● Michalakは1967年(事件の年)自家製版の体験記(小冊子)を出版している。”My Encounter With The UFO”がそれである。

息子のStanとRutkowskiの共著になる、”When They Appeared”には、Part2.としてその内容が収録されている。

 

Michalakが自費出版した著書も含む、二男Stanと研究家Chrisの共著書

 

 

 

 Misericordia病院での治療は効果無く長男のMarkと共に帰宅したMichalakは、体重が昨日から6ポンド(約2.8Kg)減少していることを悟った。

夕方”Winnipeg Tribune”のレポーターである、ミス・Heatherとカメラマンが取材で自宅を訪れた。

 妻はホームドクターのDr.R.D.Oatwayを呼び、Michalakは体験の全てを彼に話しした。Oatwayは同僚のDr.B.C.Shawにも診せた。

彼はWinnipegにある、Medical Arts Centreで血液検査を勧めた。

 

ホームドクターのOatwayは後に、CFBのCapt.Gardera宛にMichalakを診療した様子を報告している。

 

 

 

 Michalakの事件に関心を示したのは、APROのBarry Thompsonであり、Michalakは最初に自分の体験を真剣に対応してくれた人物だと感謝している。Thompsonは血液検査と放射線検査を受けるよう説得した。

 5/22、ThompsonはDr.Craddockと共にMichalakをManitobaのPinawaにある、National Atomic Research Centreへ、放射線検査のために連れて行った。検査結果は放射線にかかっていなくて、危険性は無いというものであった。

 5/31、4人のRCMP、2人のRCAFらはH112ヘリコプターを使用してそのスポットを捜索したが成功しなかった。

 6/4 コロラド大学のRoy Craig博士ライフ・マガジンのJohn FriedAPROのThompsonと共に再度UFO遭遇現場を発見する旅に立った。結果は失敗である。

 

Michalakがスケッチした現場へのルート

 

 

 6/23、Winnipegの電子技術者G.A.Hart氏が援助を申し出て、最終的にUFO遭遇現場を見つける事ができた。そこではメジャー・テープやシャツの残留物、物体が離陸した際の破片のリングを見つけることができた。プラスチック・バッグには岩石のサンプルが一緒に残されていた。

 Winnipegに戻ってから、MichalakAPROのThompson氏やRCAF(カナダ空軍)のBisskyに現場発見の朗報を伝えている。

彼らがサンプリングした物はCanadian Department of National Health and Welfare(カナダ保険福祉省)の放射線防護部門によってテストされたが、ガンマ分析では、Ra226またはそれに相当するレベルが有意に高かったとしている。

  7/2、WinnipegRCMP(カナダ騎馬警察)のCorporal Davis、Constable J.Zacharias、Hunt氏、Thompson氏、RCAFのBisskyと共に現地へ行き様々な調査をした。サンプルのRCMPの分析では有意に高い放射線測定値を示し、健康上の危険な可能性があるため、地域を非常線で遮断する必要性を検討した。土壌サンプル中の.3マイクロキュリーズという放射値は放射能源からのものであり、重大な健康被害になる可能性があるとしている。

 

 

National Health And Welfareによるサンプル分析報告書の一部

 

 

 

 Safety Assessment and Control Section of The Division(安全評価管理部)の部長である、Stewart Huntが作成した報告書には、放射能評価の詳細が記述されている。Huntは彼の部門が関与した理由を明確に且つ慎重に説明している。

一般市民や着陸地点の放射線被ばくを評価する作業は、RCMPやDND(国防省)の調査に関与する必要性があるということを示していない。

しかしながら、収集やすべての情報のバックグランドの調整は次の結果不可欠である。

 a.軍と警察をまとめる存在による協力の明らかな不足。

 b.部門の当初の関与の時点で正確な位置が確立されていなかった。

 

 

遭遇現場を捜索するMichalak

 

 

 

遭遇現場に立つMichalak

 

 

 Huntは7/26、 Winnipegに到着し、様々な関係者と会っている。彼らはブレーンストーミング・セッションを行っていたが、現場の徹底的な調査、物理的効果の分析、主な証人だけでなく、民間の調査員も含むプランを確認した。

調査の一環として、チームはManitobaEast Braintree有害廃棄物を埋設したManitoba Cancer Instituteを訪問した。

その理由は、誰かが商業的に生産されたラジウムを使用して着陸地点を汚染したという提起に対するものであった。しかしながら、不正使の兆候は見つからなかった。チームはまたMichalakの雇用地も訪問し、その製品にラジウムを使用しているかどうか調べた。Michalakの自宅も訪れ、地下室のサンプルの放射線チェックも行った。

 Huntは記述している、”地下の調査では汚染の痕跡は見られなかった。土壌を含むビニル袋と焼けたTシャツの残骸から放射線が検出された。小さなエリアが汚染されていることが判った。これはこれは岩の冠を横断する位置で亀裂の片側で0.5×8.0インチであった。

全体の汚染エリアは100平方インチを超えず、エリアから離れた水系の汚染の可能性はあったが、何も見つからなかった。”

現場の調査の結果、結局”重大な健康被害は無かったとHuntは感じた。

 

 

Stewart Huntによる報告書

 

 

*以降、その4.に続く・・・・・・・・・・・

 

Kz.UFO現象調査会