護身術を学びたいと思ったら、合気道なり少林寺なりそういった教えてもらえるところに出向いて行って実際に訓練をする必要が必ずある

 

今の世の中 動画でノウハウを教えてもらったり、ネットの中の教材動画を見ればそれでいいと思っていないか?

 

今の世の中の現実と非現実の乖離が見受けられる

 

そこを本気で見直さないといけない

 

自分の身を守ることすらできないのに

じっとしたまま見続けるだけ

画面の中で生きて行けるだけ

現実の世界も

それでいいと思っていないか?

 

歪みはかなり大きい

荷物を自分ちに配達してもらうから、自分ちの場所の情報がよそに漏れる。

自分ちの情報が、他人の目に入る。

欲しいものがあったら、自分でお店に行けばいい。

買いに行けばいい。

外に出ろ。

そうすれば、名前も明かさずに買い物をすることだってできる。

リモートワーク文化は人を洗脳した。

動かないことがいいことだ、と。

そしてダメにした。

行動することが動物の能力であることを拒否させる洗脳。

それは植物的な生き方でしかない。

身体を動かせ。

無意味な運動行為ではない。

生命活動として動け。

動物ならば外に出ろ。

ただ、買い物をするときに「名前を言え」と言う。

あるいは「名前の登録をしろ」と言うお店なり入手先がある。

そういう面倒なところは避けたら良い。

欲しいものはいろいろなルートをとれば手に入る。

そこは自分で努力して勉強しないといけないな。

とにかく自分から動くことが重要だ。

勉強だって相手から勧誘されて お金を払って教えてもらおうとするから、嘘を教えられる。

そこから既に詐欺だと思えばいい。

自分から情報を取りに行くことが勉強の極意だ。

そして、醍醐味とも言える。

言ってみればこっちが詐欺的な行為(こそしないが)の覚悟で取り組む。

非難轟轟なんのその。それ

が生きることにも直結する。

老人の私欲のために、

若者の未来を滅亡させてはならない。

 

老人も、過去の人たちが苦渋と辛酸を舐めて引き継いできた戦いのおかげで成り立ってきた。

 

ならば、その過去の人たちにならって、

老人たちも身を停して、

若者の未来を築き上げてやるのが、

本来の人の考えるべき行動ではないだろうか?

特に老人は次世代の人にバトンを渡すべき。

 

ところがおおかたの老人は命が尽きるまで私利私欲で出来上がってる。

若者なんぞどうでもいい。

そういう意識で固まってる。

 

だから将来に希望を描く若者が消えて、短命を望むようになり、

次世代に繋ぐという意識の灯火すらついていない。

 

年金なんて、実は政治の誤魔化しの副産物でしかない。

年金がること自体を当たり前と思うことが、実は捻じ曲がった時代の劇薬であり、

ネット時代と同様の別次元の核爆弾だな、という気がしてる。

 

六十年くらいで寿命が正解なら、AIが支配した時代は六十年生きたら

人は自動的に死ぬ世界になるやもしれない。

 

まぁ、それでなくても六十歳を過ぎたら厳しい肉体に於ける老化の痛みで、生きる希望はほぼ消えるから。

それでいい気もする。

何が失礼って?

相手に『失礼だぞっ!』って

やたら文句を言い倒してる連中の方が失礼だよ。

 

誹謗中傷って言う言葉自体もおかしいよな。

そもそもそういう状況になった時点で既に喧嘩売ってるんだよ。

喧嘩売ってるやつにさぁ

「なんで喧嘩売るんだぁ!」

ていうの 逆説的でおかしいでしょう。

 

喧嘩売りながら そいつが「お前喧嘩売ってるんだろう!」ってやつ。

状況的に その喧嘩売るときの言葉が誹謗中傷って言うだけのことやってそうでしょう。

 

だったら?

喧嘩売ってるやつのことをさぁ、

ベタ褒めして「お前はすごくいい奴だ」なんて言ってもさぁ、

おかしいでしょうが。

 

俺は喧嘩売ってるんだぞ、って。

そういうヘンテコリンで矛盾ばっかり言ってるやつの方がよほど失礼の限りがない。

 

ほとんどの 人の言葉と行動には矛盾がくっついてる。

正負、上下、左右、善悪 どっちにでも取れる言葉でできてる。

考えるだけ無駄か。

今日 スーパーマーケットの駐車場で見かけた

障害者用駐車スペースにシニアカーが止まっていた

へー、と思った

 

そして、その後思った

これから いろいろな公共の駐車場などには、シニアカー専用の駐車場が必要となる時代が来るような気がする

 

ホテルでもバリアフリーの設置が法律になってる

同様に、今後はスーパーマーケットの駐車場などには、シニアカーや老人に対する対策が求められるようになるのだろう

そうなると、シニアカー専用駐車場が義務付けられる可能性が高くなってくる気がしている

 

それと同時に、類似の意味の法律もどんどん増えるだろう

 

高齢者が増えると、高齢者のための国に変わっていかねばならない

もう既に高齢者の国になってるか

そうなると、その高齢者の国を支えるのは誰なんだろうか?

 

今後 若者は減る

若者がいない高齢者だけの国

想像してみると、だんだんと朧げに見えてくる

 

あまり良い環境にはなりそうにない

 

その時に今 世間が目指してるような優しい国造りが可能なのかどうか

むしろ、バイオハザードの世界が見え隠れする

恐ろしい未来につながってる気がする

このまま 今のまま進んでいいのかどうか

そこを今考えなければいけない気がしている

 

国は考えていると言うけれど

このペースでは不可能だろう

その繰り返し

私のオカシイ性格と同じ

堂々巡りで何も進まない

そういう過ちをこの国は繰り返してきてる

 

これが日本国の正体ならば捨ててもいいかも

などと感じる