UFOファンの皆様、新年おめでとうございます。東京は穏やかな日和ですが、雪国の方はさぞ大変だろうと察します。

 

さて、今年はクラシック・ケースの追跡調査としまして、あのメジャーな”マンテル大尉事件(1948年1月7日)”を取り上げます。

マンテル大尉の命日も近くなっています。

 

 

 

 

 

 

 

クラッシュしたマンテル機(搭乗したままで亡くなっています)

 

 

 

 

 国内のUFO関連書籍やマンテル事件のネット情報はどれも大差なく、過去の情報から進歩していません。40年くらい前に出版された書籍と最近出版された書籍の”マンテル事件”の項目を比較してみて下さい。大して違わないでしょう。ここが日本のUFO研究の遅れているところでしょう。ネット情報もその書籍やウィキペディア程度を参照しているので、どれも皆結果はそうなります。

 

 マンテル大尉の追跡した飛行物体は”スカイフック”だというのが過去の大方の理解です。しかし、米国の有能な研究家の調査によれば、それは間違いだというのが判ってきました。そう、マンテルが追いかけたのはやはり”UFO”だったんです。と言えるかはこれから少しずつ紹介していきます。

 因みにスカイフックは、1948年1/7にオハイオのクリントン郡空軍基地から打ち上げられたという記述がよくありますが、製造元のGeneral Millsの報告書では、第一号は1952年の9/16となっています。

 この辺りは、1956年出版のEdward J.Ruppeltの”The Report on UFO”にも、過去の記録を調べたが見つからなかったとしています。

どうも1/7に打ち上げたという話がまるで事実の様に独り歩きしている様で、これをみてもマンテルが追ったのはスカイフックではないという事が判ります。

 

 

 

General Mills社と海軍研究所との契約

 

 

1952年7/28の契約

 

 

 

 

スカイフック・プロジェクト:第1回発射は1952年9/16

 

 

 

 

飛行経路

 

打ち上げられたスカイフック

 

 

 

 また、後年スカイフック計画に従事していた、Charles Moore教授は、UFO研究家のRobert Toddによるインタビューで、クリントン基地からの最初の発射は1948年ではなく1951年7/9クリントン郡空港からであると語っている。

 

Just Cause1994年6月号

 

 

 

 

 

*また、ゴッドマン空軍基地からではスカイフックは小さすぎて見えないという計算(140マイル)もされている。スカイフックは直径30m程度である。

それにマンテルの墜落事件のあったその夜間にもUFOが目撃され、プロジェクト・ブルーブックの機密解除された文書の中に軍人の声明書が存在している。しかも複数の目撃者である。その目撃された様子はとてもスカイフックではない。

 

Charles E.McGee大尉による1/7夜間の目撃報告書(機密解除されたブルーブックの資料)

 

 

 

オハイオ、コロンバスのLockbourne陸軍航空基地のCharles E.McGee大尉の報告書

 

 

 

*本論に入ってしまいましたので、続きはその2.とします。

 

 

 

Kz.UFO現象調査会