久しぶりに神社ネタ

 

病院に行った帰りに、寄り道してきました。

 

「多太神社」

 

WIKIによると、

 

「多太神社(ただじんじゃ)は、兵庫県川西市平野にある神社摂津国河辺郡式内小社。旧社格郷社明治に入り神社に移行した多田院(現在の多田神社)と区別するため地元では「たぶとじんじゃ」と呼ばれている。」

 

そうなんです。

 

多田神社といえば、日本を江戸時代まで800年にわたって支配しきた清和源氏発祥の地であり、清和天王の曽孫である「源満仲」をお祀りしていた多田院が、明治の神仏分離で以降神社となった、このあたりでは相当に有名な神社です。

 

春には当時の源氏を模した役者が行列を作る源氏祭りも開かれています。

 

このため、このあたりで「だだじんじゃ」といえば、多田神社=多田院のことを指します。

 

ところが、最近になって、多田神社はもうひとつあることを知りました。

 

それが「多太神社、ただじんじゃ」です。

 

WIKIによると、

「創建年代は不詳だが、『川西市史』によると、かつて神社近辺は”川辺郡大神郷”と呼ばれており、大和国の神人族(三輪氏)がこの地に移住し、祖先の大田々根子命又は大国主命を祀ったのが創始とされる。いつから現在の祭神になったかは不明であるが、源満仲多田荘を根拠地とした際に平野神社の祭神を勧請したとの伝承がある。」

 

とあります。

 

なので、有名な多田院よりももっと古く、日本最古の神社がある大和三輪山の三輪氏が移住したともありますので、おそらく1500年から2000年ほど前からこの地と、この神社は開かれていたと思われます。

 

 

源氏が多田荘を根拠地としてからは、本居とした多田院から見て艮の方角に当たることから、守護神として位置づけられ”平野明神”と称したとされ、近世まではこの名で呼ばれていた[1]明治6年(1873年)に郷社に列した。」

 

ともありますので、1000年前は非常に格の高い神社だったのでしょう。

 

この神社は、現多田神社(多田院)から北東の方向に1.3kmほどの能勢電平野駅から徒歩数分の場所にありますが、地元の人以外一般の人はほとんど知らないと思われます。

 

 

 

 

 

上の2枚の灯篭の写真は、江戸時代上が元禄年(1688~1704)、下が正徳年間(1711~1716)の刻印とともに、平野大明神、平野社という社名が記されています。

 

現本殿は1600年代に再建されたようですが、その前に1500年代にすでにあったようです。

 

その建築材料が、今も本殿裏側の蟇股に様式として残っています。

その下に鴨居があったんですが、これも拝殿前にあった鴨居とよく似ているのでいつのものか不明ですが補修前のものでしょう。

 

拝殿の右の鎮守の森の中、やはりありました。

 

「磐座」

 

一段高くなった台座の上に幅1.5mほどの岩が祀られていました。

おそらくこの磐座が、本殿をご神体とする前のご神体ではないかと推測されます。

 

とにかく、1300年を超える古い神社は、ほぼ磐座や神奈備があります。

 

この神社も、今はひっそり地元の人々の願いを聞いていますが、もとはこのあたりの信仰を一心にうける神様の居場所だったんですね。

 

※写真は2019年7月と、2020年2月のものが含まれています。