納涼歌舞伎の千秋楽。歌舞伎座へ向かったのは午後1700過ぎ。そそくさと仕事仕舞いをして地下鉄に飛び乗り、浮き足立って東銀座駅の出口を出ると、人・人・人。「千秋楽」と書かれた大きな垂れ幕が歌舞伎座に掛かり、第三部を見ようとする観客たちがごった返す。本日の第三部演目は、「お国と五平」、「怪談乳榎」。中村座である。




まずは、「お国と五平」。三津五郎・勘太郎・扇雀が演じる谷崎潤一郎の演目。小品ながら谷崎潤一郎らしい作品。男と女の愛憎を巧みな展開で見せていく。最初意気地のない悪役と思われた三津五郎演じる友之丞が一気に形成逆転する展開の巧みさ。扇雀演じるお国の愛欲と残酷の壮絶さ。愛の狂気と悲しみが心に残る。



そして、「怪談乳房榎」。怪談話で有名な三遊亭円朝の噺が原作であるこの演目。歌舞伎と落語のコラボレーションとして当時話題になったらしい。興味深いのは、さまざまなシーンで、十二社熊野神社のあたりやら、落合のあたりやら、当時の江戸の夏のランドマークが出てくる点である。江戸の庶民たちは、舞台の書割を通じて、涼を感じる束の間の小旅行をしていたのかも知れない。で、肝心の舞台というと、そこはさすがの勘三郎。一人四役早替りのエンターテイメント。二枚目・三枚目を同時に演じ分ける巧みさと、気がつけば違う役柄に入れ替わる神出鬼没な立ち振る舞い。観客皆大喝采。小柄ながらもしなやかな見栄に知性が光る演技力。艶がある。千両役者の面目躍如であった。




歌舞伎だって、落語だって、浄瑠璃だって、江戸の庶民のエンターテイメントな訳で肩肘ばって気取るもんじゃない。今は殊更歌舞伎が芸術だとか言われてセレブでお高く止まったような印象を受けるけれども、本来は庶民の芸能なはずで、そういった意味で歌舞伎はもっとポピュラーであって欲しいし、梨園もがんばって欲しいものである。








バッキー井上が熱い。京都の漬物屋のご主人であり、京都の酒場ライターでもあるその男性は、独自の文体と独自の哲学をぶらさげて、うまい酒とメシと酒飲みたちを求めて夜な夜な京都の街を練り歩く。彼の文章を読んでいると、漢の哲学というか、酒を嗜むことの哲学というか、膨大な量のアルコールを体内に取り込み膨大な量のコミュニケーションを酔っ払いとしてきた彼の歴史に裏打ちされた美学というか、ともかくもバッキーワールドとでもいうべき世界に己が取り込まれていくのを感じる。大人で硬派だが決して品を失わない酒飲み。そんな男に自分もなりたいと思ってしまう。先日の京都の旅で出会った江畑という店は、そんなバッキーが紹介する店であった。白木のカウンター越しに、ご主人と若旦那が世間話と一緒に肉を焼いてくれる。焼き加減から肉のチョイスまで全てお任せ。絶妙の焼き加減と、程よい距離感の会話。心地よい。“江畑はスナックである”とバッキー。なるほど。京都の懐の深さ、ディープな世界を垣間見る。これだからこの街はやめられない。おそるべし京都。





22()に富樫雅彦の追悼ライブのために新宿PIT INNに向かった。日本のフリージャズの古参である山下洋輔と佐藤允彦が、一昨年惜しまれながら亡くなった富樫雅彦の楽曲を演奏するという企画。山下洋輔は一般人にも名前を知られている有名人だが、個人的には佐藤允彦の演奏に興味があった。というのは、彼が富樫と一緒に制作したリーダーアルバム「パラジウム」が自分はとても好きで、今回山下洋輔との比較の中で彼の演奏が聴けるというのが、とても楽しみだったのだ。2000前に会場に到着すると、既に人だかり。予約をしてこなかったことを後悔したが、何とか滑り込む。周囲の人間は、山下・佐藤と同世代がほとんどで、あとは若者の姿がちらほら見える程度。自分も日本のフリージャズに興味を持ったのはここ数年という若輩者なので、今回は大先輩たちの胸を借りるようなアウェーのような気分で会場の空気に浸っていた。まず、のっけに佐藤の挨拶。控えめなトーンの中に時折ユーモアを織り交ぜながら富樫の人柄や思い出に触れる。初老の大学教授のような佇まい。そして、山下の演奏が開始。今回取り上げた富樫の曲はメロディアスな主題後にフリー空間に入るやいなや突如疾走するような展開が多い。そして、山下のフリーはいつものように体全体をダイナミックに使いながら激しい。いつもは知的で温和な印象のあるベースの水谷も山下の演奏に共鳴するかのように激しい演奏で、普段あまり見れない姿に少々驚く。後半戦は、いよいよ佐藤御大が登場。佐藤の演奏のカラダの姿勢は山下と違い静的で無駄がない。けれども、けっして激しさがないのではなく非常にアクティブである。佐藤の静的な演奏姿勢には、うごめくパワーが制御され結果として静止しているような力強さがある。東大寺の仁王像は静止しているのに目に見えない力強いエネルギーの流れが均衡しているかの如き印象を人に与えるが、佐藤の演奏姿勢も同じような印象を受ける。静的なのに力強い。日本の偉大なる2大ピアノレジェンドのピアノを堪能できた素晴らしい夜だった。