木漏れ日を見る平山(役所広司)と姪(中野有紗)

 

 深夜、宴会の帰り、不忍池のほとりにある公衆トイレに入って仰天した。ホームレスの人が床に布団を敷いて、そこに寝ていたのである。東京のトイレはそれほどきれいなのだ。「PERFECT DAYS」は、それをきれいにしてくれる東京都のトイレ清掃員を主人公にした映画である。

 

 演じるは役所広司。昨年のカンヌ映画祭で主演男優賞を受賞した。役名は平山。監督のヴィム・ヴェンダーズが敬愛してやまない小津安二郎の「東京物語」(1953年)で、笠智衆が演じた父親の名前である。

 

 平山は毎朝、歯を磨き、植木に水をやり、ワゴン車に乗って、渋谷の仕事場に向かう。仕事が終わったら、開いたばかりの銭湯で身体を洗い、浅草の地下鉄酒場でチューハイを飲み、100円の文庫本を買って寝床で読む。映画はその日常的なルーティンを何度も繰り返し、淡々と描いていく。まさに小津映画のように…だ。

 

 しかし後半、変化が起きる。自分の姪(中野有紗)が家出して押しかけて来たのだ。彼女と銭湯に行って、自転車で隅田川の桜橋を渡る時、平山は「今度は今度、今は今」とキーワードのように何度もつぶやく。それは〝禅〟で言う「後先の事は考えるな。今の今に集中せよ」という教えそのものだ。

 

 考えれば、平山は禅僧、あるいはプロ意識に徹した達人と言っていい。余剰なものを切っていく生活。欲のない〝無所得〟の行為。テキパキとした無駄のない動き。生きている植物を見つめる慈愛の精神。鳥居をくぐる時に頭を下げる感謝の気持ち。つまりトイレ清掃とは、禅僧や剣豪にとって、毎日行うセレモニーそのものだ。だからこそ寡黙な彼が、唯一怒りの表情を見せるのは、シフトを無視した若者(柄本時生)によって、自分の完璧なお勤めが乱された時なのである。

 

 このデジタルの時代になっても、彼はカセットテープを聴き、フィルムのカメラで木漏れ日の光を記録することを止めない。しかしそれは周囲に迎合せず、孤独な世界を一人生きることを意味する。それにはある種の覚悟と諦観が必要なのだ。彼は「一見繋がっているように見える世界も、それぞれが別々に分かれている」という(だからこそ、彼にはラストに表現される影の重層が見えるのだ)。それは、「一見、家族は強烈な絆に結ばれているかに見えるが、結局はバラバラに別れていく」という小津映画のポリシーとも通底していく。この映画は、そうした哲学的ともいえる精神世界を描いている。

 

 ヴェンダーズは、「パリ・テキサス」(84年)や「ベルリン天使の詩」(87年)などで、世界じゅうを転々とする現代人の彷徨を描いてきた。ところが今度の映画では、すでに浄化された悟りの境地に達しているように思える。見終わった時に感じる清々しさは、そのことなのである。

 

 彼はこの映画によって、我々日本人が捨ててきた日本の良さを、いくつも気づかせてくれた。かつてお化け煙突を主人公にした「煙突の見える場所」(53年)という映画があったが、スカイツリーを下町の象徴のように写し、庶民の生活をじっと見つめる神のような存在に扱ったことも、その一つだ。ちなみに、朝日が昇ってくるラスト・カットは、スカイツリーから眺めた神の見た目である。