気分がマシなのは休みの日は仕事がないからだ。
仕事がいまの私の大きな悩みなのは確実である。
ズシリと心深く悩む。
仕事を辞めようかどうしようか悩んでいる事をさりげなく嫁さんに漏らしてみた。
やはり、随分気になった様で、やめる決断をしたのかどうか、探るようなメールが返ってきた。
やめる決断ではない事をはっきりと伝えたら返事はなかった。
年齢・病気・性格・単身赴任という環境など、いろいろと耐えられない複数の問題がある。
その上、会社からはお荷物にされている。
そんな状態でいつまで持つか。
確かに最初はチャレンジ精神で頑張ればどうにかなると思っていた。
しかし、あれこれと新しい物事に弊害を感じて来る精神状態は努力する気持ちを大きく削いでしまっている。
人と人の関係もある。
従業員同士の人間関係ならおそらく別の従業員よりはマシな境遇である。
それは自分の過去の立場から解っている。
それとは別にプレッシャーを感じるのである。
私の性格の問題が大きいのだとは思う。
57年間で積み上げてきた性格、そして過去も同様に感じて性格改善を試みてきた。
57年間かけて修正できないものがそうそう簡単に変えられない。
仕事をするようになって35年間、性格を変えようとチャレンジして鬱状態になった。
酒で回避することでなんとかしのいだ。
しかしその代償としてアル中になった。
アル中で死にかけた。
なんとか現状打破して凌ごうとした。
死ぬのを待つだけの時間を感じつつ考えた。
それには環境改善しかない、と思った。
そのための方法を手探りで探した。
結果 結婚だけはしようと努力した。
自らが別次元に飛び込む大きな変身であった。
自分を捨てるつもりだった。
無理なら死んでいい、これまでだ、と思った。
気ずいた時にはその過程でアル中から遠ざかっていた。
アルコールを意識するとやや嫌悪を感じるようになった。
アルコールによって魔物の世界に行ってきたから もう行きたくないと思えた。
ひとまず人並みになっている自分を感じて平静な時間を送ってきた。
まさに平々凡々とした時間であった。
多少の波風を被ったとしてもそれは普通の範囲だと思えた。
魔物としてのアルコールは消えつつあった。
が、何故アルコールが自分の中に忍び込んできたのか、と。
それは私の性格が人間社会の抑圧に耐えられなかったからである。
幼い頃から女々しいところがあった。
生活の随所にそれを感じる事があった。
まるで自閉症なのではないかとも思えた。
人を避けたし、人を警戒していた。
人とは極力関わらないようにしてきた。
人と関わる必要がある場合はなんとかアルコールで忘れようとしたのである。
アルコールを消したらやがて蘇ってきた人との恐怖。
それを回避する為に避けてきた人的環境に今ハマってしまっているのである。
せめても、とアルコールではなく薬を頼っている。
やっと心療内科のドアを叩いた。
実は、3年前から環境変化に耐えきれずに心療内科を探して電話をしようかどうしようか悩んでいた。
3年間、心療内科のドアの前に行ったり来たりしたし、電話を上げてみたり断念したり、そういう時間をズルズルと過ごしてきた。
3年が経ち漸く心療内科に薬をもらっている。
でも、それが、その自分の状態が何者なのかまだ分からない。
私という個性なのかもしれないと思ったりしている。
他にも同様の個体者を見かけるからである。
普通の範囲の個体なのかもしれない、と。
でも自分でもやはり「変」だとは思う。
男でもないし女でもないような変な性質を持っていると感じるのである。
私の使う言葉でいえば 「無機質な人格」と表現している。
男性にも魅力を感じるが性的なものではなく人的な魅力を感じる。
女性には哺乳類としての性としての魅力は感じるが、女性というよりも人としての人的な魅力で判断する。
そのうえで最も強く意識するのは知性である。
科学的な知性とそれを更に超越した芸術性にも大変な魅力を感じる。
まさに 、私には宗教と言える様なものが必要なのかもしれない。
人を超えたい。
もう人でなくてよい、と感じる。
しかし人として生きているからにはそこから出られない。
逃げられなくなっている。
若い頃は、意識のパワーでなんとか凌げたかもしれないが年齢を重ねると共に意識のパワーが消えてきた。
所謂、「精神力」である。
気持ちが負けてきた。
もういいや、と。
若い頃からややそういう気持ちが多かった。
なので、個人的にはいまやもうどうでも良い事ばかりなのだ。
でも生活するためには、それを超えなければいけない。
私の今の仕事はその越えるべきハードルが非常に高いのである。
非常に高い普通の若者が高いと感じて厳しく思っている」ハードル。
私には本来なら到底無理なのだが、チャレンジすればなんとかなるだろう、と欲張った事にツケが回ってきたのだ。
いずれにしても仕事の悩みなら仕事で解決するのが正しくないか?
「薬」ではどうにもならないと思えてきている。
プラシーボ効果ではどうにもならないと薄々気づいてはいるのだが、、、