映画「PERFECT DAYS」には、主人公・平山(役所広司)が寝床で読む本が3冊登場する。そのなかの1冊が、パトリシア・ハイスミス原作の『11の物語』だった。当然そこには、ヴィム・ヴェンダーズ監督の好みが入っているはずだ。実際、ヴェンダーズは、ハイスミス原作の「アメリカの友人」(1977年)という作品を監督している。

 

 パトリシア・ハイスミスといえば、映画ファンにとっては、サスペンス映画の原作を提供したミステリー作家として知られている。彼女の才能に最初に注目したのはアルフレッド・ヒチコック監督だった。「見知らぬ乗客」(51年)で、彼女の存在を世に知らしめた。しかし何と言っても、彼女の小説を永遠の名画として後世に残したのは、ルネ・クレマン監督の「太陽がいっぱい」(60年)だろう。主人公はトム・リプリー(アラン・ドロン)。「アメリカの友人」は、リプリー・シリーズの第3作目に当たる。

 

 さて、そのハイスミスに関する映画がこのほど完成した。タイトルは「パトリシア・ハイスミスに恋して」。スイスの女性監督エヴァ・ヴィティヤによる作品で、近年発見された彼女の日記をベースにして、彼女と関係した人たちの赤裸々な証言を散りばめたドキュメンタリーだ。そこからは、彼女の特異な環境が垣間見えて来る。

 

 パトリシアはフランスで活躍し、最後はスイスの要塞みたいな家に籠っていたので、てっきりヨーロッパ系の作家かと思っていたら、アメリカの作家だった。テキサスで牛を捕まえてロープで縛ったりするマッチョな環境で育っている。美しい母は女優のようにふるまい、周囲の目をひく存在だった。

 

 しかし、母は娘に愛情を注いでくれなかった。その確執が、愛情を求める飢餓感や憎悪感といった感情を生んでいく。彼女の小説の大きな特徴である〝アイデンティティの崩壊〟は、そんな所から生まれているのかもしれない。彼女が描く主人公の自我は、輪郭がはっきりとせず、常にフラフラと不安定に揺れている。

 

 考えてみれば、「見知らぬ乗客」も、交換殺人の話だった。自分のアイデンティティをとっかえひっかえして、殺人を実行する。「太陽がいっぱい」は、貧しい青年が金持ちの青年を殺し、彼になりすますという、アイデンティティ剥奪の話だった。特に後者には、加害者と被害者の同性愛の感覚が潜んでいた。その意味では、リメーク版「リプリ―」(99年)の方で、そのモチーフがより強調されている。

 

 実はハイスミス自身が同性愛者だったことを、彼女自身が告白している。劇中、彼女の自伝的原作を映画化した「キャロル」(2015年)のワン・シーンが挿入されている。主人公のキャロル(ルーニ・マーラ)はデパートで働いていた時、美しい女性(ケイト・ブランシェット)を見初め、伝票に書かれた住所を尋ねて覗き見する。

 

 かつてハイスミスと同棲していた恋人が、「自信満々の人ではなかった。そこに好感をもったのよ」と答えている。それはまさに「キャロル」の主人公そのものを想起させるのだ。