我がご先祖の墓地のある徳島県三好市池田町佐野高毛、こんなお墓が今もチラホラ残っています。
 
 
 
 
 
香川へ抜ける県道から、うちのご先祖の墓地に登る道の脇、丘陵地の丘の上の見晴らしのいい場所にこの石ころを積み重ねたお墓があります。
 
 
 
上から見るとこんな感じ。
 
丘の上の平坦地はおそらく昔の住居があった場所と思われます。
 
また、もう少しのぼると、、、
 
 
このように、基礎が整備され、今も花芝のお供えが絶えない石のお墓もあります。
 
 
同じ徳島三好市の、かずら橋で有名な祖谷も平家の落人で有名な地域です。
ここに「平国盛」の子孫といわれる阿佐家の古い墓地があります。
 
 
ここでは、墓石に墓碑がないのが特徴で、どれが誰のお墓かというのは阿佐家の当主のみに口伝で伝えられてきたそうです。
 
 
ここでは自然石の土台の上に同じ丸い自然石が置かれているのが特徴です。
 
 
 
 
 
おそらく江戸末期か、明治からは墓碑をたてるようになったようです。
因みに、写真の墓碑の家紋は、平家の紋で有名な「〇に揚羽蝶」でした。
 
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上の3枚の写真は、日本秘境探訪 さんのページから引用させていただきました。ありがとうございました。
 
 
また、三重県松坂市には平家六代の墓といわれる落人村の墓地があります。
 
津の山里 129
 
平の清盛の直系曽孫の六代という人とその一族のお墓らしいですが、この写真のように五輪塔を模して石を積み重ねたり、加工して五輪塔にしたりしたものが多いです。
 
確かに、平清房や伊藤清左衛門伝説の残る伊予切山にも五輪塔が一基ありました。
 
 
安徳天皇をお守りしながら入山してきたお侍さんのお墓と伝えられ、切山では地元の人に「ごうりんさん」呼ばれ大切にお祀りされてきたそうです。
 
佐野高毛のご先祖様のお墓とはスケールが違いますが、何か共通点は感じます。
 
また、四国中央市金砂町小川山の山中に、平家の武士のお墓と伝えられている七人塚があります。
 
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これ、祖谷の阿佐家のお墓に似ていますね。高さが高いですが。
 
実はうちの高祖母リヨばあさんが、上の七人塚のある金砂町小川山、同じ川筋を少し下った久保ケ市という地区の長野家の出であることが、佐野の墓碑墓石からわかっています。
 
以下久保ケ市について、
 
※以下村影弥太郎さんのページから写真を引用させていただいています。
 
 
久保ケ市はすでに廃村で、人は住んでいません。
 
 
お墓も荒廃していますが、その中でも古いお墓があります。村影弥太郎さんのページに昔は屋敷が7軒あり、墓石から「長野」とあるとありましたので、おそらくこれが我がご先祖様の墓地かと思います。
 
 
また自然石のお墓もありました。佐野高毛の自然石のお墓とよく似ていますね。
 
おそらく平家の落人の遺跡七人塚も近くにある高祖母の家系も平家の落人の血筋でしょう。
 
※本写真は廃村研究家の村影弥太郎さんのページから引用フリーということで引用させていただいています。
 
さらに、WIKIPEDIAの、平家の落人のページの「・高知県〜愛媛県〜徳島県の山地一帯」の項では、
 
「~周辺に点在する平家一門の隠れ里では明治に入るまで墓石がなく、石に名前を書いて並べ置く風習があり、これは戦時の伊勢平氏一門の風習と合致する。また香川県の屋島→徳島県の東祖谷と逃れた平家一門が最後に住み着いた場所である可能性は高い。」
 
とある。
 
佐野高毛の石のお墓を含めて、上に示した平家の落人の隠遁地の古いお墓は、みな同じ平氏一門の風習に合致する。
 
 
これまでの調査で我が一族の伝承でも「平家の末裔」といわれていたことがようやくわかりましたが、
 
 
この自然石のお墓群の存在もその裏付けのひとつかもしれません。