「〽ウワーオワオワオ、ウワーオワオワオ。私は女豹(めひょう)だ。南の海は。火を吐く山の。ウワーオワオワオ。生まれだ。月の赤い夜に。ジャングルで。ジャングルで。骨の溶けるよな恋をした」

 

 NHKが、笠置シヅ子をモデルにした朝の連ドラ「ブギウギ」を制作すると聞いた時、最初に心に浮かんだのが、この『ジャングル・ブギ』だった。ドラマではどういう具合に登場させるのだろうか? 実際には、服部良一のモデルと目される作曲家・羽鳥善一(草彅剛)が、「映画監督からブギの曲を頼まれた」と台詞で言うにとどまっていた。

 

 もともとこの曲は、終戦直後、黒澤明監督の映画「酔いどれ天使」(1948年)のなかで使われた劇中歌だった。キャバレーのシーンで、三船敏郎が、木暮美千代がダンスを踊るなかで、笠置シズ子本人がエネルギッシュに歌いまくっている。

 

 「笠置シズ子の喉ぼとけが見えるくらいに」と黒澤が指示したくらいに、カメラは彼女の口の中めがけて突進していく。その演出はダイナミックで、傑出した音楽シーンとして、今でも語り草になっている。

 

 黒澤は自分で詩を書いて、当時ブギを大ヒットさせていた服部良一に作曲を依頼した。ところが、「〽腰も抜けるよな恋をした」だった部分を、「えげつない歌、歌わしよるなぁ」と笠置が言ったために、「〽骨の溶けるよな恋をした」に書き換えたというエピソードが残っている。

 

 「酔いどれ天使」は、黒澤にとってはエポック・メーキング的な作品で、後に彼の映画になくてはならぬ3人の人物と初共作した作品だった。まず主人公のヤクザを演じた三船敏郎。あまりのはまり役で、三船は新宿で本物のヤクザから「兄さん!」と声をかけられて困ったという。そして美術の松山崇、もう一人は音楽の早坂文雄である。これら類いまれなる才能と出会って、黒澤は「やっとこれが俺だという作品ができた」と喜んだ。

 

 なかでも早坂文雄と出会った意味は大きかった。私は黒澤明の作品30本を、音楽を担当した作曲家によって、4つの時代に分けている。特に絶頂期というべき第2期は、この「酔いどれ天使」によって端緒が切られた。そのなかに、「羅生門」(50年)も、「生きる」(52年)も、「七人の侍」(54年)も存在している。それが終わるのが、「生きものの記録」(55年)までなのだが、それは早坂文雄の死によってもたらされた。そのことは、本欄の1970回(1月5日分)に書いたばかりだ。

 

 そこでもふれたが、黒澤は早坂と組んで、クルト・ワイルが作曲した「三文オペラ」(31年)をミュージカル時代劇に翻案したいと考えていた。彼はこの映画が大好きなのだ。「酔いどれ天使」のなかで、出所して来たばかりの三船の先輩ヤクザ(山本礼三郎)が、ギターを爪弾くシーンがある。「『人殺しの唄』だよ」と彼は言う。最初この曲に、黒澤が使いたかったのが、「三文オペラ」の有名な『メッキ・メッサ』だったが、結局は使われなかった。ともあれ、「酔いどれ天使」は、笠置シズ子の歌謡シーンも含め、音楽が大活躍した映画である。