昨年の8月下旬、共同通信のS記者から電話がかかってきた。「濱口竜介監督の新作『悪は存在しない』が完成しました。ヴェネチア国際映画祭で受賞の可能性が高いんです。もし受賞した場合には、西村さんのコメントが欲しいので、一緒に見に行きませんか」。

 

 そこで私は試写会場である渋谷のユーロスペースに足を向けた。私がすわったのは列の左淵。同列の右淵の女性がこちらを見ている。どこかで見たことがある顔だなと思っていたら、濱口監督の前作「ドライブ・マイ・カー」(2021年)でミステリアスな運転手を演じ、女優賞を独占した三浦透子だった。彼女はこの作品には出演していない。しかし恩人監督の新作ということで、見に来ていたのだろう。

 

 S記者は、その日の夜、取材のためにヴェネチアに旅立った。結果、「悪は存在しない」は、予想通り、銀獅子賞(審査員グランプリ)を受賞した。それに伴って、「昔と今の国際映画祭における受賞作の違いとは何か?」と質問された。私は、「同じヴェネチアでグランプリを取った『羅生門』(1951年)の頃は、エギゾティシズムや巨匠の映画ということで、未知の国の映画が紹介されていた。現在は、映画が小粒になっている反面、世界が抱える普遍的なテーマを含有しているかどうかで評価が下される」と答えた記憶がある。「悪は存在しない」は、まさにそんな映画である。

 

 この映画は音楽が重要な役割を果たす。それは石橋英子が深く関わっているからだ。彼女はシンガー・ソングライターであり、作曲家であり、さまざまな楽器を操る演奏家でもある。映像に対して大変興味があり、「ドライブ・マイ・カー」の映画音楽を担当した。その仕事をきっかけに、濱口竜介監督に、自分のソロライブ『GIFT』で映写する映像制作を依頼。一方、濱口がこのコラボに触発されて作った映画が「悪は存在しない」なのである。森閑とした林の中に響くドラムの音…。

 

 舞台は自然豊かな長野県水挽町(みずびきちょう)。ある日、コロナ禍のあおりを受けた芸能プロダクションが、政府の補助金を得て、グランピング(豪華なキャンピング場)開設の計画を進めるためにやって来た。しかし森の環境を汚しかねないずさんな計画に、町は動揺し、その余波は、代々ささやかに暮らしていた父(大美賀均)や小さな娘(西川玲)にも及んでいく。一方、町民と交渉を重ねる芸能プロ側の人間(小坂竜土、渋谷采郁)も、自分たちがやっていることの矛盾点を見つめるようになる。

 

 この映画を、起承転結がはっきりしたハリウッド映画を見るような気持ちで接すると面食らうだろう。森を再生する側、護ろうとする側、どちらが悪なのか?を簡単には決めていないからだ。森はすべてを飲み込み、人間たちの営みをじっと見つめている…。そんな哲学的なモチーフさえ感じさせる。

 

 皮肉にも、この映画は、特に佐賀県民にとっては切実な問題を突き付ける結果となった。というのは先週、玄海町が核ゴミの文献調査を受諾したからだ。町長は「国民的議論の呼び水に」と言う。ならばもっと地元民に説明を施すべきだという意見も湧き上がる。「世界が抱える共通問題」とは、まさにそのことなのである。