上の記事の続きです。


6月11日

隼人に誘導され、平城宮跡資料館に行ってきました。

近鉄奈良線 大和西大寺駅下車

初めて降りました。


前記事にも書きましたが、安倍元総理が銃撃された場所です。

今は花壇になっているのですが、平城宮跡資料館へ行くには花壇前を通るので、手を合わせてきました。🙏



10分ほど歩くと、平城京跡の端につきました。

朱雀門を正面から見たかったのですが、とにかく広いので、すぐに見に行ける距離ではなく、今回は資料館だけに絞りました。









遠〜くに小さく写ってるのが、朱雀門かな?



↑拡大してみました。

朱雀門は、平城宮の正門です。


元日や外国使節の送迎の際に、儀式が行われていたそうです。


隼人は、儀式の際には盾を持って並び、吠声をだして邪気を祓っていたそうですから、朱雀門前で並んでいたのかもしれませんね。



平城宮跡資料館に到着。

入場は無料です。スゴイ…



館内に入ると、ボランティアのガイドさんが案内してくださいました。

平日だったので人は少なく、ゆっくり説明を聞くことができて有り難かったです。



隼人の盾の紋様は、奈良文化財研究所のシンボルマークになっていて、ガイドさんが着ておられたベストの後ろにも描かれていたので、お願いして写真を撮らせていただきました。ラブラブラブラブ

一人で興奮してるワタシ(笑)







念願の、隼人の盾が展示された場所へ…↓



隼人の盾は、1963年(昭和38年)に、平城宮跡の井戸遺構から16枚出土したそうです。

展示されているのは複製です。

よく見る色付きはなかったです。




想像していたよりも大きな盾でした。

隼人に誘導され、ついにココ(平城京跡)まできたか…と、感慨深いものがありました。





隼人は隼人司に所属し、その後は兵部省に属したそうです。





陰陽寮と書かれた木簡が気になりました。


陰陽寮は、飛鳥時代(7世紀後半)に天武天皇により設置されたそうです。



4月に、山崎賢人さん主演の映画『陰陽師0』を観に行きました。





安倍晴明の時代は京都の平安京ですが、展示されていた木簡を見ると、陰陽寮とかほんとにあったんだな〜と、不思議な気持ちになりました。





貴族の暮らし



貴族の食器は、漆塗りの器だったそうです。



この頃から、貴族はを使用していたそうです。

そういえば、5/26に春日大社の近くの氷室神社に呼ばれた際、氷を平城京に献上していたと知りました。

氷室神社に呼ばれた時は、まさか平城宮跡にも呼ばれるなんて思ってもいませんでしたが、この時から既に誘導されてたんでしょうね。



出口付近に、色付きの隼人の盾のパネルが置かれていました。

これは写真撮影用?みたいです。




ゆっくり説明してくださったボランティアガイドさんに感謝です。



今回、この地に呼ばれて改めて気付いたのですが、平城京は近畿の五芒星の中心にあり、今もなお、日本の重要な場所なんだろうな…と感じました。



画像、お借りしました。

帰り、大和西大寺駅に向かう際、道路の真ん中にあったお地蔵様が気になりました。


この地にお導きいただいた感謝と、隼人の鎮魂をお祈りしました。
 

帰ってから調べてみると、鎌倉時代のお地蔵様だそうです。


隼人の盾や遺跡に関心がある方は、平城宮跡資料館に足を運んでみてくださいね。ウインク