パワハラの原因の一つ

 

社会的な原因を感じる

 

必然的な症状を感じる

 

それは人々の情報がネットの中にしか見えなくなってるから

 

生活感を感じられる場所が日常にないから意思の疎通ができない

 

そういう人間が増加しすぎてる気がする

 

外に出て肉体的な交友とか接触が減り 意識が実物の人間関係を見失ってるのではないだろうか、と

 

だからそこに齟齬が起きる

 

そしてそこに被害関係が待ち受けてるのではないだろうか?

 

教育現場然り

 

だから北欧では既に教育の現場で他国よりも率先して使っていたタブレットパソコンの使用を辞めた

 

 

実際の人間関係は現実社会でしか体感できない

 

架空の世界で学んだものは架空の世界でしか通用しない

 

それは簡単に予想できただろうに

 

人の意識に頼りすぎると人生そのものも軽くなる

 

現実社会からどんどんと離れていく

 

そこでは本当の生きる力は得られない

 

既に多くの人は大きな勘違いの中で過ごしてる

 

それは大統領や世界を動かしている人たちの世界も同じ

 

その世界で著名な人々はやっと最近そこに気づいてきた

 

警鐘を鳴らし始めてる

 

しかしそれが世界の人々に届くまでにはまだまだ数年はかかりそうな気もする

 

そういう悪影響はパワハラだけに収まらない

 

人に危害を加える行為の多くはそこにある勘違いが起こしてる気がする

 

果ては戦争にまで繋がってる気がしていて

 

その行き着く先は地球の破壊ではないだろうか

 

近い将来 そこまでいくかどうか

 

それは人類全員が個人単位から取り組むべき課題だと思う

 

アニメの話

 

なんとなく感じるほのぼの感がいいんだよね

多分

 

スーパーの裏でヤニ吸うふたり

 

最近 娘が設定してくれたAmazon prime Videoでそのアニメを見ます

Amazon prime Videoが設定されてるのは奥方様のiPadAirですが

 

奥方様がお風呂に入ってる間にiPadAirをお借りして観てます

 

あのアニメ まだ完結してないんだ

でも

やっぱりほのぼの感っていいですね

無駄遣いが過ぎると思った。

お金は無い。

にも関わらずあるだけ使う。

それは学生時代に知った。

学生の頃、生活費を全てパチンコに注ぎ込んだ。

当然生活費が枯渇した。

まだ月の初め頃なのに三千円だけになった。

家賃は払っていたけれどそれだけ。

他の生活費を三千円で賄わなければならない。

インスタントラーメン麺を買って3日それだけで過ごした。

流石に身体もだるくなってきた。

なのでアルバイトを始めた。

お酒酒造屋さんのアルバイト。

当然お金が枯渇してるから一週間経ったら給与日になっていないのに一週間分のアルバイト料を催促した。

流石に所持金が底をついたから。

でも結局はそのままパチンコに行った。

一週間経ったらまたアルバイト料を催促。

その繰り返し。

その頃初めて自分の自堕落な考え方に気付いた。

それから学生の間はアルバイトばかりしていた。

学校へは週に一日か二日しか行かない。

卒業単位はピッタリ必要単位だけの出席数しか登録しな買った。

それでも卒業できたのは奇跡だなと思った。

学生時代に勉強という作業はしていない。

記憶にないし、仲の良い友人に

「君は全く勉強という事をしてないね」

と客観的に言われたし、自分でも勉強した記憶がないからホントに勉強はしてないのだろう。

なのに、高学歴に見られる事がある。

きっと言葉の喋り方が理屈っぽいからだろうけど、それはただの偏屈だからに過ぎない。

たまに居る知識のない偏屈ジジイ。

困ったやつ。

まぁそれはいい。

学生時代にアルバイト三昧だったので当然アルバイトの時間はパチンコはできない。

なのである程度はお金が溜まる方向に向かった。

しかし、それでも欲しいものができるとすぐ買った。

当時やってたバンド活動の為にサウスポーのギターも特注で買った。

学生の身分なのに車も買った。

当然中古。

それもローンを組んだ。

親は大反対だったけれど、一人暮らしの特権。

見てないところでは好き勝手。

これは自分の子供にも遺伝してるなと最近感じる。

結局、放っておくと宵越しのお金は持てない人間なんだなと思う。

極め付けは、就職した直後、最初の給与も二日で使い切った。

その時はパチンコではな買ったけれど。

仕事の仕方や運動で持久走の時も性格が出る。

最初に突っ走り、その後力尽きて倒れそうになる。

そういう事がほとんど。

今でも最初は極めてパワー全開で物事に当たるがすぐに力尽きる。

だからと言って、力を温存してたらすぐに飽きて、同じく力尽きる。

どっちもどっち。

長続きしない。

それでも遊びならばそれでもまぁいい。

日々の暮らしはそれでは困る。

だから困る。

困ってる。

老人になってもいまだにアルバイトしながら借家住まいのまま瀕死状態で生きてる。

「悪いあなた かわいそうな私」 を何度反芻しても良い結果は一切ないし、未来はない。

 

「これからどうするか」

 

考える事はそれのみで良い

天安門事件は、事実であった

でもそれはなかったことにされようとしている

出来事すら消されかけてる

 

南京での大虐殺などは現実にはなかった

なかったというよりもあまりに誇張されすぎてる

大虐殺ではない

事実はあちこちの戦争で起きてる出来事の一つだろう

 

それを大虐殺と言うのであれば今までの戦争は全て大虐殺という事だ

まぁ戦争は勝った国が負けた国を虐殺する行為だと云えばそうかもしれない

それこそ戦争でもない虐殺ならば正真正銘の虐殺だ

天安門事件こそが「天安門大虐殺事件」と云わねばならない

 

歴史とは如何に

言い伝えとは如何に出来上がるのか

そこには誇張がある

誇張は嘘と寸分違わない

 

中国のそれは嘘でできている

でも、それがあたかも歴史的事実のようにされてしまった

既に多くの日本国民すら信じてる

 

どうやれば嘘が作れて、どうやれば真実が曲げられるのか

 

その原理を学んで分析して、それを自分ができるようにする事

そこを最初にやらなければいけないことだろう

自分達が同じ行為を実際にやるのではない

 

そういう嘘の歴史をどうしたら阻止できるかを考え

そういう嘘をつくられることから避けることができるのか、

今すぐやるべきことの一つはそこではないか

 

嘘とは歴史の改竄である

歴史を直視すべきなのは改竄している側なのに

真実を述べる側が改竄してると押し切られる

そこに報道の力という武器がくっきり見える

 

もう一つ

素直な民族はそういう嘘にまんまと嵌る

そして真面目にそれを受け入れる

ひ弱な為にそうなる

もっと大人になれ

昔の言い方をすればそういう言い方が当てはまるかもしれないな