基本はアナログから始まっていると思う
つまり、波
人類はそれをデジタル化しようとしている
デジタルは何だ
それはドットだ
波ではなくドットにすること
この世のすべてのものをドットにすることはできるか
情報にすることはできるか
宇宙空間を情報に変えることが可能かどうか
量子力学の命題はそこに来ている
基本はアナログから始まっていると思う
つまり、波
人類はそれをデジタル化しようとしている
デジタルは何だ
それはドットだ
波ではなくドットにすること
この世のすべてのものをドットにすることはできるか
情報にすることはできるか
宇宙空間を情報に変えることが可能かどうか
量子力学の命題はそこに来ている
生きることとは、犯罪の繰り返しなのかもしれない
そう思った
細かいことを拾い集めて、頭の中で反芻すれば、全てが数多の罪を繰り返していると
そう感じるから
人と人々が接触するときに、必ず何かの反応をする
何も感じなければ接触していないと同じだからな
相手がいる事は何かを伝えることであり、何かを意識することだ
意識は必ず反応と言う動作を伴う
人の体を愛撫すると言う事は、ほんのわずかな微量の刺激を与えることになる
それが強くなれば痛みに変わる
痛みは強くなりすぎると暴力になる
暴力は犯罪だ
そう考えると、軽微な犯罪の繰り返しが、日常を形作っている
言葉の使い方がおかしいと言われるだろうけれども、
人が人に大きな影響を与えるときには刺激も大きいと言うことだ
意識の犯罪
自分が交わる人がどうあれ お互いに刺激を与えあって生きている
それが人間の意識の正体であるならば、人と人との意識の攻撃の試合だ
それが生きることにつながる
石や金属は意識を持っていないとするならば、そこには物質的な刺激の仕合のみがある
自己の認知がないとするならば、意識は無い
残念ながら、生き物は自己意識があると思う
それは植物も同じだろうと思う
だからお互いがお互いに刺激を与える
そして、自己という存在を構成に伝達していく
それが生きるということならば、お互いに攻撃し合い、お互いが攻撃され合い、そして時間と言う歴史の中に波を作っていく
波は芸術として形作られる
時間の中に芸術を作りながら消滅していく
消滅していった後の記録は、既に物質の中には存在しない
しかし、歴史と言う波の世界に描かれている
キャンバスそのものは物体だが、芸術の存在自体は、波の中に描かれ続ける
時間を超越していく
しかし、そこに描かれた芸術そのものが攻撃であり犯罪なのだろうと思う
生きるということは、その波を形作る芸術であり、それこそが、人と人との間の小さかったり、大きかったりする犯罪なのだ
我々は平和を好むと言うけれども、それは宇宙の波が少しずつ希薄になっていっているからなのかもしれない
つまり平和は静寂に向かう方向性であると
そういう意味合い
いずれ時間の流れとともに、宇宙の密度は更に希薄になっていくからだ
ただ、瞬間的にはその波の流れは変わらない
方向を指し示している
ただ、それだけだろう
しかし、それは極端には変わらない
元に戻る
自分たちで作った子供が持つDNA
その記録の中に原始時代のDNAというのがある
それは恐竜と食い喰われ 戦った時代である
今もそれが続いていると感じる
人はたかだかここ数百年で何ら変わっていない
人の身体そのものは相変わらず5本の指があり、2つの目があり、1つの口があり、足は2本だ
肉体的構造は一切変わっていない
もし変化があるとするならば、人が肉体を離れ、意識の世界とともにサイボーグになる
その程度だろう
しかし、行動パターンは変わっていない
戦いであり、犯罪であり、そして波の中で生きる
それに尽きる
今も世界中で殺戮が繰り返されるのはその証だろう
伸びる企業に投資をして儲ける事を皆がする時代だ。
みんながそれをするから伸びる中国の大企業がガッポリ儲けて、その儲けたお金が中国の軍事力に使われ、日本の資産がどんどん奪われている気がする。
なぜ日本の企業に投資をしないのか?
ソフトバンクの孫正義などはアリババに相当な投資をして中国企業の後押しをした。
それが中国の軍事力に回り日本の国が奪われている結果につながってる。
まぁ、孫正義にとっては、日本の国なんかどうでもいいのだろうな。
では、日本人からしたらどう感じるのか?
日本の国が奪われても、自分が儲かりさえすればいいと思っているのか?
多分答えは『イエス』だろう。
日本人の殆どは日本で暮らしていて貧乏になっている。
それが嫌だと文句を言うならば、儲からない日本企業に投資をせねばなるまいと思うがどうか?
日本企業は自分の子孫たちが受け継ぐと思うがな。
まぁ今は外資にどんどん売られているけれど。
我が子孫が運営するべく、日本の未来の仕事を担う人に対して投資をする。
つまり、子孫に投資をすると言うことだろう。
自分たちの子供たちに教育をすると言うことと類似なのだろうと感じる。
自分たちの祖先を育て、教育をする未来への投資と考える。
自分の子供たちへの遺産相続そのものなのだではないのか?
にもかかわらず、日本の国内で生きていても お金にならないからお金になる中国企業に加担をする。
それが、今の団塊の世代を中心とした現代老人の考え方だ。
日本の国を中国に売り渡そうとしているのは、現在の団塊世代なのだろう。
その団塊世代が自分たちの老後を不安がっているのは滑稽に値する。
まさに本末転倒なのではないかな?
考え方が短絡的なのではないかな?
ひどいよね。
現在の団塊世代たちは、そういう自分のことしか考えない連中な気がしてきてる。
最近つくづくそう思うのだが。
見渡してみて その年代の輩はそういう連中が大変多い。
全員がそうだとは言わないが、そういう連中が非常に多いと言うのは事実だろう。
『因果応報』と言うけれども、それは現代の団塊世代の連中の死様に跳ね返っていく。
彼らがいなくなった後 おそらく日本の国は正しい国に舵を切ることができるようになるかどうか。
我々には責任はないともあるとも言える。
以前書いた投資の思考理論。
自分で食べ物を作らず作る人の投資する。
しかし人々全員が投資をするならば誰が作る?
作る者が誰もいないならば食べ物は無い。
投資先はない。
誰かが作る。
しかし貴重な食材はいくら金を積まれても一人分しかなければ分け与えないだろう。
今のホルムズ海峡を通過する化石燃料がいい例だ。
お金を積むことは価値を最大限に上げていく。
仮に化石燃料が微々たるものならば世界中のお金をかき集めても払えないくらいにまでなるやもしれない。
ならば自分で化石燃料を掘るか石炭燃料に替えるかだろう。
自分の手を汚さずに武力で奪うのが現代人の野蛮極まりない行為。
ならば投資はお金の暴力行為そのものだとも言える。
価値の暴力は軍事的な暴力と共に存在するのが人の世だな。
逆さから言う。
人の世は軍事暴力で成り立っている。
このところ暑い日が続く。
気温がたいてい35℃を上回る。
今日もか。
汗をかくことは悪いこととは言い切れないがとにかく暑い。
68歳の高齢者にはきつい。
仕事も無理やり続けてるような気もする。
まぁ、仕事しないと暮らせない時代。
どうにかなるものか?
仕事をやめて一番困るのは奥方。
死ぬまでこき使う気だろうな。
もっと安いところに引っ越したいが今は全てが値上がりしてる。
今では我が家の家賃は破格値になってる、きっと。
もし引っ越すとしたら?
田舎の自分の家に帰ったら?
まぁ、普通はそうするだろうけれど。
田舎はイヤ!って。
昔お姫様が仰る。
このさい どうにでもなるか状態でフワフワ浮いてる。
浮雲人生だな。
お望みの結末は今の国際情勢と似てて。
なんてこったい! だな。
面白い(爆)
夜が暑いです。
昼間が暑いのは今ごろの普通になりました。
でも 夜が暑くて。
眠りが不安定。
睡眠が睡眠の体を為していない。
アレルギーすら出始めてる。
まぁ毎月の病院通いでアレルギーの薬をもらってるのでそれで凌ぎますが。
それよりも最近 漫画を読んでも内容が理解できない。
そんな印象が強い。
ましてや本はまるで読めない。
これはスマホやインターネットなどの影響としか考えられない。
理解力が消滅しつつあるなぁ、と。
或いは年齢のせいか?
やはり動画ばかりを液晶画面で観てるせいもあるなぁ、とも。
時代のせいもあるか?
最近は環境の激変で人が人でなくなりつつあるきがヒシヒシしてる。
自分もそれに同化しつつあるんだろう。
もはやただの物体でしかないのか。