特別冊子「乱記録`85」冑の意匠が素晴らしい

 

 「健さんは、この映画をやる、やらないの基準はどこで決めているのですか? シナリオですか? 監督ですか? 共演者ですか?」 

 

 この質問は、博多で行われた「海へ~See you~」(1988年)の記者会見で、主演の高倉健本人に、私が発した質問である。「なぜ、そんなことを言うかというと、『乱』(85年)のことです。黒澤明監督は、健さんがオファーを断ったことを大変残念がられて…」という私の言葉が終わらないうちに、「光栄です! 大変光栄です!」という言葉がかぶせられた。

 

 「乱」に登場する次郎(根津甚八)の重鎮・鉄(くろがね)の役は、井川比佐志が演じていた。戦国の世を野人としてニヒルに生きる役どころは、なかなかに魅力的だった。ところが最初、黒澤がこの役にイメージしていたのは高倉健だった。実際、絵コンテは、健さんそっくりの顔で描かれている。ところが、この巨匠からの熱いオファーを健さんは断ったのである。

 

 その理由を健さんは、「これから撮影する『居酒屋兆治』(83年)とのスケジュール調整が付かなかったから」と答えた。その後、30秒ほどの長い沈黙があって……意を決したように、こう続けた。「でも、黒澤先生の作品なら、馬から落ちる役でも何でもいいんです。次はぜひやってみたいと思ってます」。その言葉が発せられた瞬間、記者会見の席上はシンとなり、健さんの一人芝居を見ているような場となった。

 

 ところが、別の情報から察すると、別の理由も考えられるのだ。まず主役でなかったという事実、そして森繁久彌のアドバイスに従ったという事実だ。「君は不器用な役者だから、巨匠の厳格なイメージに合わせられるような演技は、器用にやれない。途中で辞めるようなことになれば、周囲に迷惑をかけることになる。それなら、最初から出ない方がいい」というものだった。当時、森繁は日本俳優連合の会長を務めていた。彼としては、後輩を思いやる気持ちでアドバイスしたのだろう。 

 

 しかし断った後も、黒澤映画に出たいと思う気持ちは、健さんのなかでは相当に強かったようだ。彼は、当時撮影していたロケ先の映画館を貸し切り、「乱」のフィルムを借りて、その映像を一人じっと見入ったという。

 

 あの時、黒澤映画に出演していれば、良く考えれば、健さんの新しい一面が引き出されていたかもしれない。悪く考えれば、「影武者」(80年)で降板した勝新太郎のごとく、決裂という結果になっていたかもしれない。それは分からない。

 

 黒澤監督が亡くなった時、「お別れの会」の祭壇には、弔電が山のように積まれていた。その一番上の電報には〝差出人・高倉健〟と書かれていた。