風邪ひいた
風邪をひいた。
扁桃腺が腫れて熱が出ていた。
私は小さい頃はよく扁桃腺を腫らして高熱を出していた。
もう10年くらい腫れていなかったがなぜ?
喜んでエアコンを付け過ぎたせいだろうが、列車の過度のエアコンや、もっと寒い環境にも耐え抜いてきたはずなのだが。
1日様子を見て苦しすぎるようだったら病院に行こうと思った。
ティルバンナマライ 3日目
ここのアシュラムに於いては特に決まった規則はないようだ。
朝7時、午後3時にはチャイ、
昼12時から昼食、夜7時から夕食
と時間が決まっていて、その時間食堂に行くも行かないも自由。
当然私は外さないが。
アシュラムで二人、町で一人と日本人らしき人を計3人みかけた。
地味に人気のスポットだったのだろうか。
ラマナマハルシアシュラムにビジターとして入っていった。
ホールではちらほらと瞑想している人の姿が。
だいたいラマナマハリシって誰だっけ?
というレベルの私はラマナ像にひれ伏す気にはなれない。
写真は感じのいいおじいちゃんだが。
ブックショップがあったので入った。
普通は買い物などしないのだが、気に入ったヤントラ図があったので購入した。
日本語の本があった。
そういえばリシケシのとおるさんの奥さんが尊敬してるのはラマナマハルシだったと思い出した。
彼女が紹介してくれた本がこれだった。
↓こんな本
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4931449778/ref=cm_rdp_product
400ルピー(800円)だが日本の定価は2800円。
ぜひ読んでみたい本だったので購入した。
最近熱中できるスピリチュアルな本にめぐり合っていなかったがこれにはショックを受けた。
ブックショップで買った小さいラマナノートに、感動したことをまとめて書きつづりながらも3分の一も読んだ。
アシュラムにて読書の修行をした一日だった。
ティルバンナマライ 2日目
晴れ。
アルナーチャラ山近くに移動する。
リキシャーは外人をみるとぼったくりにかかろうとする。
ここは聖地だからここの住民もみんな悟りを開いているに違いない。
とは思っていなかったが、やはりがっかりする。
町の様子は貧しく舗装されていない道路が多い。
聖地という基準は何だ。
有名な聖者ラマナマハリシはそのアルナーチャラ山で悟りを開いたという。
それにあやかってか、ラマナマハルシアシュラムに滞在しようとする人は世界中から溢れていて2ヶ月先まで予約でいっぱいなのだ。
私はホテルに泊まろうとホテルを探していた。
だが迷い込んだ細道にあった、とあるアシュラムになんとなく入って行くとそこには空き室があった。
新しいアシュラムで部屋はスポットレスに清潔。
しかもエアコンつき。
さらに部屋の窓からメインスポット、アルナーチャラ山が絵画のように見渡せるという夢のような部屋だった。
料金は?と聞くとアズユーライク。
普通のホテルだと800ルピーはするだろうな。広いし1400ルピーくらいかも。
だが、アシュラムだし、、、、
私の予算は300~400なんだけど。というと
食事つきで500はどうか、と言われたのでそれで手を打つ。
でも他の宿泊者には黙っててね、みんな700とか800ルピー払ってるんだから。
、、、なんかアシュラムらしくないなあ。
ティルバンナマライ
夕べ遅く到着したのでティルバンナマライのバスステーションの前のホテルにとりあえず宿泊した。
だが本当はそこから2キロほど先のアルナーチャラ山の近くのラマナマハルシ関係アシュラムの近くのホテルに滞在することにしていた。
ラマナマハルシとはインドの聖者である。
インドに聖者は多いがインドやヨーロッパではある意味サイババより有名な聖者だ。もう亡くなってるが。
そのアシュラム周辺に移動しようと思っていたのだが本日は大雨なり。
この時期には珍しく雨が降っているのだという。
ということで雨の移動を避けてもう1日待つことにした。
ホテルの前の歩道は水溜り。
ただの水溜りではない、インドの汚水の水溜りだ。
その水溜りに入らねば外に出ることは出来ないのだ。
雨が降り続く中、部屋とホテルの下のレストランの往復のみ。
←バナナ皮のお皿のミールス!南インドのこれを楽しみにしてきた!バンガロール
午後1時半バンガロールに到着した。
40時間の列車生活も2回目ともなればもう慣れた。
前回はそのままリシケシ行きのバスに飛び乗った。(所要時間7時間)
そして今回も休むことなく無謀にも目的地へのバスに乗ることにしたのだ。
目的地はティルバンナマライというタミルナドゥーの小さな町だ。
私はよく知らなかったのだが、ある旅行者がインドで一番の聖地だと言っていたので行ってみようと思ったのだ。
何度も言うが別に聖地巡りをしている訳ではないのだが、なんとなく。
バンガロールから更に5時間バスに揺られて目的地ティルバンナマライへ直行した。
ローカルバスはインドでは珍しいちゃんと舗装されたハイウェイをぶっ飛ばし順調に進んでいった。
ところが4時間後午後8時すぎ、バスはハイウェイからガタガタ道へ突入、しばらくして「バーン!」という大きな音を立てた。
一瞬爆竹かと思ったがタイヤがパンクしたようだった。
乗客はバスを降りて成り行きを見守る。
バスにスペアタイヤは積んであったのももタイヤを代える道具がない。
いつ修復されて動き出すのか、それとも違うバスが来て乗せていってくれるのか。
周りに英語をしゃべる人はいない。
ここはどこか?バスのヘッドライトが消えたら真っ暗でトラでも出てきそうな雰囲気だ。
また変なところで遭難してしまった。。。。
だが絶対何とかなるの法則を使ったので30分足らずでレスキューのバスが来て難民の私たちを乗せていってくれた。
バスはおよそ6時間後10時過ぎにティルバンナマライに到着した。
ディワリと私
この日私は所要時間40時間のデリー→バンガロールと南下する列車の中にいた。
ディワリというインドのお正月とクリスマスを合体させたような一大イベントの日にだ。
どんなに盛り上がるか見てみたいと思った反面、爆竹の爆音が苦手な私は恐れをなしてどうにか避けたいとも思っていた。
なんとなくの流れで4日の列車を予約したわけで5日のディワリの日は列車内で過ごすことになった。
私はホーリーにはインド南部に居たのでカラーウォーターの掛け合いは見てない。
インディペンスデーにもド田舎にいたので盛り上がる市民のお祭り騒ぎも見ていない。
12年に1度のヒンドゥービッグフェスティバルのクンブメーラも近くにいたのに知らなくて見逃した。
ついでに完全皆既日食が見れたのにそれも知らなかったので見逃した。
ということでイベントを見逃すことになんて慣れっこなのさ。
同じ車両には体格のいいボンズ頭のインド青年集団が乗っていた。
アーミーかと思ったらポリス学校の生徒のようだった。
それがやたらゲイ。
←よりそう二人。
←他に空いてる所があるのにこのように密着して寝る盗撮で逮捕されたらどうしよう。
混乱の街デリー その2
11月4日
混乱しながらもパハールガンジは面白い。
面白い店があるし活気がある。
ただ歩いているとしつこいタイコ売りに付きまとわれる。
ほとんどゾンビだ。
いらないと言っても「ハウマッチ ドゥーユーペイ」と言って耳心地の悪い声で延々と話しかけ続けるのだ。
こっちの言うことなど聞いてはいない。
何も言わなくてもハウマッチ、ハウマッチ、の連続。
気が狂いそうになる。
南へ行く前に薄手の服が欲しいなと思ったのでコーンノートプレイスに行くことにした。
アンダーグラウンドマーケットにて打ちのめされた
今まで行ったどのマーケットより重くしつこく、攻撃的だ。
そういや去年来たことがあったと思い出した。
なぜまた来てしまったのだろう。
まだまだ修行が足りなかったと反省したデリーの2日間だった。
いざ南下、デリー→バンガロール の40時間の列車に乗る。
40時間
40時間
40時間
40時間、2泊3日♪あれ?今年の4月に逆ルートでデリーに来たんだったよな。
そのまま銀河鉄道になって機械の体をタダでもらいに惑星メーテルへ行った。
というジョークが生まれたんでしたね。R様。
混乱の街デリー
11月3日
昨日遅くデリーに着いた。
ニューデリー駅の近くの有名な安宿街パハールガンジまでリキシャーに乗らねばならない。
だがここで正しいリキシャーに乗ることがとても難しい。
駅から1歩出ると、うじゃーっと湧き出てくるリキシャードライバーたちに囲まれて一斉に大声でまくし立てられるのだ。
ここで既に精神を破壊される人も多い。
平常心を保つためマントラを唱えながらその濁流から逃れ流しのリキシャーを探そうと思った。
ふと気付くと平行して歩いているインド人の家族。
彼らもパハールガンジまでの乗り物を探しているという。
彼らが見つけたタクシーに便乗して一緒に行くことになった。
なんとか手ごろな安宿を探し落ち着いた。
泥のように眠った。
長旅のせいではない。デリー独特の疲れる空気のせいだ。
デリーに長居は無用、翌朝すぐに南部へ向う列車の手配をしに駅オフィスへ行こうとした。
朝食を食べに入ったレストランの人にいろいろ話しかけられ、鉄道予約に行くと言うと今はディワリというインド最大のフェスティバルの時期なので鉄道オフィスは閉まっていると言われた。
コーンノートプレイスのオフィスで手配できるからそこへ行くといいと言う。
レストランを出てすぐ居たリキシャーに値切って20ルピーでそこのオフィスに行くよう手配してくれた。
コーンノートプレイスに行く用事もあったのでそのリキシャーで行くことにした。
オフィスに着いた。
明るく綺麗なオフィス。
洗練されたインド人が流暢なアメリカ英語で話しかけてくる。
バンガロールに行きたいというとディワリフェスティバルのインド全国超混みで今後2週間は列車の予約が取れないという。
それに今南インドは雨季でしばらくは大雨だからラジャスターンがいいとアドバイスされた。
実は私はラジャスターン経由で南へ向う計画も立てていた。
だが鉄道は取れないしバスも混み混みでタクシーで行くしかないと言われた。
いくらかと聞くと片道だけで7500ルピー。
でも彼の勧めるホテルつきのツアーだともっとお得だという。
ピーン!
おいおいおいおいっ!!!
私はまさか騙されて高いツアーを組まされようとしている真っ最中なのではないか!?
だいたいデリーの観光オフィスで働いている政府の役人がこんな完璧な英語を話すわけがないのだ。(失礼)
そしてこのオフィスも綺麗過ぎるぞ。
そして親切丁寧すぎる。普通はものすごくいい加減なはずだ。(失礼)
ここを紹介したレストランの店員からしてグルだったのだ。
オフィスには先客がいた。
ラトビア人でスリナガルのボートハウスに泊まるツアーに申し込んだという。
スリナガルのボートツアーは騙されぼったくりで有名だと聞いたことがある。
あわれラトビア人、ここに餌食が、、、。
私はちょっと考えると言ってそこを出た。
すんなり出してくれたのはきっと先客のラトビア人に疑いを持たせないためだろう。
ああ、デリー、されどデリー。
ここでは騙されるのは前世のカルマによって導かれた必然的な経験なのだ。
おそろしやデリー、戦い慣れていると自負していた私もうっかりここまで時間をとられてしまった。
ニューデリー駅の予約オフィスに行くと誰が言ったか閉まってなどいない。
普通に営業中ですんなり明日の夜の便が取れた。
今夜の便も取れたのだがもう1日チャレンジしてみようと思った。
トイトレイン
11月2日
インドには3つ世界遺産の山岳鉄道がある。
インド南部のニルギリ山岳鉄道、ダージリン・ヒマラヤ鉄道、そしてここシムラー・カルカ鉄道だ。
ニルギリには乗ったことがある。
トイトレインという名が似合うかわいいクラッシックなトレインだった。
ダージリン・ヒマラヤは更にクラッシックでほとんどホグウォーツエクスプレスという。
そういうのをここシムラー・カルカ鉄道に期待していたのだが
中身も普通に地味だった。
シムラー・カルカに関しては単に普通の車両より小さいのでトイトレインという名前で呼ばれているらしい。
それともたまたま地味なのに当たってしまったのだろうか。
されど世界文化遺産、このルートには800を超える橋がありトンネルの数は103個もある。
←トンネルへ
私は決して鉄道マニアではないのだが2つのインド山岳鉄道に乗ったので〆はかの有名なダージリン・ヒマラヤ鉄道に乗ることに決めた。
インド旅行記第4弾に続く。
ほんとかー。
5時間半後終点カルカに着いた。
その後更に5時間かけてデリーへの列車での移動が待っていたのだった。
シムラー 2日目
ホテルの窓からはパノラマでヒマラヤの山が見える。
今までの田舎とは違い建物が多いがそれも絶景。
シムラーのホテルは割高かと思っていたが350ルピーでヨーロピアンスタンダードだった。
シムラーで志村を待とうと思っていた日々はもう遠い。
シムラーに来て良かった。
中心街にはガンジー像、インディラガンジー像、などインドの歴史的有名人の銅像がありインド人観光客はその前でポーズを取って記念撮影。
インディアンコーヒーハウスがあったので入る。
インディアンコーヒーハウスとはインド全国にチェーン展開するコーヒーハウスである。
おいしいコーヒーのお店だが食べ物も一通りあり料金が安い。
だがビジネスインド人の社交の場所でもある。小汚い人はいない。
私はインディアンコーヒーハウスでインド人を観察するのが好きだ。



