私には兄が2人います
2人とも、生きづらさを抱えて生きてきた2人。
下の兄が消息不明に
「下の兄の異変」はこちらから…。
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下の兄に異変は…
このように始まったのですが…
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その上の兄、
私と8歳離れた兄も…
これまた生きづらさを抱えて
生きている人です
兄は幼い時から…、
勉強ができ成績は常にトップ。
周りからの信頼は厚く、
学級委員に推薦されるような人でした。
のちに兄はこのことを…、
兄
「いつも学級委員とか、
代表的なものをやらされて嫌だった。
みんなやりたくないから、
押し付けられたって感じ…」
と言っていました
そんな兄は…
自分が夢中になれるものを見つけ、その学校に通い知識と技術を習得することに一生懸命になっていました。
それが…
カメラ、写真です
兄が撮った写真
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そして…
兄は写真関係の会社に就職をして、職場の近くに一人暮らしをして…
数年間、頑張っていました。
大都会の中心にある会社。
セレブが多い街に、
兄はちゃんと毎日、
通勤していました
出来ていました
なのに…
突然、その会社を
辞めたのです
兄
「あの会社は、
景気が悪いから、
将来がない…」
とかなんとか言って…
スパッと辞めたのです
そうだ…。
そういえば…、
兄は昔から、
最後までやり遂げずに、
急に辞めてしまうことが多かった
それまでは、
あまり気にすることなく、
私たち家族は過ごしていましたが…
この仕事を辞めたことから、
兄の問題が顕著になったのでした
兄は…、
「どうせすぐ、
次の仕事見つかるから」
と、軽〜く言っていましたが…
それは現実にはなりませんでした。
いえ、確かに仕事は見つかるのです。
面接をして…合格をいただいて、
働き始めるのですが…
続かない
1カ月…、
3週間…、
ひどい時は1日…、
なんて時もありました
会社に申し訳ない
本人も、
これには焦っていました。
本人は仕事がしたいのです。
お金が欲しいから、
仕事をしたいのに…
次の日に身体が動かなくなる…
それを…
何十社と…
繰り返していました
何十社も採用してもらえるのが、すごいわ
両親は、
さすがに
「お兄ちゃんがおかしい」
と気づき…、
大学病院の精神科を受診したり…
発達障害を疑い、
専門の病院で検査をしましたが…
結果はいつも
「異常なし」。
森田療法を受けるために
入院をさせて治療をしていた時もありましたが…、
それも途中で投げ出し、
帰ってきてしまいました
森田療法というのは、
昔、神経症と言った強迫症(強迫性障害)、社交不安症(社交不安障害)、パニック症(パニック障害)、広場恐怖症(広場恐怖)、全般不安症(全般性不安障害)などに対する独自の精神療法です。
それでも兄は…
この約20年間…、
「仕事をしたい」の一心で…
あきらめずに、
兄なりに行動を起こしていました。
それは…
世間から見れば、
何もしてないのと一緒。
ダメな人間。
障害者…精神病の人。
と言われてしまうかもしれませんが…
兄は…、
兄なりに、
必死に生きてきました。
頑張って、闘ってきたのです。
目には見えない、
しつこい病と…
しかも、
他人には見えにくい病なので、
勘違いされたり、
変な目で見られたり…
それでも兄は、
頑張ってきたのです
そして…、
私にとっては、
自慢の兄なのです
大好きで大切な自慢の兄
それは…
今もこれからも、
変わらない気持ちなんです
ただ…
なかなか兄の思いはカタチにならず…
思いだけが空回りをして、
自分で自分の首を絞めている状態で、兄は行き詰まっていました。
そんな兄を…
旦那を亡くし、実家に帰って来ていた私は、
間近で見ていて…
なんとかしなきゃ!!
と…、
私は行動に出たのです
うつ病や、社会適応障害などを抱えておられる方の、そのご家族の何かお役に立てれば…
と思い、これから私が兄の為にやったことを
綴っていきたいと思います。
つづきます
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