どうしてこんなにしょっちゅう広告がポンポン出てくるのだろうと考えた。

やはりどこの企業も必死なのだろう。

生き残りを目指してるから。

でも、生き残るということは、企業の数が多すぎるからではないのか?

必要ならば必然的に社会から求められる。

広告はなくてもいいのではないのだろうか?

 

やはり余ってくるのは、不要な企業なりモノが過多になってる気がする。

大食いのテレビ番組が嫌いだ。

世界には食べるものが無くて餓死する人もいる。

かたや、ゆったりと生きていられるのに(おそらく)無駄に食物を消費して金儲けのためだけに食べ過ぎる。

或いは廃棄する。

 

だから、きっと余ってる。

いろんなものが。

 

広告の多発を見てて、どうなるのが良いのか気になった。

 

ただ無駄を減らすというにも順序がある。

未来に繋がる物は残したい。

未来に繋がる物や事を残す。

 

それはそもそも一般社会の考え方にも通じる。

人間にも通用すると思う。

 

若者は残り、老人は去る。

日本のお金は若者に向ける。

年金は一旦廃止する。

子孫繁栄のために若者の出産のために使う。

 

ところが、「子持ち様」とかいう言葉が世間を巡る。

子供がゼロなら人種は絶滅する。

今の日本はすでに絶滅危惧種になってる。

そこに着手する力はほぼゼロに等しい。

政治の向く方向は未来を消滅させる向きに向いてて、この流れはおそらく止められない。

 

そう感じる。

 

考え過ぎかな。

最近、ほぼ眠れない。

精神疾患なのかなぁ。