熊井監督亡き後、私は『ぶれない男 熊井啓』(新潮社刊)を執筆した。その執筆過程において、「白痴」完全版の行方を知っているらしい謎の人物を発見した。私は監督の意志を継ぐつもりだった。

 

仮にA氏としておこう。A氏ある地方都市に住む興行師だった。熊井が完全版をどこで見たのか?が疑問だったが、A氏が経営していた映画館においてなら、それもありえると納得した。2010年の春彼が住む地方都市まで足を伸ばし、ついにA氏と対面した。場所は彼の自宅に近い喫茶店だった。もう90歳に近い高齢者だった。

結論から言えば、彼は「白痴」の長尺プリントを所有していた事実を認めた。そこで私は単刀直入に「それはどこで手に入れたのか?」と聞いてみた。すると、「大映多摩川撮影所の倉庫だ」と答えた。これは驚きった。ある大物プロデューサーがその存在を教えてくれという。なぜ、製作した松竹大船撮影所ではなく、大映多摩川撮影所にあったのかは、自分にも分からない」と言う。ジャンク(破棄)されたフィルムを、誰かが松竹から持ち出していたのかもしれない。話しぶりから見て、ウソを言っているようには思えなかった。

 

その後、A氏はその完全版を持ち出して保管していたが、その存在を知った熊井監督から確かに連絡が来て会ったという。しかし交渉が決裂した後は、「自分の手許に置いておくのは良くない」と思って、それを〝しかるべき筋〟に返却したという。その、何某かの金銭の受け渡しがあったようだ。

 

A氏の言うことが本当だとすれば、「白痴」完全版は、彼の手からはすでに離れたことになる。それならば…ということで、今度はその〝しかるべき筋〟のトップと会見した。そしてこれまでの調査報告をした。同時に「完全版があるかないかを調べてほしい」と依頼した。私ができることは、そこまでだった。現在の所、の報告は私のもとに届いていない

 

このような複雑な経緯があったためか、「白痴」は、日本では大不評だった。ところが2010月、私はモスクワ国際映画祭で開催された「黒澤明シンポジウム」に招待されて講演を行った。そこで「白痴」の話が出た。原作者ドストエフスキーの本場においてである。ロシア人はもちろん短縮版しか見ていない。しかしそれでもなお、彼らが絶賛しているのを聞いて、日本人には分からない純粋にロシア的なものを、黒澤は表現していたことを知った。

 

黒澤は生前、「この完全版をみんなに見せたい」ともらしていた。もし未来のいつか、我々が完全版を見ることができれば、黒澤が真に表現しようとした「白痴」の、全く新しい面が見えてくるかもしれない。