『September』
以前は9月は秋風が吹く季節。
オフコースの秋の気配という歌のように物憂げな感情が湧く季節でした。
最近はまだまだ暑いので夏が過ぎていく秋風を感じる事がなくなった気がします。
夕方になると夕陽があかくさしこむ簾越しはいつのことやら。
秋は夕暮れ。夕日の差して山の端いと近うなりたるに、烏の寝所へ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり。まいて雁などの連ねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。日入り果てて、風の音、虫の音など、はた言ふべきにあらず。 (枕草子)
この時期の秋とは旧暦では長月と言い、大雑把には今の9月20日頃から10月20日頃までという文献を読んだ。
本当かどうかは知らない。
だからあと1ヶ月くらいは昔も夏なのかもしれない。
でも、そうは言っても子供の頃は残暑という感覚になってたよなぁ、と。思う。
夏休みが終わる頃には蜩の鳴く声を聴きながら簾越しの夕陽を観て、少し寒くなったかな、と半袖のシャツの腕を摩った記憶がある。
もう休みも終わりだな、と夏休みの宿題をどうしたものか、と思案する。
不思議なくらい宿題はしなかったので。
今もしなければいけないことはほぼしない。
したいことならするけれど、したくないことはできない。
しようと思っても、出来ない。
腑に落ちない事にはアレルギー反応なのか何なのか、とにかく身体が反応しない。
違う、と思った事は時間が身体のプログラムから消し去る様な、そんな感じ。
強制的にやらされた事は、やったつもりなのだけれど、終わってみるとものの見事に全く違う結果になっている。
どうしてやらないんだ!と叱責される。
やったんですが、、、
言われた通りに?、と聞かれたら、「はて?」
どうしたかはあまり記憶にない。
まぁ、それはいい。
秋の気配のこと。
秋は寂しい。
でも、運動会は楽しい。
今は春の運動会が増えてて季節感が変わったけれど、東京オリンピックがあった頃から秋は運動会の季節。
まだまだ、暑い陽差しに肌が真っ黒なままで駆け回る。
大人も子供も小さな学校の運動場で走リ回る。
リレーが好きだった。
抜きつ抜かれつでクラスごとにみんなで大応援。
抜かれる側は面白くない。
抜く側はこんなに気持ちの良い事はなかなか無い。
自分が遅くてもクラスの誰かが追い抜くと絵も知れぬ高揚感を味わえる。
運動間は終わったらアッサリと忘れ去れる出来事になる。
運動家が終わってやっと本格的な秋になる。
そしてすぐに秋から冬になる。
制服も袖既になる。
たいていこの頃は夕方の日が落ちる時間が短くなってくのを日に日に感じられる。
運動会が終わると、稲刈りが始まる。
長袖にはなっているけれど、まだあ暑い昼日中に身体を痒くしながら籾と戦う。
面倒っちゃあ面倒だけれど、稲の匂いが豊年かどうかを見当させる。
稲刈りが終わって籾摺りが終わって近所の農家で手伝い合ったら夜は酒宴になる。
御馳走もある。
それは戦の後の酒盛りと同じような感覚なのかもしれない。
やっと今年も一仕事が終わる。
これから冬を迎えて食料も確保できたし、といった具合。
蟋蟀が鳴き、肌寒さに上着を羽織る。
その時期その季節からは山仕事が始まる。
私は父親と山掃除に入る。
はて、松茸いつ摂りに行ったろうか、もう忘れた。
松茸は湿った山の枯れそな松の周囲に生息していた。
私の記憶ではやや斜面の山の雑木を掃除してから一年くらいした湿った感じの土地にある。
松もそんなにしっかりした大木ではなく、まぁ小ぶりの松。
その週に約2mくらいを囲むように円を描いて松茸が覗くことが多かった。
特に珍し印象を持っていなかったのおで松茸がなんで騒がれるのか未だに理解できない。
山掃除は冬に行う。
下木を刈って掃除をして、松の枝打ちをする。
松食い虫にやられた頃は大変だった。
発動機付きのミニ台車に乗って山の中まで入り松を切り倒して、確か1軒くらい置きに切って乗せる。
結構重い。
父と二人だけでやっていたので大きな作業はできない。
松の倒れる向きが悪いと別の健康な松に掛かってしまう。
地上5mくらいにロープを巻いて倒れる向きが思った方向に行くように引っ張る。
チェーンソーは倒れて欲しい方向に刻みを入れる。
それからチェーンソーは挟まれないようにロープをある程度調整しながら切っていく。
一気に倒れると山の斜面をずれ落ちる。
なので、その気配も気にしながら引っ張りながら倒す。
切った松は台車に乗せて山道を縫うように帰る。
家の木小屋の前には切った木が積まれる。
冬になったら、売れない木はさらにのこぎりソーに掛けて30cm程度に切り落とす。
これはけっこうっ危険だった気がする。
普通、あんな危険なものはないだろうな、と最近は思う。
そして、それからは薪割り作業。
薪割りは冬の仕事。
薪は木小屋に山高く積まれる。
今も 田舎の実家には使い切ってない薪がまだ残ってるかもしれない。
お正月を迎えるまでには他にも色々な作業があったようだけれど、もう忘れた。
鶏も1000羽ほど飼っていた。
卵には不自由したことがない。
子供の頃は牛もいたし、山羊もいた。
犬や猫も飼っていた。
そう言えば、普通に柿があり、桃もあり、栗、イチジクも成っていた。
野菜は豊富。
その頃なら自給自足できていたかもしれない。
四季は一年を通じて生きることをその都度再認識させる。
今の日本には四季が無くなってるんじゃないだろうか。
本当の四季とはただの暑い寒いの繰り返しではなく、生きる人と自然のお互いの営みを相互に分かち合っていくことではなかろうか。
命は地球にもらえるモノ。
全てに感謝しつつ、そのありがたさを還す。
その感謝を忘れて我が物顔。
お金をくれる人間に感謝はしても、本当に感謝するのはそこなの?と思う。
むしろ、お金のない世界を想像してみるのも一考に値するかもしれない。
自給自足はそんなに生やさしいモノではないよ。
みんなそう言う。
冬場の山の枝打ちは霜焼けで手の感覚が無くなる。
自分がしていた頃は普通の軍手だったから酷い霜焼けで痒くてしようがなかった。
そう言えばいつから霜焼けにならなくなっただろう。
人の暮らしは大きく変わった。
自分の人生だけでもそう感じるんだから、きっともっと感じる人はいるに違いない。
昔は無かった病気が随分増えた。
昔の病気は無くなりつつあるのだろう。
それが本当の幸せなのかどうかは私は知らない。
これから先、未来を生きる若者達がどういう時代を作っていくのか。
バトンを渡すのは誰なのか?
考えたら、無責任な老人達が保身のためだけに作った仕組をそのまま受け継いでいては未来は無いように思うのである。
でも、今の自分にできる事は何か?
自分が必死で生き残ることだけに費やした時間もあとどのくらいあるのか?
その時間は何のために費やしたらいいのか?
多くの人はやはりお金を残す、ということになるんだろうなぁ。
命はお金よりも本当に重いのか?
本当のところはどうなのか?
現代人の心の奥の本心に問いたいところだ。。。