明日は、Falcon Lake Close Encounter Ⅱの51周年です。(1967年5月20日)

 

 

 

 

 今まで様々な著書や資料を紹介してきましたが、懐疑的な意見も掲載しておかなければなりません。(説得力に欠けますが)

海外サイトにも幾つか記述があり、また中心的な著書”When They Appeared”にも掲載されています。

 

 MichalakRCMP(カナダ王立騎馬警察)の幾つかの質問に答えなかったという記事もありますが、これは正確には違います。前の章でも紹介していますが、事件後5/24午後1時45分にRCMPのCorporal J.Davisが自宅に来訪してテープで記録を録りながら詳細な質疑応答を行っています。この記録は著書にもオープンになっています。

Michalakに対してアルコールを嗅ぐことはできなかったが、彼は血まみれの目でむしろ酔っていたとか、彼はまた、直接の質問に一貫して答えることを拒んだとか、彼は焼けた帽子を見せたが、警官が頭が焼けなかった理由を彼に尋ねたとき彼は答えを拒んだとか、警察官が彼のシャツを見ることを拒否したとか。

 他にRCMPの報告書の中では、Michalakが”黒い物質、恐らく木材の灰を取って、それを胸にこすった”と想像している。

Michalakは ”宇宙船に触れると手袋を溶かすほど熱くなったのに、どうしてあなたの手は焼かれていませんか?”と質問された時、彼はうんざりして答えることを拒否したとか記述されているのは事実である。

 

 RCAF(王立カナダ空軍)の捜査官Paul Bissky飛行隊長は敬虔な懐疑主義者であり、Michalakがアルコール依存症により幻覚を起こしていたと信じていた。そして自分自身を傷つけたと考えていた。しかし、ここには事件に関する簡単な事実がある:Michalakは、彼が前日に飲酒していなかっただけでなく、週末中にアルコールを一切飲んでいないと主張した。Michalakはモーテルのコーヒーショップで、コーヒーは飲んだと証言している。地元の信頼できる証人(バーテンダーの事である)は、Michalakが前夜にビール5本を飲んだと証言したと言うが、その様な記録は無い。

また、Michalakはプライベート・パーティを催していた可能性があり、翌日には幻覚を起こした可能性があり、バーベキュー・グリルで自身を焼いたとまで想像力を膨らませている。

 Bisskyの記述は飛躍して、Michalakが午前2時にキャビンドアを叩き眼を覚ました女性がいるが、生憎”逢引”の女性であった為に表に出てこれないと語っている。

 しかし、何れもそれを補強・支持するものは出てきていない。


  BisskyMichalakのストーリーの欠陥を見つけようとする試みにも拘わらず、次の事を認めなければならなかった。

Michalakの病気や怪我、現場に残っているサークル等の事実は説明できない。

 

 

Falcon Lake CEⅡ 50周年記念銀貨(Kz.所蔵)

 

 

 

50周年記念銀貨 (ブラックライトによるビーム発射)

 

 

Kz.UFO現象調査会