NHK教育のSONG WRITERSが面白い。佐野元春プロデュースのこの番組。毎回ゲストを招いて、ゲストに歌詞の創作について教えを請うという番組なんですが、今回のゲストはスガシカオ。スガシカオといえば、自分にとって1stアルバムがとても印象的に記憶に残っていて、今でもたまに聴き返したりする。ファンクサウンドに私小説的な歌詞。ファンクとは言っても、決して黒人のやるファンクではなくて、あくまで線の細めな日本人的なファンク。スカッとしない、ヌルッとした感触の音に、イチコロにやられてしまったのを思い出す。さっき私小説的といったのも、きれいごとは言いたくない、とてもいうか、リアルな響きのある言葉を発したい、とてもいうか、独自の詩の世界もとても衝撃を受けた。今回番組内でも、スガシカオが「世の中の歌詞がうそ臭いので、そういう歌詞を書きたくなかった」っていうことを言っていて、「ミュージシャンという職業で生計が成り立つようになってそれによってリアルな生活感が失われないように、バイトをしようとしていた」っていう発言なんかを聞くと、プロ意識の高さを感じてしまう。彼の代表曲といえば、「黄金の月」がまず挙がると思うんだけど、僕もそうで、今でもラジオなんかで流れればついつい口ずさめてしまえるくらい、あの当時の自分はスガシカオの才能にノックアウトされていた。で、今回興味深いのは、「黄金の月」の創作秘話。あの独特のビートは考え抜いた計算の上で作り出されたという話。ほんとにざっくり言えば、通常のロックやポップスのフォーマットの逆を行く韻の踏み方にトライしてみたという解説なんだけど、あの曲を僕が始めて聞いたとき、いままでの日本の歌にはない浮遊感というか、独特の触感みたいなものを感じたというのは、彼の実験が大成功だったということなのだろう。クレバーな人だなという印象は当然ある人だけど、いざ具体的な話を聞くと改めてすごいなと感心する。前回の松本隆もよかったし、今度のゲストの矢野顕子も楽しみ。NHKはやはりいい番組を作る。

ついに念願の桂離宮を訪れる機会を得る。


肌を突き刺すような容赦のない日差しの照りつける中たまらず西芳寺からタクシーに乗車すると10分ほどで離宮の前の中村軒に到着した。麦代餅をほおばりカキ氷をかきこみ涼を取りながら、13:30の訪宮までの時間を過ごす。ようやく定められた時間が近づいたので重い腰を上げ、勘定を支払い店を出た。桂川沿いの細道を参観者出入口に向かって、てくてくと歩くと、強力な光線を放つ夏の空にも、どこか秋めいた色がともなっていることに気がついた。秋の気配だ。参観者入口には、既に家族連れ、外国人観光客ら数人が並んでいた。


参観者入口で、入館証と身分証明書を見せ待合室へ。ぱらぱらと人が待合室に集まり、気がつけば15~20人ほどの人数になっていた。大声で騒ぐ輩もおらず、こそこそと会話している。皆これから訪問する離宮の姿に思いを馳せ、落ち着かない。そうこうしているうちに、ネクタイを締めた初老の男性が案内役として姿を現した。小柄なその男性は片手に扇子を持ち顔は健康的に日に焼けている。彼の誘導でまずは、正門へ向かった。


「この庭はね。ほんっとに変な庭です。」


関西なまりで流暢に説明を始めたこの阿部という男性の解説に、自分が魅了されていくことになるとはこの時にはついぞ思わなかったのだが、今思えばこの言葉にこそ、この男性の離宮への愛情が端的に表れていたような気がする。


松琴亭、笑意軒、月見台、月波楼。

真・行・草の敷石、灯篭。


美の体感装置がいたるところ仕掛けられていた。ブルーノタウトによって再発見されたこの庭は、確かに王朝文化を粋を今に偲ばせる魅力に満ちたものであった。兎に角、全てが一筋縄でいかない。微にいり細に穿って意を凝らした工夫に圧倒される。決してシンプルな美ではない。病的といえるほどのこだわり。職人の複雑な工芸品のような美だ。細部がチグハグなこだわりに満ちているのに、全体が奇跡的な均衡の上で美を成立させている。これだけマニアックな試みが行われているにも関わらず、大衆性を獲得できる美がそこにある。行き過ぎれば品がなくなる絶妙のバランス。何かに似ていた。オブラートに脳が包まれたかのように、思考はそのテーマについて深く追求することを拒否していた。脳が今ここにある美(あるいは謎)を味わうことから意識をそらされることを嫌がっている。


名解説がこの離宮の美と謎を引き出す。


「実際に歩いてみんことには、この庭の魅力はわかりません。本や映像で見てもわかりません。」

「この庭はね。どの離れから見ても、同じ景色が見えないようになっているんですわ。」

「この敷石、変でしょ。わざとなんです。」

「変ですよね。この角度。実は創建当時の中秋の名月の方角だからなんです。

「いやらしい庭です。全部は絶対に見せないんです。」


からかうような、自慢するような、感心するような。
飄々としながらも力強い口調には、離宮への愛情があふれていた。


「何度でも来て下さい。この庭は、季節ごとに姿を変えます。」

そういって、姿を消した男性は、まるで離宮に住む仙人のようであった。


離宮から開放され、タクシーに乗り込む。この庭は何に似ていたのだろうか、と逡巡しながら、桂駅に向かう。四条河原町行きの阪急電車の中で、ふと脳裏に浮かんだのは、建造物でもモダンアートでもなかった。それは、音楽であった。


「ペットサウンズ。」

天才ブライアンウィルソンの生み出したポップミュージックの奇跡。

ビーチボーイズの哀しいほど美しいコーラスが、僕の心に鳴り響いた。



風邪を引いてしまったのだけれども、それが胃腸にくる風邪だったせいで、3日間くらいまとも食事をとっていない。近くの八百屋で進められるがままに買った1籠千円4個入りの桃で水分と栄養補給をしていたら、2キロ痩せてしまった。2キロ痩せて、改めて感じたのは、体の調子と心の明晰さが増したことだ。正確には内臓に食物が詰め込まれていない状態がそうさせているんだけど。ようやくカラダが快方に向かっていく頃を見計らって、ヨーガをしてみたら、やはりカラダがやわらかく体も軽い。ここしばらく練習を怠り気味なために己のヴィンヤサも重々しいものであったのだけれども、すいすいとカラダが動く。ジャンプバック・ジャンプスルーも驚くほど簡単にこなせている。こんなに良いこと尽くめであれば、たまに断食をしてみるのもいいものだ。



そもそも一日3食というのは、野良仕事をしていた時代の産物のはずで、人間はそこまでの過剰な食べ物を摂取する必要はない。器官をもった多細胞の原始生命体が、腸管それのみからスタートし、そこから脊椎動物になり、頭脳を持って、海から陸に上がって・・・と生命体は進化して、最終的に人間にたどりつく訳なんだけれど、そういうことから分かるのは、生命体の本質的な器官というのは、その発生のプロセスからして腸、なのだ。すなわち、腸に良い暮らし=人間にとって良い暮らし、でないとおかしい。そして、よく考えてみれば分かると思うが、腸にとっての日常的なストレスとは何か?それはすなわち、食事、なのだ。外界からの異物を取り込む。そのストレスたるや生命にとってかなりのものだ。実際に人間がモノを消化するのに必要な酵素はそうとうなもので、それは確実にカラダにとって負担になっている。(個人的には、重力と食事というストレスを軽減することで、身体的なストレスがかなり改善されると思うが、重力についてはまた機会があるときにでも。)



で、そんな屁理屈はさておき、やっぱり食べ過ぎてはいかん。もっと正確に言うと、自分の消化力を超える分を食べると確実に不幸になる。狩猟採集をベースにしていた祖先たちは(言い換えれば農耕以前の祖先たちということでもあるのだが、)基本的には消化力を上回るほどの過剰な食事を取る余裕がなかった。農耕時代以前の歴史のほうが人類史においてずっと長かったことを思えば、我々は基本的には、空き腹でいる事のほうが正常であるはずなのだ。アーユルベーダというインドの生命科学によれば、全ての病の根源は、未消化物(アーマ)であるとされるが、それはいみじくもこの真実を喝破している。



そして、桃だけでやり過ごした2日間の後、久しぶりに食べたうどんのうまさたるや。「でら打ち」で、カレーうどんでもなく味噌煮込みでもなく、かけうどんという、まるでいままでと違うチョイスに一抹の不安もあったのだけども、いざ口に麺を含んだとたん昇天。味覚も鋭敏さを増している。逆説的ではなるが、食の歓びを味わい尽くす、それは制約の中にある。空腹が最高のスパイスであるとはよく言ったもので、気持ちの良さというのは内臓感覚がベースにあるべきものであって、頭をベースにするべきものではない。頭が先立つとカラダをないがしろにしてしまう。そういう意味では、頭がアンバランスに発達しすぎた人間は、身体的な快楽からもっとも遠い存在かもしれない。もっと内臓感覚に鋭敏に生きる必要がある。食事を噛み締めてきちんと咀嚼して内臓に送り込むこと。腹八分目でやめること、それは真の意味での快楽主義なのだ。