戸隠神社に週末に出かけたんですが、感想です。



最初に奥社へ訪問。一の鳥居から奥社まで2キロほどの参道は両脇を濃い緑たちに囲まれ、とてもすがすがしい。随神門を抜けると、巨大な杉が両脇に立ち並ぶ見事な参道が続くんですが、杉はどれも太く大きく天に向かってそびえたっていて、その壮大さに驚いてしまいました。ところどころに間引きしたであろう切り株があるのですが、それがまたとても太い。これだけ見事な杉並木は初めて。そして、うっそうと続く杉並木の参道の脇には、かつてこの地が神仏習合の修験道の一大修行道場であったことをうかがわせる講堂の跡があり、明治政府の神仏分離令がいかに過去の偉大な霊的な資産を破壊してしまったかを感じさせます。随神門を抜けさらに1キロほど歩いてようやく到着した奥社は、燃え上がる炎を瞬間凍結させたかのような形状の戸隠山の峰々に取り囲まれて、ひっそりと鎮座。静かにそこにたたずんでいる。お参りを済ませ、しばし境内にたたずんだ後、瑞々しい大杉の巨木たちが立ち並ぶ参道を引き返しました。で、身体反応ですが、奥社の駐車場を降りたときから、空気感が面白かった。腕の表面が時々ピリピリし、時折クモの巣でもひっかかったような、静電気のような、バリッとした感触があったりする。その感覚が一の鳥居から、随神門のあたりまで続く。そして、不思議なことには、随神門を過ぎたあたりから、さきほどまで肌に感じていた感覚がほとんどなくなっていて、奥社にたどり着く頃にはすっかり消えていた。奥社に近づくにつれ感覚が強まるならわかりやすいのだけれど、その逆の反応。謎です。また、参道の後半、奥社が大分近づいたあたりに、両手の平に変化がありました。自分はヨガをした後に、左の手のひらの中央部がじんじんすることがよくあるのですが、そのときは右手の手のひらの中央もじんじんしており、これは初めての経験でした。そして、奥社からの帰り道に随神門の楼閣を過ぎ、一の鳥居を目指し歩いているときに、体の感覚に違和感を覚えふと少し立ち止まると、体の中心がすこしだけ震えている。鞍馬山ほどのガクガクとした振動ではないけれど、弱い振動が体の中心に起こっている。さらに奇妙なことに、随神門から一の鳥居まで引き返す道には、さっきのピリッとした感じやバリッとした感じをほとんど感じなくなっており、頭は???。慣れたっていうことなのか、一連の現象が思い込みの結果の産物なのか、頭は混乱するばかり。



奥社でお参りをした後、中社へ。中社はとても気持ちの良い空間で、行きの奥社の参道で感じたピリっとか、バリッとかいう感覚はありませんでした。手を加えられ整備され、整えられた感じというのか、とても心が清らかな気持ちになりました。



奥社も中社もまた時期を変えて来てみたいと思います。

さて、今回の旅は料亭の仕出弁当の味を比べるという目的もあり、前評判の高かった「あと村」の仕出弁当(5千円)と、「菱岩」の仕出弁当(4千円)を食べ比べしてみました。



あと村

コストパフォーマンスにおいて高く評価される「あと村」の弁当。大丸の裏手にある四条店で、5千円の弁当をピックアップ。四条店は普通の居酒屋の佇まい。店内にはJ-POPが流れており、当初割烹とは聞いていたので少し驚くとともに少々不安な気持ちに。弁当を受け取ると、ズッシリとした重み。早速ホテルで取り出し、実食。白木の箱に色とりどりの煮物・焼き物が並び、思わず箸が迷う。サトイモの煮物をまず一口。うまい。うにの加茂茄子のせやら、ローストビーフもうまい。冷めていても、味がしっかりついている。からすみまで入っており、満足度が高い。総じて濃い味にビールが進む。笹の葉に包まれた麩饅頭をデザートにいたるまで、一気呵成に食べ終えた。が、翌朝。起き抜けに、化学調味料を多量に取ったときのような気持ちの悪い後口に気がつく。冷めても旨い濃い味付けの理由って科学調味料なのか?誰か真相を究明願いたいところ。(無添加だったらごめんなさい。)



京趣味 菱岩

京都の仕出し弁当の横綱と評判高い菱岩の弁当。直接店に電話をかけるも、弁当は夏季休業期間とのこと。がっかりしていたところに、京都駅の伊勢丹なら注文承るとのことで、そりゃ文句なく発注でしょ、と即4千円の弁当を注文させていただきました。で、帰りの新幹線に乗る直前に伊勢丹で弁当をピックアップし、乗り込んだ新幹線のシートを倒すのももどかしく、早速弁当をオープン。彩り豊かな表情は、あと村の5千円弁当ほどのバリエーションはないものの、十分に豊かなもので食指をそそるものだった。たこの柔らか煮を口に含むと、柔らかな食感と煮汁の旨さが口に広がる。椎茸、サトイモ、鶏松風、ローストビーフ、車えびの焼き物など、さまざまな味の小品たちの怒涛の味覚を味わい幸福感に浸るうちに、気がつくともう名古屋。あと村ほど強烈な旨みが強くはないがしっかりとした味付け。翌日もあと村ほど、後口の悪さはなかった。あくまで個人的な感想ですが、自分は菱岩のほうが好みです。

今回の旅のテーマ、わらび餅。



茶寮ほうせん
とにかく、ほうせんのわらび餅がうまいっていうんで、これを目当てに下鴨神社のみたらし祭後に一目散にお店へ向かう。店は住宅街にある。暖簾のかかる上品な佇まいに、ああ京都っぽいと思いつつ店内へ。店の人に案内されて、席につき、満を持してわらび餅を注文。15分ほど待つ間に周りを見渡してみると女性ばかりで、少々気恥ずかしかったのですが、これもわらび餅のため。ようやく出てきたわらび餅は、笹の葉の上に黒々として光っている。一口たべる。もっちりとした感触は今まで食べたわらび餅の中で一番弾力を感じる。水に濡れた表面と内側とで食感が異なり、それも面白い。甘さは控えめでちょうどよく、お好みの黒蜜は僕には必要はなかった。950円と値は張るが、後悔なしのうまさ。




甘味祇園徳屋

突然の豪雨の中を雨に濡れながら祇園の街を歩く。ようやくたどり着いた店内には、カップルと女性客たち。めげずに一人座り、わらび餅を注文。しばらく待ち、でてきたわらび餅は、白いカキ氷のまわりを上品に取り囲んでいる。ほうせんよりも瑞々しく、水ようかんのようなつるっとした光を放っていた。口に運ぶと、とろける。とにかく、とろける感覚。ほうせんの弾力とは対照的であった。甘さはほうせんよりも、更に控えめ。お好みの黒蜜と一緒に頂くほうが、自分にはあっていた。そして、この黒蜜がとてもおいしい。おもわず黒蜜だけ、おかわりください。と鼻白むような発言を思わずしてしまいそうだ。ただ、このわらび餅、量が少ない。あっというまに食べ終わる。1200円ということを考え合わせても、個人的には、ほうせんに軍配があがった。




高台寺 洛匠

ねねの道沿いに、にっこりと笑う「おけいはん」のポスター。うまそうにわらび餅を食するおけいはん。そんな笑顔に吸い込まれるように店内に入ると、日本庭園の広がる京都らしさ全開の席が用意されている。名物抹茶入りのわらび餅を注文。あっという間にでてきた。きなこのまぶされた緑のわらび餅。ひさしぶりに食べた落匠のわらび餅は、ほうせんほどの弾力はないが、モチモチした感触で、ああ洛匠のわらび餅だな、と心が納得する。昔食べたときには、ひどく感動したものだけれども、ほうせんを知ってしまった今、そこまでの感動がないのが残念。会計を済ませ(650円也)、少しばかりの残念な気持ちをふり払うように、ひたすらに清水寺へ足を運ぶのでありました。