今回は文字ばっかりです。。グラサン
 
 
「ようやく七世代も遡り繋がった遠縁のご親戚にご挨拶を敢行、やっぱり一族は平家の落人だった!」
 
 
この正月の調査でようやく、
 
 
佐野の一族の方とうちの家系の繋がりがわかりました。
 
 
具体的には、1811年の古文書佐野村棟付帳にある一族の人々の名前と、佐野高毛のとある一族の一家の墓碑のイミナ(名前)がつながり、
我がご先祖と一族の関係が、棟付帳の記載により一気にグワーンと判明しました。
 
 
これにより、その墓碑の家系が我が家系と先祖を同じくする本家筋であることがわかりました。
 
 
そこで、ようやく繋がった遠いご親戚を訪問して見ました。
 
 
顛末は以下。
 
 
高毛の墓地でようやく見つけた棟付帳の名前との繋がりを辿り、この一月に帰省をした時に、一族の方にその墓地の方の名前をお聞きしたところ、「ああそうだったのか」と妙に納得され、その方の家を教えてくれました。
 
 
その名は、「Sコ」さん。※一部伏字にしてあります
 
 
山を降りて「まる金」の隣にその方の家が今もあるとのこと、
 
 

ところで早速その足でふもとに降り、「まる金」ってなんだ?

 

 

 

醤油屋か?

 

 

 

と、探してみてもなかなか見つからなかったので界隈の民宿のご主人や隣の長老の方にお尋ねしてみたところ、

 

 

なんと「金光教」のことでした。「まる金」というから醤油か何かなのかと思っていましたが、日本三大新興宗教のひとつの金光教でした。びっくり

 

 

お聞きした場所から、すぐ近くだったのでその足で見に行ってみると、確かに「まる金」、その隣に、県道に削られたような長細い土地に一軒比較的新しい家が建っていました。

 

 

ドアベルを押してみましたが反応はありません。そうこうしていると、となりの金光教の家のご主人がたまたま現れ、お話してくださりました。

 

 

結果、もうそのSコさんはお亡くなりになったとのこと。そりゃそうです、生きてたらもう100歳越えているとのことなので。

 

 

娘さんが大阪にいるとのこと、もう名字も変わっていましたが、そのお名前だけが郵便ポストに書いてありました。

 
 
そこで、お名前をWEBサイトで検索したところ、一件、某市の散髪屋さんがヒット。電話番号もあったので、思い切って連絡してみました。
 
 
私「あの、伊藤と申します。今、自身の先祖調査をしていまして。。。」
 
 
散髪屋さん「ああ、私です。」
 
 
と、なんとあっさり一発で見つかりました。
 
 
はや。
 
 
そこで、後日日を改めて、ご訪問。
 
 
そこは、某JR東西線沿線の下町、小さい町の散髪屋さん。
 
 
ルーツを同じくする遠いご親戚の方、つながったSコさんの娘さんでTさん(仮)四国から大阪に出てきてもうかれこれ60年、そこでまだ現役で理髪店を経営されているそうです。
 
 
界隈に住まわれ、この理髪店に時々来られている、佐野高毛出身で我がご先祖の墓地に最も近い家で屋号が「藪の上」、現在も家がある伊藤家の本家出身の方も声掛けして頂いており、散髪屋さんにいらっしゃっていました。
 
HD(仮)さん、81歳、現役で自営業の会社の会長をされているとのこと。
 
 
御二方とも笑顔で歓迎していただいたのもありがたいのですが、最初はやはり緊張されていたようですすが、これまでの経緯や調査結果をお伝えし話をするにつれ、子供のころの昔話にどんどん花が咲き楽しく話をして頂きました。
 
 
家系については、系図の空白や穴を快く教えていただけました。
 
 
そのほか、
 
・藪の上の伊藤家は、峠を越えた香川県観音寺市大野原に長男のご子息が住んでいるとのこと。
 
・またうちと同じ先祖を持つSコさん、Tさん筋はもう伊藤の名前は絶えており、仏壇は嫁いできたTさんの家にあるとのことで、お位牌も見せていただけました。
 
・籔の上の伊藤家とのはっきりした繋がりはわからなかったのですが、Sコさんの筋から籔の上の伊藤家のHDさんの筋に嫁いだ人もいたり、まあ近い時代もつながりはあるようでした。
 
・250年まえごろのわが先祖も含めて江戸時代から明治、大正にかけてやはり一族内での養子縁組はいったりきたり何度か行われており、賦役や財産をつなぐために、一族でなんとか家督をつないできていることもわかりました。
 
結果として、間違いなく血縁であること以外、一族内で縁組み往来が頻繁に行われており古き時代のはっきりした筋は分かりにくいということも、わかりました。
 
・Tさん家のもともとの墓地は我がご先祖の墓地のそばにあったこと。古い墓地がすぐ近くに並んでいたいう位置関係も、もともと同じ家の親族であったことの裏付けになります。
 
・その古いお墓を現在の墓地に移すために、そのお墓のお骨を掘り出したところ、ミイラ化したご先祖の骨や髪の毛、ご遺体がそのままきれいに残っていたこと。
 
=>と言うことはうちのご先祖もまだ墓の下に眠ってるってことやなあ
 
などなど。
 
また、話がもりあがってきた最中に、思い出したように。
 
・佐野から県道を北上し香川県側にトンネルを抜けた恵比済(エビスクイ)という地域も方々も、平家の落人の子孫だと伝わっている。
・むかし海老済の畑の真ん中に塚があり、これは何ときくと、その畑の人が平家の落人のお墓だと言っていた。
 
という、いきなり佐野近辺の平家の落人につながる情報もいただき、
 
ついにはなんと、
 
・藪の上、HDさんの家のお兄さんがご存命時に先祖調査を行われていたそうで、その結論としてやはり平家の落人であると父から言い伝えられているとのことでした。えええ?
 
実はこちらから平家の落人については何も触れていませんでしたが、おどろくことにHDさんの口から先に平家の落人という言葉が出てきたのです!
 
 
やっぱりか!
 
 
これだから、先祖調査はおもしろい。
 
 
さっそく、
 
準備してきた切山平家伝説の話、
伊藤清左衛門国久の話、
今も直系子孫がいる話、
そこ家の家紋と佐野高毛の伊藤家の家紋が同じであること、
直系子孫の家には、安徳天皇や平清国、平清房、伊藤清左衛門国久らの源平合戦物語が載っていて、伊藤家系譜という(田辺家系譜の写し)という古文書があること
 
 
などをお話しました。
 
 
藪の上本家の過去帳は香川県観音寺市大野原の御子息の家にあるとのこと、
 
 
#また繋がった〜爆笑
 
 
是非御子息をご紹介していただけないかと、お願いしてその日は終了しました。
 
 
約4時間話し続け、楽しいひと時を過ごさせていただきました。
 
 
遠い遠い親戚であることがわかった、一族の方、ありがとうございました😊
 
 
また突然の訪問に快く迎えていただきありがとうございました。ニコニコ