今回の旅で訪問した神社仏閣は、下鴨神社(みたらし祭)、上賀茂神社、鞍馬寺、由岐神社、貴船神社、伏見稲荷大社(宵宮祭)、出雲大神宮、比叡山延暦寺、八坂神社、清水寺っていうラインナップ。チョイスの視点としては、パワースポットとして著名な神社仏閣を訪れるというのと、普段お参りする機会の多い伏見稲荷と日枝神社のお膝元に神恩感謝のお参りをしにいくというものです。
鞍馬寺
とまあかなりの量の神社仏閣を訪問したのですが、その中で、特にピックアップしたいのは、著しい身体反応のあった鞍馬寺。鞍馬寺には何度か過去に行った事があったんですが、昨年の8月に訪問したときに、鞍馬寺から貴船神社に向かう山中で、体の中心が振動しガクガクした反応があったこともあり、今回同様な反応が再びあるかどうかが、訪問における興味のポイントでした。で、結論からすると、やっぱりガクガクと体の振動が起こった。それは、鞍馬寺でお参りを済ませた後、貴船に抜ける奥の院の山道の途中、僧正ヶ谷不動堂のあたりに到着したときに起こった。たたし、僧正ヶ谷に到着するまでに山道が続くので、筋肉の疲労の可能性もある。なので、脚に痙攣のような症状が起こっているのもそのためかもしれないので、不動堂の前で体を念入りにストレッチを行い、10分ほどゆっくりと筋肉を休めたのですが、痙攣は治まらず。体の反応に注意を払うと、左の下腹部から左脚にかけてが振動している。カメラで不動堂を納めようとしても振動でブレる。やはり、このエリアには何かあるのかも知れない。しばらく僧正ヶ谷不動堂にいてから、魔王殿へ異動すると少しだけ振動が弱くはなったものの、まだ振動は続いていて、結局下山し貴船神社に到着しても、体の振動は続く。そして、貴船神社の社務所でご朱印をもらっていた時に、面白い事実に気がついた。何気なくストレッチ感覚で体を反らす動作をしたところ、体の振動が強くなったのだ。逆に背中を丸めると振動が弱まる。この振動がどの部位(筋肉・内臓?)に由来するかを検討するのによい材料になるかもしれない。アシュタンガヨガをやったあとに体の中心が振動する経験があるのだが、ひょっとすると、ヨガのバックベンディングにもこういった振動発生のメカニズムを知るヒントがあるのかもしれない。こういったカラダが振動する経験は、昨年奈良の三輪山に登ったとき以外に起こったことはなく、さらに、三輪山でいえば、その後何度か三輪山に上っても、この鞍馬山ほどの反応は今のところありません。近々また鞍馬山に登る機会がありそうなので、今一度再検討をしてみたいところ。単なる思い込みかどうかの検証には、何度も脚を運ぶことが必要だと思うので。気になってネットで調べたところ、数は少ないんですが、振動する体験をする人がいて、その方も僧正ヶ谷不動堂~魔王殿あたりだったようで、このあたりで報告されている現象について、真実を明らかにする研究を誰かしてもらえると、ほんとにすっきりするんですが・・・
出雲大神宮
そして、取り上げたいのは、今回初めて訪問した神社、出雲大神宮。前日の豪雨に清められたのか、朝一番に訪問した、出雲大神宮は、本当に清らかな空気が境内に漂っていました。密度の濃いエネルギーがギュッと凝縮されているかのような空気感。”鎮まる”という言葉がまさにぴったり。思わず身が引き締まるような気持ちがしました。玉置神社に似ている感じがします。こういう清浄な空気というか、よどみのない、穢れのない空気というのは、なかなか味わう経験はできない。こういった神社が、いつまでも変わらずに残っていて欲しいものです。社殿の奥の山の中には盤座があり、古来から引き継がれている信仰の原点を見る思い。奥社の前で、目を閉じ瞑想をすると、手足がズンと重くなり頭の中がすっと空っぽになっていく。早朝の森林に響く鳥たちの声がただ何の想念も生み出さずにただただ流れていく。この感じはなかなか味わえる機会はめったにない。ただただ、素朴に清浄。伊勢神宮は、神々に仕える人々の細やかな気配りや大きな愛情が、その清浄さに透けてみえる思いがするのに対し、この神社は自然に、ただただ自然に、そこに“ある”。作り込まれた清浄さではなく、素朴で自然な清浄さ、とでもいうべきか。感動・感動、ただ感動。