メモに残すの すすめます (メモ=備忘録)

 

覚えておくべきことを、常に頭の中に置いておくのって、負担に感じられる時もありますからね。例えばスーパーに買い物に行く際、なめこと油揚と豆腐とマヨネーズとゴマと、といった具合に、メモに残さず頭の中だけで覚えて出かけたら、頭の中が買い物リストだけで手一杯になってしまい、新たな画期的な思いつきが生まれても、それを残せない気がします。考え事、なんてのも、買い物リストの記憶で頭が忙しく、落ち着いて深く考える、なんてのは難しいでしょうね。道すがら面白いものや印象的な光景に出会っても、それを受け止める余裕が無くなってしまうのではないでしょうか。

私は教育を受けられる環境に生まれて、幸せだとつくづく思います。文字や言葉、文章、などに親しむのを良しとする文化は、時の経つにつれ、発展していくことが多いのではないかと思っています。もっとも文字を持たない文化が、そのせいで劣っているだとか、魅力に欠けるだとか、決めつけるのは思い留まりたいと私は感じていますが。文字に依らない、語りだとか絵だとか歌だとか踊りだと彫刻だとか、そういったものを媒介にしても、他者に伝わり、次世代に受け継がれていくものはあるでしょうしね。日本でも先住民のアイヌは、文字を持たない人達だったそうですが、それでもエキゾチックで魅力的な感じを私は受けますし、平和に自然と共存しながら、豊かな暮らしをしていたとの見方もありますね。

自由に考え、自由に思いつき、自由に何ものかに出会うことが、メモ、つまり記録を残しておくことで、可能になるというのが私の考えです。メモする手間も、そのメリット(長所)を思えば、極めてお買い得な買い物だと言えますね。

 

 

 

 

画像にあるのは、現在わたしが愛用している15cm*12cmの、手のひら大のリングノート。無印良品で見つけました。ビニール製のポケットが付いていて、あれこれしまえるのが便利なのと、背中のリング部分に細身のボールペンをしまっておけるのが便利です。定価が税込みで368円だったのが税込み200円と値引きされていたので、その時に店にあったのを全部買っておきました。未使用のストックが4冊あるので、まあ当分はこれで充分そうです。
 

 

 

これを使い始めたのは、2018年の5月3日。憲法記念日の集会に出かけて感じたり、知ったことを残していました。プラカードコンテスト、というものの存在や、川崎重工が武器輸出に関与、不買で抗議、などと。5月8日には、タバコパッケージ警告表示わかりやすさランキングで日本が124位と。また7月6日には、交通安全のためにと題して、右左折時の歩行者・自転車に注意とか、見えないところにも人がいることを予測、などと書いてありました。

 

 

 

私がちょっとしたことを、持ち歩いたメモ帳などに記録するようになったのは、大学に入ってからだったと思います。入学は1994年。たまった備忘録も、今では小さめの段ボールいっぱいになりました。
 

 

 

段ボール箱の中から取りだした、手のひらサイズのスケッチブック、表紙には香港の道路地図を貼り付けてありますが、それを開くと、90年代後半に金沢の香林坊で開かれたイベント、Aのるつぼ、に参加したときのものが残っていました。私がその日に取り組んでいたのは、来場者に何か言葉や文章をスケッチブックに書いてもらい、それを使ってその場で小説を私が書く、というものでした。

2000年にも記載がありましたが、こんなホームページを作りたいな、というアイディアや、パソコンなどの上で動く、おもちゃのようなものを考えていたようです。モンタージュ写真のように、色々な生き物の頭部と、首から下の全身とを、好きに組み合わせるように出来ると面白いんじゃないかな、というものです。これは今もちょっとやってみたいですね。