● Mayoクリニック(ミネソタ州ロチェスター)での診察

 

 

 

 

UFOから受けた腹部の火傷

 

 

   

  腹部の発疹は長引いた

 

 

 

 事件当初、MichalakWNRE(Whiteshell Nuclear Research Establishment)での検査では、血液リンパ球が25%から16%へ低下していた。 5/24:16%、5/30:21%、明けて1968年1/15:31%、4週間後には白血球数は正常に戻ったと報告されている。血小板数は一貫して正常であった。

 1968年8月、Michalakは原因を正確に判断するための検査を行う為、Minnesota州RochesterのMayoクリニックへ行った。カナダの医療保険ではカバーできないので自費扱いであった。Michalakはクリニック近くのモーテルに2週間宿泊し通院したのである。

*クリニックというと小さな診療所のイメージであるが、Mayoは大きな総合病院である。

 

 

現在のMayoクリニック(本部Rochester、Minnesota):1889年設立の非営利組織の総合病院で他の州に2つの支部がある。

 

 

 

 数週間待ったが診断の結果報告書が来ないので、Michalakは不満を漏らし、CAPROからAPRO本部、John A.Keelも介入して、精神科医・UFO研究家であるBerthold Schwarz博士からクリニックへ手紙を書き医療報告を問合せした。

 返信では”拒否の手紙”と呼ばれるものが送付されてきた。1969年4/1付の内容は、”登録簿を確認したが、その氏名の患者は該当がないという事が判明した。もし彼が患者であったならば、あなたに情報を送付することができなかったろう。”というものであった。

 Schwarz博士Michalakに簡単な医療記録の書式に署名させ、それを1970年1月、Mayoクリニックへ送付した。

Michalakは健康である事が判明したが、神経皮膚炎とシンプルな失神があった。失神は過呼吸又は、心拍出の障害と関係があると診断された。 

これは興味深い事であるが、Michalakは過去10年間に心臓の問題を抱えていた。更にMayoクリニックの報告書は、Michalakの生理学的問題を詳細に記述している。

 1967年5月以来、Michalakは胸や脚の紅斑や痒み、病変の一掃と再燃を繰り返していたが、時には112日の周期で発生した。これは1968年の1月以来首尾一貫していない。一般的に胸部傷害は微小な点あるいは米粒程度で現れ、1/4又は1/2ドル硬貨のサイズに徐々に拡大し、非常に掻痒感がある。出現と消失の期間は数日~数週間の範囲であり、様々な薬も役に立たなかった。

 

 彼の身心状態は特に以下の情報を考えれば、かなり深刻であると見做された。Mayoクリニック曰く:”Michalakが診察に来た主な理由は、1968年1月に重度の病気になって以来、他の症状に悩まされていた頭痛や意識喪失の為です。頭痛は主に両側頭で安定していて耐え難いものです。皮膚の問題は同時に起こります。

意識喪失は突然では無いが、予測することはできない。彼の視力は徐々に全てが黒くなるまで暗くなり、数分以上の意識不明状態です。”

 

 

1968年9月3日付のMayoクリニックからの請求書:$434.90の代金をMichalakは自費で支払っている。

 

UFOとの遭遇は高価な代償を払う事になった。(虚偽のUFO体験工作では、経済的に何も得るものは無い)

 

 

* その7.に続く・・・・・・・・・・・

 

 

Kz.UFO現象調査会