではない薄明の状態で、これが一生続くくらいならいっその事真っ暗になった方がマシだとすら思えるあれのことだ。
それにしてもコミュニケーションである。なんにせよ誘ってくれる人間というのは本当にありがたい。
だが、しかしだ。それに見合うだけの愛情を返すことが私には、できている実感が無い。それでも私といると楽しいと思ってくれる人がいるというのはとてもうれしい反面、つらいのである。
それならば率直につまらないと言われた方がマシだとさえ思いたくなる。
うれしい、でもつらい、うれしい、でもつらい。
新聞に自殺した子供の書いた遺書が載っていた。そこには学校に対しての不満と家族に対して感謝の言葉が述べられていた。遺族は「もっと彼の事を理解してやればよかった」的な事を言っていたが、しかしもしその子の苦しみを理解してあげられたとしても彼を救う事はできなかったと思う。彼自身がとらわれた、自分の弱さのせいで苦しむ人々(つまり家族のことだ)がいることについて、もっと楽に考える事さえできてさえいればと私は思う。
優しさは時に厳しさであり、それは人を縛る。不自由だと感じるなら外道に成り下がり、周囲の優しい人の気持ちを無下にしなければならない。そうして進んだ先に幸福があるわけではなく不幸な事の方が多いわけだから、親しい人にはつい優しくしてしまう。縛ってしまう。
何事も他人の意見を参考にして生きるのも、それが出来るにこした事はないが、理不尽な事も多い世の中で、偶然の不幸に見舞われた際それを他人のせいにしてしまう事がままあるのでなんとも言えない無力感に苛まれる。
なんにせよ私自身が私の事をどうにか出来ないとねねねねあ。
昼にあびるシャワーはまともな人間ではない、いわば「あの世」の人間の特権であり、私はさらに風呂にまで入り、おまけに風呂の蓋に腕を置いてゲームまでする始末だ。宅配便は当然無視。
ああ、こんな日がいつまでも続いていいわけが無い。
春休みが終わればまた地獄の日々なわけだが、とすると今現在は地獄までの中間地点、それこそ本当に「あの世」にでもいる気分だ。
先週二日続けて旧友に会うというイベントを達成した私は久々のリア充感と、いつものぜつぼう感を同時に感じたわけで、厄介なのはもちろん後者のぜつぼう感である。
ぜつぼう、とひらがなで書いたのは絶望ほど重くないからである。かといって希望が見えるわけではない薄明の状態で、これが一生続くくらいならいっその事真っ暗になった方がマシだとすら思えるあれのことだ。
それにしてもコミュニケーションである。なんにせよ誘ってくれる人間というのは本当にありがたい。
だが、しかしだ。それに見合うだけの愛情を返すことが私には、できている実感が無い。それでも私といると楽しいと思ってくれる人がいるというのはとてもうれしい反面、つらいのである。
それならば率直につまらないと言われた方がマシだとさえ思いたくなる。
うれしい、でもつらい、うれしい、でもつらい。
新聞に自殺した子供の書いた遺書が載っていた。そこには学校に対しての不満と家族に対して感謝の言葉が述べられていた。遺族は「もっと彼の事を理解してやればよかった」的な事を言っていたが、しかしもしその子の苦しみを理解してあげられたとしても彼を救う事はできなかったと思う。彼自身がとらわれた、自分の弱さのせいで苦しむ人々(つまり家族のことだ)がいることについて、もっと楽に考える事さえできてさえいればと私は思う。
優しさは時に厳しさであり、それは人を縛る。不自由だと感じるなら外道に成り下がり、周囲の優しい人の気持ちを無下にしなければならない。そうして進んだ先に幸福があるわけではなく不幸な事の方が多いわけだから、親しい人にはつい優しくしてしまう。縛ってしまう。
何事も他人の意見を参考にして生きるのも、それが出来るにこした事はないが、理不尽な事も多い世の中で、偶然の不幸に見舞われた際それを他人のせいにしてしまう事がままあるのでなんとも言えない無力感に苛まれる。
なんにせよ私自身が私の事をどうにか出来ないとねねねねあ。
平気で私の心を傷つけるような発言をする人に対して、勇気を出してなるべく言葉を尽くして感情を押し殺すように反論してみたら、思ったよりダメージを与えてしまったらしく、普段の高圧的な態度と打って変わってしおらしくなったそいつの醸し出す存在の切なさに私がさらに傷ついた。どうしてくれる。
自分で自分の性格が良いなどとは不遜で、到底思えないが、非常に損な性格であるなと思った。もしも私がそいつのように、人を傷つけることに無自覚で、そういった行為で確保できるほんの少しの優位性で大満足なら、薄い幸福(もちろん本人はそんな事すら気づかないだろうが)でぼんやりとした薄明の世界で楽しいだろうなと思うが、私はやっぱり死んでもそんな人間にはなりたくないのだ。プライドがあるから。
はっきり言えば軽蔑している。
それは優位性の確保のための軽蔑ではない。
なんというかもう人種が違うのだなと思うことにした。
世の中にはやっぱりどれだけ社会的地位があろうがそういう奴はいくらでもいるのだ。
そう思わなければやってられない。
このブログで初めて決意めいたものを書いているが、他人との差異でしか自分の幸福の価値のものさしがないような人間にはやっぱり憧れない。
以前は自分の幸福の価値観が絶対的であることがコンプレックスで、相対的な価値観のものさしを持つ友達が持ってるような、平気で東大目指してたりするようなハングリーさが、本当に羨ましかったが、今はそんなの全然どうでもいい。私がそいつの相対的な評価軸でもって不幸だなどと思われてもどうでもいいんだ。私の幸福の価値観が極めて個人的で自分本位なのは私の才能だし、マイペースなのも才能だ。他人にとやかく言われる筋合いは無いし認めてくれる少人数の人たちの為に生きようと思った。
自分で自分の性格が良いなどとは不遜で、到底思えないが、非常に損な性格であるなと思った。もしも私がそいつのように、人を傷つけることに無自覚で、そういった行為で確保できるほんの少しの優位性で大満足なら、薄い幸福(もちろん本人はそんな事すら気づかないだろうが)でぼんやりとした薄明の世界で楽しいだろうなと思うが、私はやっぱり死んでもそんな人間にはなりたくないのだ。プライドがあるから。
はっきり言えば軽蔑している。
それは優位性の確保のための軽蔑ではない。
なんというかもう人種が違うのだなと思うことにした。
世の中にはやっぱりどれだけ社会的地位があろうがそういう奴はいくらでもいるのだ。
そう思わなければやってられない。
このブログで初めて決意めいたものを書いているが、他人との差異でしか自分の幸福の価値のものさしがないような人間にはやっぱり憧れない。
以前は自分の幸福の価値観が絶対的であることがコンプレックスで、相対的な価値観のものさしを持つ友達が持ってるような、平気で東大目指してたりするようなハングリーさが、本当に羨ましかったが、今はそんなの全然どうでもいい。私がそいつの相対的な評価軸でもって不幸だなどと思われてもどうでもいいんだ。私の幸福の価値観が極めて個人的で自分本位なのは私の才能だし、マイペースなのも才能だ。他人にとやかく言われる筋合いは無いし認めてくれる少人数の人たちの為に生きようと思った。