バイデン大統領と岸田首相が白ワインを飲んで、友好を交わしている。そのニュース映像を見て、日本はいつからアメリカと、こんな親密な関係になったのだろう?と考えてみた。先の大戦では、鬼畜米英と罵って戦った相手とである。

 

 そのスタートは昭和24年に切られ、そのレールは下山事件によって敷かれたと、NHKスペシャル「未解決事件File10.山事件」では述べていた。当時は政治的に右に行くか左へ行くかの重要な分岐点。それがアメリカの謀略によって、人為的に方向づけされたと断定したのである。これは歴史の大証言で、下山事件に関しては一応の決着がついたといっていいだろう。

 

  当時から、下山国鉄総裁の自殺説と他殺説が対立したことは、前回書いたとおりだ。自殺説をとった映画「黒い潮」(1954年)のラストで、社会部のデスク(山村聰)は、「時が来れば分かるんだ。必ず分かるんだ」と繰り返す。しかし今回の番組によって、少なくともこの自殺説は完全に否定されたことになる。

 

 事件から75年目の今年、それがなぜわかったかといえば、アメリカの国立公文書館に、事件に関与したと噂されたキャノン少佐の報告書が残っていたからだ。アメリカは、事件当時は公表されなくとも、時間がたてば、後人がチェックできるシステムを作っている。数年余りで焼却され、都合の悪い所は黒塗りにされ、ひいては官僚が公文書を改ざんするなどという、どこかの国の事情とは勝手が違うのである。

 

 番組では松本清張(大沢たかお)も登場した。そこで、事件から11年目に発表された『日本の黒い霧』の<下山国鉄総裁謀殺論>を再読してみた。清張は「私はキャノンは関係が無いと思う」と書いているし、殺害現場は別の場所を特定している。しかしその目的や大まかなストーリーにおいては正鵠を得ており、清張の立ち位置の鋭さは驚嘆に値する。

 

 番組では、朝日新聞の矢田喜美雄記者(佐藤隆太)も登場した。映画「日本の熱い日々 謀殺・下山事件」(81年)は、彼が書いたノンフィクション『謀殺・下山事件』を原作にしている。事件から32年目の製作。この映画も見直してみた。

 

 監督の熊井啓は、33歳の時のデビュー作「帝銀事件・死刑囚」(64年)や、次の「日本列島」(65年)で、占領下の日本に暗躍した闇の部分を描いており、この作品もその系列の一本だった。まだ高度成長の真っ只中で、アメリカに追従することの危うさを、すでに明確に予言していたのである。  

 

 ただし「日本の熱い日々ー」に関しては、余計な話が多いし、矢田を演じた仲代達矢の大げさな演技も気になった。そこでオーバーアクション、オーバーミュージックの部分をすべてカットし、2時間12分の映画を、93分にまで編集し直してみた。すると、「日本列島」に匹敵するほどの秀作にブラッシュアップできた。

 

 とにかくNHKの放送が火を付けて、五反野の現場を踏んだし、映像資料や文献をできるだけ集めて精査中である。私の〝下山フィーバー〟は当分収まりそうにない。