これって、なんやろうな? | エニグマ/奇妙な話

エニグマ/奇妙な話

幽霊話ではない不可解な怪奇現象、怪談奇談の数々。
これらは全て実際に起こった出来事です。

この世界は、あなたが思っているようなモノではないのです。

大学時代、私は自主映画のサークルに所属していた。
 

私が入学した90年代は、バブルもはじけたもののイベントサー
クルが流行だした時代で、当時の先輩たちの尽力でそのサーク
ルも映画制作に限らず、幅広い目的で集まり楽しめる団体になっ
ていた。
近隣大学から来る学生も含め、一時期メンバーは100人近くいた
と思う。
来るもの拒まずという雰囲気のおかげで、偏狭すぎて高校時代
には友人も少なかった私もやっと居場所が見つかったような気が
していた。
いまの自分に繋がる原点だと感謝している。
 

しかしながら、そこはやはり映画製作などを目指す連中の集まり
だけあって、BOXと呼ばれる溜まり場に常駐する顔ぶれはかなり
個性的であった。
加えて社会に出る一歩手前の、自由かつ自我を確立するための
最後の悩み多き学生時代である。
ある者は非常に自意識が高く、悪く言えば我が強なりすぎた時期
でもあって、時に小競り合いに発展したり、逆にお互いを過剰に
意識して避けて通るといった時間であった。
そういったことも今ではすべて懐かしく、私に限らず皆それぞれに
大切な思い出になっていることだろう。
 

その思い出の中で一つ、ぽつんとした黒い染みのようなものがある。
サークルの先輩、Hさんの話。


私は二浪して入学したため、Hさんは年下なのに先輩という人生
で初めて接する人間関係の一人だった。
初めて一緒に帰った際そのことを知って、そんなの気にしてませ
んからと先んじて気を使ったつもりの私に、「当たり前や!ボケ」と
わりと辛辣に返すような人であった。
こうして今でも憶えているということは、当時少なから吃驚したと
見える。
今思えば、彼のシニカルさも青年期特有の不器用さの裏返しで
あり可愛らしいものなのだが、時にやりすぎたこともあったのか、
その時の怖い女性の先輩からやんわり絞められた、という話も
記憶している。
 

当時、私の下宿の別棟にはHさんと同じ代の先輩が住んでいて、
彼らはそこも溜まり場に朝まで麻雀などをしていた。
私といえば新たな居場所を見つけることはできたものの、偏狭な
のは早々変わるはずもなく、部屋に訪れる友人も少ないので腫れ
物に触らないということなのか、Hさんたちも私の部屋に来ること
はほとんどなかった。
 

そんなある日、珍しくHさんが私の部屋にやってきた。
電話を貸してくれという。

携帯が普及しだしたのは1996年あたりからだったから、この日
はそれより前の93、4年頃、それもわざわざ私の部屋に来たこと
から、いつもの溜まり場の先輩が不在だったのだと思う。
また下宿街だった近所も学生が少なかった印象があることから、
やはり夏休みに入っていたのだろう。
 

六畳一間の私の部屋に座ると、私の横でHさんは電話をかけた。
相手は実家の親御さんだった。話からすると、どうやら親御さんは
連絡が取れない息子を案じていたようだった。

本人も知らない間に、Hさんは警察から行方を捜されていたらしい。
 

「・・・いや、それがようわからんのやわ・・・」
 

何か腑に落ちないことでもあるのか、そんな言葉をしきりに繰り返
しながらしばらく話し込んだあと、Hさんは電話を切った。
何かあったんですかと聞くと、彼はやっと事情を話してくれた。
 

当時、彼は私のところから歩いて5、6分ほどの近所にある学生
アパートに住んでいたのだが、その同じ下宿で学生が死んでいる
のが発見されたという。
 

その学生は柔道部員でそれまできちんと練習に出ていたのだ
が、どうしたことか、その日は道場に出てこない。
友人が様子を見に下宿へ寄ってみると、うつ伏せに床に倒れた
まますでに息絶えているのが見つかったという。
練習に向かおうとして倒れたようだった。
 

警察が直前に何か変わったことはなかったか、同じ下宿に残る
学生たちに聞いて回ったが、ちょうど夏休みである。
折悪しく下宿に残っていた者は少なく、またどこかへ泊まり歩い
ていたのか、姿も見当たらなかったHさんには実家に連絡が行っ
た。
警察からの連絡に驚いた親御さんから行方を探し尋ねる報せが
人伝で届いたようで、彼は警察へ連絡を取った帰りに私の部屋へ
来たのだった。
 

余談になるが、携帯がない時代の連絡というのは、万事こんな感
じであった。
私自身ももう忘れかけていることも多いが、いまの時代だったらH
さんも私の
部屋に来ず、それどころかさっさと実家から連絡が来
ていたことだろう。
そもそも警察も実家に連絡などはせず、直接Hさんに確認してい
たかもしれない。
亡くなった学生も異変を感じ誰かに連絡できていれば、またその
日のうちに友人から連絡があれば、事態は変わっていたのかもし
れない。
その時代の狭間に経験したこの話を思い出すたびに、まるで何か
に隠されて見えないモノが、隠された事で返って浮かび上がる、
そんな曖昧なもどかしさに囚われて仕方がない。
 

近いところで同じ大学に通う学生が亡くなったという事実にショッ
クを受けていると、Hさんがぽつりと
 

「なあ、近藤よ、これどう思う?」
 

と話し出した。
 

数日前、彼が外出しようと戸口で靴紐を結んでいるとき、廊下で
誰かが話しているのが聞こえたという。
 

話しているのは中年女性で話の内容からすると、どうやら宗教の
勧誘に回ってきたらしい。
オウム事件以前は原理研などの学生勧誘が学内外問わず盛ん
に行われていた。
もちろんHさんはそんな勧誘に付き合うほどお人よしでもない。
めんどくさいからとっとと帰れと思いつつドアの陰で息を殺して
やり過ごそうとしていると、その女の言葉が耳に入った。
 


「・・・・あなた、死ぬってどういうことだと思いますか?」


 

なんでそんなことを言うのだろう・・・。

宗教の勧誘にしてもやや唐突にも聞こえるこの言葉が、なぜか
耳に残ったという。
どんなヤツだろうかとそっと覗いてみたが、女の顔はよく見えな
かった。
が、女が話している相手はわかった。
 


相手はその亡くなった柔道部員だった。
 


「・・・なあ、近藤、どう思う?これってなんやろな?」
 

もちろん、私にも答えられるわけなかった。
しかし、それがHさんの作り話ではないことは分かっていた。
自称・霊感の持ち主や他人の不思議体験など鼻で笑いとばす
皮肉屋である彼が、いきなりこんな嘘をでっち上げるわけがない。
そのことを知っているだけに、いつものような毒舌も出ず不安そう
に目を瞬かせているHさんの横顔を黙ってみていたのを覚えてい
る。
 

改めて、この話をHさんっぽく或いは合理的とやらで考えるとする
なら、かの学生は恐らく脳溢血や心筋梗塞などで不幸にも亡くな
ったのだろう。
柔道のようなハードな運動は知らず知らずに心肺機能など肉体を
傷めてしまうし、実際に突然死など体育会系としても死亡率の高
い運動だと聞いている。
一方、その宗教勧誘の女性の言葉も、彼らの話に耳を傾けさせ
るため、強いインパクトを与える決まり文句だったに違いない。
 

すべては偶然の一致といっていいのだろう。
だが、そうだとしても一つ幽かな異和感が残る。



・・・何故、それらは一致したのだろうか。
 


すでに死に至る異常があった学生、
夏休みのその時間、彼が部屋にいて、他の誰でもない、彼が
ドアを開いたこと、そして訪れたのが新聞勧誘ではなく、宗教と
いう死後の世界を語る哲学を信奉する集団の女性、さらにその
彼女が具体的に死を想わせる問いかけをしていたこと・・・。
 

これらは全くバラバラに配られた、全く異なるパズルのピースで
ある。
それなのに組み合わせてみると、ピースは合致して一枚の絵が
出来上がってしまった。

しかも、その絵はあまり見たくない薄気味悪いモノなのだ。
 

これがなんなのか今でも分からないし、あまり深くは考えたくない
気もする。
あれから20年近くたつが、毒舌も丸くなったHさんと再会する機
会はあるものの、未だに一度もこの話が出ないのは、あの時彼も
私も同時に同じことを考えて背筋に寒いなったからに違いない。
 

“もし、その偶然の一致が自分の下へ来たら・・・”と。


 

皮肉屋でありながら人一倍怖がりのHさんが、よりによってその
奇妙なパズルの傍観者に選ばれたという事実は、一体どのよう
な力が、何を見せようとしていたのだろう。
図らずも選ばれてしまった彼
が、あの日珍しくうちへ電話を借り
に来たのは、まっすぐ自分の部屋に帰りたくなかったからに違い
ない。


その学生の死因は曖昧にされたまま特定もされず、どういうわけ
か急ぐように荼毘に付されたと聞いていることだけ、最後に付け
加えておく。




(追記)
先日、当事者Hさんからこのブログを見たという連絡があった。
この話は夏休みではなく冬休みのことであり、Hさんが留守だっ
たのはスキーに行っていたからだそうである。
改めてお詫びして訂正させていただく。

なお「ほかにも細々いいたいことはあるが、まあ、これでもええわ」
というHさんのお墨付きをいただいた。

Hさんは変わりなく過ごされているようだ。