アンマ南インドツアーへ
1月14日
アンマは南インドツアーに出発する。
私は最後のお見送りに行きたいと思っていた。
だがアンマの出発時刻は私がカフェで働いている時間だったので行くことは出来ないと思っていた。
その日カフェではマネージャーもツアー参加のため人員不足で、更に一緒に働くはずの人が無断欠勤したので私はその日1人で働かなくてはならなかった。
私はインドビザが切れるので17日の飛行機で日本に帰る。あと3日だ。
結局アンマとは一体何だったのだろう。
不思議な偶然が起こり「気付き」を促進されたと思っていたがそれも今となってはただの気のせい?
確かなものを知ったと思ったが、それも日本に帰ったらすぐに忘れてしまうのだろうか。
ツアーバス出発の時間までにドリンクを求め長蛇をなす人々にただ一人馬車馬のように奉仕しながらそんなことを考えたりしていた。
お客さんから同情されるほどめまぐるしく働いていたのだが最後に気づけばキッチンにすら誰もいなくなっていた。
ぽつーん、、、、
片づけを終えて1人空しく歩いて行くと人だかりがあった。
アンマはまだ出発していないのか?。
私はアンマを一目見たかった。
「私がここで学んだこと、私の思う方向性が正しいのならば私の方を見てください」
でももし見てもらえなかったら、、、
今までのことが全部無駄になってしまう気がして怖かった。
期待も願望も持つのは止めた。
アンマに見てもらえなくてもいい。
ここにいる人々全員がアンマ、つまり神なのだ。
そう思うと回りにいる人々がとても愛おしく思えた。
私がここで学んだことはこういう事なのかも知れないと思った。
私は溢れ出てくる愛の感情に目を細め、胸を詰まらせながらアンマを待った。
15分ほどしてアンマはやって来た。
私の前にはまだ人がたくさんいてアンマが歩いてくる通路を見ることはできない。
私はアンマの乗る車の近くにいた。
車に乗る時に恐らく少しは見ることが出来るだろうと思った。
警備員が人々を遮ってアンマが車に乗り込むための場所を空けた。
時間が止まったようだった。
窓をあけて後部座席に座っているアンマが1メートル先にいる!
後で何も見えなかったはずの私は何故か一番前の列にいたのだ。
他の人たちがすーっと避けて私の前に聖なる通路が開かれたような感じだった。
私は引き寄せられるように前に進み出た。
そして開いた窓から車のドアに手をかけているアンマの手に触った。
アンマは私の手の下にあった彼女の手を私の手の上に乗せてしっかりと握りしめてくれた。
信じられないことだった
普通はゴリ押ししてもアンマに触れることなど不可能なのだ。
「サンキュー、、、」
私はそう一言言うことしかできなかった。
感極まって顔はぐちゃぐちゃになり涙が出てきた。
私はその場にひれ伏したいという欲求に駆られた。
(だがそういやカメラが回っていることを思い出して人目を気にして止めた(恥))
車は出発した。
人々は頭を下げ手を合わせながらゆっくりと走る車の後ろについて行った。
私も後に続いた。
ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。。。
私は頭を下げて、アシュラムを後にするアンマの車を最後まで見送って行った。
私は放心状態だった。
しばらく1人でいたかった。
アンマがアシュラムに帰ってきた日、アンマは私の目の前で赤ちゃんを抱いた。
その時は嬉しくて会う人会う人にそのことを話した。
最後にアンマは私の手に触れてくれた。
そのことを人に自慢げに話す気にはなれなかった。
「私が特別にアンマに選ばれて」などという意識を持つことが自我を消し真我を実現することへの一番の障害だということを教わっていたからだ。
私がブログを書くことに興味をなくしたのは、私の人一倍強かったと思われる自我意識を打ち消したいと願い始めていたからかも知れない。
私は自我を確立することを放棄して真我に留まっていたい。
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日本に帰ってきて10日経った。
インドでの出来事が過去の想念となった今、
ワイドショーとか見始めちゃってるよ
もうすでに怪しいしっ
つーこって投げやりに(汗)
インド旅行記 おわり
沈黙破ってのご報告
と、いうことで、私は今日本にいる。
ということで、といきなり始まってもどこから始めていいのやら。
ブログがアシュラムから突然切れたのでポアされたのではないかと思った人もいるかもしれないが(いないか)決して口封じされていた訳ではない。
アシュラムは聖なる場所なので写真撮影禁止にはなっているが内部の様子や個人的経験は公開自由だ。
しかし私自身がどうも日記を書いて公開するという気分になれなかったのだ。
久しぶりにアメブロを覗いてみると中途半端で気持ち悪いと思ったのでアンマが南インドツアーに出発した1月14日分だけ書かせてもらうことにしてとりあえず〆ることにする。
初ダルシャン体験
みんなの噂はダルシャンはいつかということだ。
ここで言うダルシャンとはアンマがステージに上がり列をなしている人々を一人ひとり抱きしめていくという儀式のことだ。
一日に何千人という人をちいちいちハグし、たまに質問を受けたり長話を聞いてやったりもする。
そのダルシャンは12時間にも及ぶこともあるという。
アメリカから帰ってきた次の日にダルシャンが行われるとは誰も思っていなかった。
だが突発ゲリラダルシャンが行われることになった。
まず現地のインド人に対してダルシャンがあり、次に外人もどうぞ、ということになったので私も並ぶ。
あらゆる期待と不安と羨望の2時間;
感動して涙が止まらなかったという人もいたので念のためティッシュを沢山用意してきた。
でもアンマにハグされたら私もアンマの信者になってしまうのだろうかぁ。
ドキドキ。
いよいよ私の番に、
アンマの回りには人で溢れていてお付の人々がどこに座るか指示してきた。
流れ作業のように押し出され、ぐいっと抱きしめられてなにやらささやかれ、そして離され、
はいおしまい。
「?」
あれー、涙出てこなかったし特にスペシャルなことはなかったと思うけどー?
ということで初ダルシャン体験はただのハグだったなというだけの感想に留まる。
ダルシャン後、エスプレッソバーの恐怖のアメリカ女に会った。
ダルシャンどうだった?と聞かれる。
彼女の顔は別人のようにタレ目の涙目になっていた。
ファンタスティック、、、と歓喜極まりない表情で感動を表していた。
これが通常のダルシャン体験らしい。
だが私は特に変わったことはなかったのでがっかり。
午後3時にエスプレッソバーで働き始めた。
この時間帯はヒマなので他のスタッフとおしゃべりして過ごす。
ダルシャンがっかりでしたー。
スーパーバイザーのアイルランド人も最初は私のように特に何も感じなかったと言った。
でもすごく気になったのでまたアンマに会いに来て、なんとなくここに住むことになって、近くでアンマを見ているうちに彼女の素晴らしさが分かってきたのだという。
、そういうもんですか?
朝10時ごろ始まったダルシャンは夕方5時に終わった。
終わってステージを下りて部屋に戻るアンマを見送ろうと通路には人が押し寄せてきていた。
アンマはエスプレッソバーの前を通る。
通路とエスプレッソバーには3メートルほどの距離があった。
私は通路まで行けるな、とぼーっと考えていたが、他の人が行かなかったのでカウンターの後に突っ立っていた。
アンマは手を差し伸べる人たちの手に触れたりと大サービスをしながら近づいてきた。
エスプレッソバーの前でぴたりと止まってこちらを向いた。
!何?
私はビビッてアイルランド人の後ろに隠れた。
アンマはしばらくお付の人に現地語でなにやら話している。
私たち3人は呆然と立ち尽くし何が始まるのか待っていた。
ついにアンマは進行方向に向きを変えて歩き始めた。
ざわめく人々。
何だったんだ何だったんだ?
アンマは「カモーン」と言っていた。
ということを誰かが言ったので追いかけたが時すでに遅し。
アンマと私の3メートルの距離は縮まらなかった。
だってこっちを見てた訳ではないし 聞こえなかったし、、、。
帰り道ずっと手を触れる距離まで人が溢れていたのに、エスプレッソバーの私たちは通路まで駆け寄らなかったのでアンマは気分を害されたのだろうか?
2時間並んで3秒のダルシャンを受けた後、3メートル先で直々に「カモーン」と言われていたのに気がつかず反応しなかった。
なんだか深い体験をしたような。
やはり気になるアンマの存在。
アンマ帰アシュラム
アンマがアシュラムに戻ってくる。
アシュラムに戻ってくるアンマをお出迎えしたいという熱心な帰依者は何時にどこへ行くのがベストかという事を知っている。
遅くても朝の10時までに戻ってくるという情報だった。
私もぜひお出迎えしたいと思っていたが私のエスプレッソバーでの仕事が終わるのが10時半なので絶望的だった。
今朝アンマの夢を見た。
アンマが遅れてきたので私はアシュラム凱旋のアンマを見ることが出来たという夢だった。
彼女は私を隣に座らせてくれた。
私はとても嬉しかったがすぐに飽きて他のことを考え始めた。
そういう夢だった。
西洋カフェで働いている私に、初日から親切にしてくれている日本人がいた。
彼女はエスプレッソバーで働いている私にアンマ情報を知らせに来てくれた。
アンマは遅れてるので私も間に合うかも知れないという。
おおっ!正夢実現なるか?
仕事の後、」彼女に言われた場所に行ってみた。
10時半を過ぎてももアンマは帰って来ていなかった。
知らせに来てくれた日本人を見つけて彼女の横に座らせてもらった。
それから30分ほどしてアンマやって来た。
人々は我よ我よと押しかけ、前列にいた私は3番目くらいになってしまった。
赤ちゃんを抱いている背の高い女の人が私の前に来た。
こんな人の後ろでは絶対見えないから前に出てやると思ったが、隣の怖い人にバックオフ!と言われたので従った。
私の後ろにいたおばあさんが私をぐいぐい押してくる。
みんなアンマに握手をしてもらいたいのだ。
私は帰依者ではないし、ぶっちゃけどうでもよかったので私はおばあさんを私の前に押し出してあげた。
おばあさんはアンマに握手をしてもらえた。
背の高い女の人は彼女の赤ちゃんをアンマに渡した。
アンマはその赤ちゃんを抱っこして祝福した。
次の瞬間背中を押されスルッと最前列に出された。
アンマが深い愛情の笑顔を持って彼女の腕の中の赤ちゃんを見つめている。
それは私の目の前、のことだった。
私の顔を見ることはなかったがアンマの顔は私の30センチ前にあった。
私の目前でアンマはしばらく止まって赤ちゃんをあやしていた。
アンマにちょっとさわってみようかなと思ったが止めておいた。
でも後から押された時バランスを崩して一歩出た。
その時アンマのサリーを踏んでしまったようだった。
それは結構恐れ多いここだけの話。
このアシュラムの人たちにはアンマは神の化身として崇められている存在なのだ。
すばらしいエネルギーを感じる!と言って涙を流している人もいる。
しかし私には「?」という感じだった。
私はそんな有名人を目前で見れたことがとても嬉しかった。(←俗人)
ところでアンマをそんな目前で見られたのは私の後のおばあさんを前に出してあげたからだろうか。
苦行の成果
意地悪、ねたみ、ゴシップ等、そういうものに囲まれたのは久しぶりだった。
インド放浪中には様々なトラブル、アクシデントがあったがこれは更にツラい苦行である。
前日自分にもそういう所があると気付いた私はとどめを自分に刺したせいでかなり弱っていた。
朝7時半にエスプレッソカウンターへ
するといつも出来ているはずのコーヒー、ミルクなどのドリンクが出来ていない。
その係の人が来ていないというのだ。
こういう時に限ってみんな遅刻。
私は絶対間に合うの法則を使ってマニュアルを見ながら一人でドリンクを作り始めた。
アメリカ女が何も知らずにやって来た。
「どうか私にこのまま静かにドリンクを作らせて、、、あなたが来て仕切り始めると大恐慌になってしまう、、、」
案の定パニックに入ったアメリカ女、そこにイスラエル人スタッフがやって来た。
彼女もパニックに、二人のパニックがぶつかり合い激しい口論に発展。
二人ともキッチンに走っていって自分らの思うベストの方法を大声で主張、
ギャーギャー言ってる。
最後に「レッツノットファイト」と聞こえた。
二人は戻ってきてハグをした。
何が起こったのかはわからないが和解したらしい。
他の誰かに頼んだので私はドリンクを作らなくていいことになった。
あれだけ大騒ぎしたのだが結局時間ぴったりにドリンクは出来上がって通常時間に開業することができた。
ハリケーンカトリーナのような日だったわ、と、アメリカ女はシフトの終わりにそう言った。
他の二人にとっては何かとトラブルの多い日だったようだが私は関わっていないことだった。
私にとってはむしろアメリカ女が私にキレなかったので割りに良い一日だった。
私が自分の欠点に気付いて改めようとしたせいだろうか、それ以来アメリカ女は私にキレることはなかった。
そして約束の1週間が過ぎて私は午後3時からのシフトに移ることになった。
私は最後に
イットワズ ワンダフル エクスペリエンス ワーキング ウィズ ユー
と言った。
本当にそう思った。(ナイス エクスペリエンス とは言わなかった。。)
ライクワーイズ(私もよ)
と即答してくれた。
いろんな事に気付かせてくれたこのアメリカ女に本当に感謝の気持ちで一杯だった。
(もう一緒に働きたくないけど)
苦行の日々
エスプレッソカウンターでのタパス(苦行)は続いた。
アメリカ女に見られているかと思うと緊張してミスを犯す。
ミスをするとめっちゃ嫌なことを言われる。
私は蛇ににらまれたカエルのようだった。
ミスをしないように全身全霊を尽くし精神を極限まで緊張させて働かねばいけなかった。。
これはボランティアでやっている仕事である。
しかもここはアシュラムだ。
こんなストレスに耐えて不快に時間を過ごすべきではないと考えるようになった私はついに思ったことを言わせてもらう。
(オドオド)、ここはアシュラムです。、みなさん精神修行をしに来てるのにこんなにピリピリ働くべきじゃないと思います、ゆったり楽しんで仕事をしましょう。しかもここはインドなんだから、何人並んでたってみんな私たちが完璧に仕事をこなすことなんて期待してないと思います。
といってやはり聞く耳もってくれなかった。
「確かにそうかも知れないけど仕事は仕事で回転良くやりたいから努力してるんでしょ」
似たもの同士他二人に反撃された。
ということですぐに負けた私は約束の1週間が早く過ぎてくれることを祈ってその場の雰囲気に耐え忍んでいた。
だがマネージャーが通りがかって、様子はどう?と聞かれたときつい告げ口をしてしまった。
あの二人の緊張した雰囲気に耐えられません。
だが彼女もアメリカ人だった。
次の日の朝、アメリカ女にいきなりキレられた。
同じアメリカ人ネットワークで彼女に告げ口したとが伝わってしまったに違いない。。。
ディスイズ ミー、ワッキャナイ ドゥー!!
「言い方が悪いって言われてもこれが私なんだからしょうがないでしょ!!」
アシュラムに来てから私はいい人たちに巡りあっていてすごくラッキーだと思っていた。
だが前3日ほどから流れが変わった。
アシュラムの住人たちによると、もうすぐアンマが帰ってくるのでエネルギーが上がり、人々は様々な変化を体験しているのだという。
私の場合アメリカ女に怒られ始めたと時を同時にルームメイトとも不和になり、その他売店の人に意味もなくキレられたりなど嫌なことが続いた。
これはどういうことか。
朝ビーチで瞑想していて気がついた。
これは私のミラーイメージだったのだ。
私は普通の友人や仕事上で人にキレたりはしないが、一部の人間にはある種のキレキャラで怖い嫌な奴と言われたことがある。
私のキレにはまっとうとした理由があるのだから改める必要は全くないと思っていた。
だがキレてる人間に無言でも怒りを表されている人の立場になった私は初めて気がついた。
これはかなりの嫌な気分だ。
どんな正当な理由があると思っていても怒りというのはかなり低レベルなエネルギーで自分も人も不快にする。
私は今まで私がキレた人間に心から謝罪をしたい気分になった。
エスプレッソカウンター
初日、お昼のシフトで私に仕事を教えてくれたのはかわいいフランス人の女の子だった。、
カプチーノのミルク泡立て作業に訓練が必要だったがその他ふつうに簡単な仕事だった。
特にトラブルもなく事は進んでいった。
楽勝楽勝。
2日目から朝のシフトに回された。
朝ヨガをやっていたので1週間だけという約束で。
昨日でほとんど仕事内容を把握したと思っていた私は気軽に仕事を始めた。
だが、朝にそこで仕切っていたのはとてつもなく恐ろしいアメリカ人だった。
非常に小うるさいわ、.いちいち人の作業にケチをつけるわ、自分もけっこう間違うくせに人が間違ったら無能者を見下すごとき態度をあからさまに示すわ、説 明のしかたが悪く理解不能だったので確認で二度聞きしたら「何回も言わせないで!」とキレられた、自分は座ってお茶飲んでるくせに私がちょっと突っ立って たら時間があったら掃除するとかカップ整理するとかして!とか言われたし、お客さん3人並んでるだけでパニくって一人でギャーギャー騒いでは人にわけわか らん指示を出す、自分は知人が来たらおしゃべりしてるくせに私がしてたらキッと睨んで無意味な用事をいいつける\(*`∧´)/。
一体この人何?!
職場にはこういう嫌な女がたまーにいたりする。
私も何度か嫌な奴に当たったことがある。
このアメリカ女は私の体験史上二番目にひどい奴だ。
ちなみに一番目に嫌な奴は私が一身上の都合で辞めた後、他の人から嫌われ続け職場で一人で爆ギレしてその後精神病院に入院したという。
そうなのだ、このアメリカ女も普通ではない。
精神性を高めようとアシュラムで修行している人ばかりではない。
資本主義社会で精神に異常をきたしこういう所に救いを求めに来た人も多いと聞いた。
多かれ少なかれ人は人が自分の思い通りに動かないという理由でストレスを感じるものだ。
だがこの女尋常ではない。
私だけ特別にいじめられてるかと思ったが他の人にもそうだ。
だがマネージャーとはアメリカ人同士仲良しで、だからエスプレッソカウンターも仕切らせられてる。
ということはキレていい人とだめな人を識別する能力はまだあるということだ。
彼女はアメリカでハイスクールの教師だったという。
一体どういう教師だ。
めっちゃ生徒に嫌われてただろう。
たとえば人に何かを教える時、頼みごとをする時、「言い方」で結果がまったく違う。
だいたいどうして先生になろうとなんかしたのだ?
こんな教え下手な奴はなかなかいないぞ。
もう一人のスタッフはイスラエル人だった。
今回は3日前に来たばかりだが2年前ここで働いたことがあるということで経験者だ。
彼女もまたかなーりキツいタイプで優柔不断な客や何度も同じことを聞く客に半ギレしていた。
だが有能でてきぱきと働きミスもしない。
アメリカ女とは対等に渡り合ったらしく彼女はキレさせることをさせない。
いつもこういう職場で働いていたのだろうか、と思わせられる。
この二人に挟まれているとピリピリギリギリイライラと緊張した空気が伝わってくる。
耐え切れん。。。。。
前日のフランス人と働いていた時と全く同じ職種なのだが人が違うだけで天国と地獄の差。
これってタパス(苦行)?
皿洗い
スタッフは他二人、ロシア人。
自己紹介もせず黙々と皿を洗い始めた。
彼女らはウォークマンで何か聞きながら皿を洗っていた。
こういう所だからマントラでも聞いてるのかと思ったらガンガンのへヴィーな音楽が耳から漏れてきていた。
そして更に黙々と皿を洗う。
孤独な作業だ。
皿洗いする私。
気分は食い逃げしようとして捕まって罰として皿洗いをさせられている昭和の学生や。
だが皿洗いという地味な仕事も慣れてくればアドレナリンが出てくる。
いかに効率よく油汚れを落とし、きれいに素早くすすいで食器を所定の場所に片づけるか。
キッチンを歩き回る時も人や物にぶつからないように全体の空気を読んで動かなければならない。
一心に集中して働くというのはほぼ瞑想しているようなものだ。
寡黙なロシア人とも無言ながら目でコミュニケーションを取るようになり心も打ち解けてきた。
私はこの仕事を楽しくこなすようになっていた。
だが一つ問題があった。
手荒れである。
ゴム手をしてもいいということだったが、油汚れが落ちてるかどうか分からないので素手でやっていた。
皿洗いは3日続けた。
けれどもやはりこんな金にもならないことでただでさえ気になっている肌荒れをこれ以上加速させてはならない。
と考えるようになった私はマネージャーに訴えた。
手に洗剤アレルギーが出てきたので皿洗いやめさせて下さい。他にすることないですか。
だが当時西洋カフェ内の他の部署に空きはなかった。
セーヴァデスクに行って他のセーヴァにしてもらうよう言われた。
と、いう話を昼食時に一緒のテーブルに座っていた人たちに話していたちょうどその時マネージャーがやって来た。
エスプレッソカウンターにランチタイムに空きが出たんだけど明日から来られる?
あらびっくり。
こうして私は次の日から運命のエスプレッソカウンターで働くことになったのだった。
アシュラムのボランティア活動
ここのアシュラムに滞在しているとセーヴァというボランティア活動をしなくてはならない。
ボランティアなんて金にならないことはめんどくさいのでやりたくない。
という私だ。
だがアンマに会った人によると
アンマに会って抱きしめられてから奉仕活動を進んでしたくなるようになった。
というのだ。
うーん。。。
デビシルもそうなのだろうか、、(しつこい?)
ある日の事、部屋のドアを開けたら紙切れが挟まっていた。
ついに私にも赤紙が来た。
正午にセーヴァデスクに来てくださいというのだ。
アンマに会ったことがない私にもボランティアをしろというのだ。
仕方ないなあ、と思いながら朝食を済ませた。
自分の使った皿を洗って所定の場所に戻していた時、白人のおばさんに声をかけられた。
ちょっとあなたこのカップ持つの手伝って。
あ、はい。
カップを持って彼女について行った。
カップを置いて戻ろうとしたが、その時彼女に「あなたここでセーヴァやってみる?」と言われた。
あまり考えずにはいと答えた。
彼女は私をマネージャーに紹介した。
感じのいいマネージャーで私に明日からエスプレッソカウンターで働いて欲しいと言った。
これは偶然だろうか。
アシュラム初日にカプチーノを飲みにここ西洋カフェにやって来た。
一緒にいた人にセーヴァのことを聞いた時、私はここで働くことになるような気がすると言った。
私は予言が当たったようで喜んでいた。
マネージャーが他の人と話をし始めた。
皿洗い部からクレームが来て、人が足りないから新人が来たらこっちに回してくれというのだ。
ということで私は皿洗い部門に回されることになった。
下働きから始めよう。。。
アンマとは?
アンマとは一体どういう人か?
ケララ州出身の50代後半のインド人女性で「真我を知った人」である。
ダルシャンにて彼女に会いに来る人をハグをする。
そのハグの時彼女からとてつもないエネルギーが送られる。
その体験は千差万別のようだが、多くの人は人生を変えるような素晴らしい体験だったと言っている。
ここにいる世界中から来た何百人、何千人の人々が口々に「アンマ、アンマ」と言っているのはみんなその体験をしたせいだ。
(デヴィッドシルビアンもそうなのだろうか。。。)
ほとんどの人はその素晴らしい体験に酔いしれるだけで自分から真我を探そうとはしていないとアンマは彼女の本の中で言っている。
彼女の本当のメッセージはアンマに会って素晴らしい神秘体験をし、自ら真我を知った人になり外の世界に出て奉仕活動や世界のためにいいことをしていきましょう、ということだ。
という風に私はいまのところ理解している。
