(左)2022年4月旧昭和館前に立つ館主の樋口智巳さん(右)2024年1月再建なった昭和館前に立つ樋口さん

 

 北九州市小倉区の旦過市場にある「昭和館」は、私の大好きな映画館だった。もともとが芝居小屋だったので、座席の傾斜が急で、天井までのタッパが高い。そのために、どこの席からも舞台の隅々までが見通せる。そのたたずまいが昭和の香りを残し、文化遺産のなかで映画を見ているような至福の時間を味わえた。

 

 ここで、いろいろなイベントをやった。2009年8月、有馬稲子さんがゲストとして招待された時、私がトークショーの相手を務めた。2014年11月、拙著『清張映画にかけた男たち』の出版を記念して、「張込み」(1958年)と「新幹線大爆破」(75年)というサスペンス映画2本の上映を企画してくれた。ところがたまたまその時、高倉健さんが死亡したので、私の「張込み」トークはどこかへふっ飛んだ形になってしまった。

 

 そんな思い出多い「昭和館」には、都合3度驚かされた。最初は、2022年4月19日に旦過市場で起きた火災である。幸い、難を逃れたというので安堵した。お見舞いに行った記事は、本欄の1884回(4月29日)に掲載してある。

 

 2度目は、それから4ヶ月たった8月10日のことである。その時、私は東京に居た。テレビをつけてみると、「昭和館」火災の映像が突然出てきた。何で過去の映像が出てくるのだろう?と思ったら、何と!昨日起きた火災だという。「昭和館は全焼した」というアナウンスを聞いた時は唖然茫然、もう驚きの声さえ出なかった。お気の毒でお気の毒で…なかなか「昭和館」に足を向けることはできなかった。

 

 その後、魚町通りで、館主の樋口智巳さんとぱったり会った。「昭和館はどうなるのか?」と尋ねたら、彼女は「再建しますよ」と言ってのけた。樋口さんはお祖父さん、お父さんの跡を継いだ3代目。興行主の娘とは、子供時代からの環境のおかげか、抜群のコミュニケーション能力とバイタリティーを秘めている。その時の彼女にも、強烈なオーラを感じたものだ。

 

 その後、あれよあれよという間に、昨年の暮れ、北九州国際映画祭の開催と同時に、「昭和館」はリニューアルされ再開された。これが3度目の驚きである。同時に、樋口さんは『映画館を再生します。』(文藝春秋社刊・税別1200円)という本も上梓した。サブタイトルには〝火災から復活までの477日〟とある。

 

 いろいろな人たちからの励ましの声や、再建を決意するまでの経緯や、クラウドファンディングで三千万円を目指したら、四千万円を超えたことなどが書いてある。その苦労は並大抵ではなかったはずだ。

 

 新装なった「昭和館」を訪れたら、カフェが飲めるロビーができていた。そこで息子の直樹さんを紹介された。ここの映画技師をやっているそうで、「君が4代目?」と尋ねたら、彼はニヤニヤと笑った。

 

 最後にエピローグ。今年に入ったばかりの1月3日、そこからさほど離れてない鳥町食堂街でまたしても火災が発生した。焼うどん発祥とされる「だるま堂」が入口にあった所。これを4度目の驚きに数えるべきか…。