京都所司代。この役職はA.D.1600年。ちょうど関ヶ原の戦が終わり、

徳川家康が江戸幕府を開設した頃から幕末のA.D.1867年まで存在した。

これはいわば江戸幕府京都支部。当然だが歴代京都所司代は徳川家寄りの

者たちで占めらて来た。主な任務は首都・京都の警備。

そして歴史上最後の京都所司代・松平定敬に焦点を当てる。

かつてマシュー・ペリー提督率いるアメリカ海軍・海兵隊による

戦艦4隻が沖縄の那覇港を出港し浦賀水道まで乗り込み、以降、日本は

15年にも及ぶ幕末の内覧の時代を迎えた。

この当時、日本の清国はロシア、イギリスが侵食していた。そしてアメリカもそれに

加わり極東圏の支配に乗り出した。併せて日本国内ではこのままでは白人の植民地になるからと、従来の幕藩体制を打ち捨て、ヨーロッパを模した近代的な国会及び政府

を持つべきとする維新派が現れた。片や幕藩体制のままでいいとする幕府方もいた。

そして日本国内は内戦の状態となった。

そして得に松平定敬は首都・京都を守る立場。そして幕府方でも最右翼の会津藩藩主

松平容保の実弟。そうした立場から、維新志士は憎かった。そして日本全土の

維新志士に一大影響を及ぼした坂本龍馬は最も憎い相手だった。

そして松平定敬は坂本龍馬のいる宿に忍び込み、得意の左手による小太刀で龍馬の

額に切りつけ、致命傷を負わせた。

刺す元竜馬暗殺の真犯人は松平定敬だったのだ!!